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夢刈和虎
2024年8月3日 11:01
彼は、土佐藩士でその中でも下士という身分でした。土佐藩では、武家社会の中でも上士と下士に分かれており、上士にしてみれば下士は農民と変わらない存在です。しかし、その計り知れない思想と行動力を持つ彼をそんな身分で縛り付けて置くのは不可能な事だったのでしょう。一体、彼を付き動かすモチベーションは何だったのでしょう?富? 名声? 力? 一繋ぎの大秘宝?何にせよ彼のとった行動の
2024年8月8日 10:36
江戸幕府の前に、長い間室町幕府が世を治めていました。最後の足利義昭将軍は第十五代、奇しくも江戸幕府最後の将軍徳川慶喜と同じ代で幕末を迎えています。違うのは終わり方で、同じ様に幕府の影響力が衰退していきながら、足利義昭の時には織田信長という圧倒的な存在によってあっさりと終わります。この徳川慶喜の時、織田信長の様な圧倒的な存在はいません。その気になれば、薩長を相手にできる力
2024年8月13日 10:10
昭和二十年九月二日太平洋戦争、終戦。小さな国日本が、強大な連合国を相手に無謀な戦争を仕掛け結果、膨大な犠牲を払っておきながら、無条件で降伏するという日本にとっては最悪の人災でした。戦争なので、どちらにも言い分というモノがあって当たり前です。この時日本は、当然の如くアメリカ一国でさえ圧倒的な国力の差があることが分かってました。では何故、それでも戦争に向かわなければならなか
2024年8月18日 10:29
8回も掛かって幕末を語りましたがあれは語りたいんじゃなくて、幕末の流れを説明してるんですよね・・・いや、取り敢えず幕末という時代を理解してもらうには必要な事だったので、小生的にはタイトルをもう少し考えればよかった・・・。えー、気を取り直しまして、サブタイトルは江戸幕府がもう少し器用だったなら!
2024年8月24日 11:54
縄文時代には豊かな自然の恵みの下、人々は平和に暮らしました。(NHKや国際縄文学協会などの記事)縄文時代がユートピアだったというわけでこの説は日本で広く共有されており信じている人が多いそうです。だけど、豊かな暮らしなら人口はどんどん増えるので、食料が足りなくなり、縄張りを拡張して、他勢力の領域に入り込んで、争いになりそうなものです。日本の考古学界では、縄文時代までは戦争
2024年8月30日 10:18
有名な金色のハンコ縄文時代末期、九州北部に朝鮮半島から大陸の農民達が、新天地を求めて日本に辿り着きます。彼らが持ってきた稲作は九州から中国近畿地方、さらに東日本へと急速に広まる事になります。そうして日本列島に本格的な農耕文化が根付いた時代を弥生時代と言うんだそうです。小生が習った時には、土器の違いで時代が分かれていたように教わった気がするのですが今ではそのように、明