【書評】ショーペンハウアー『読書について』を読む。ハウアー先生のマウンティング感がすごい。

ロッシーです。

ショーペンハウアーの『読書について』を読みました。

読書好きの方は一度は手に取ったことがあるのではないでしょうか。

読書好きの人だけではなく、noteで記事を書いている人が注目すべき箇所を引用します。


まず物書きには二種類ある。テーマがあるから書くタイプと、書くために書くタイプだ。

 第一のタイプは思想や経験があり、それらは伝えるに値するものだと考えている。 

第二のタイプはお金が要るので、お金のために書く。書くために考える。できるかぎり長々と考えをつむぎだし、裏づけのない、ピントはずれの、わざとらしい、ふらふら不安定な考えをくだくだしく書き、またたいてい、ありもしないものをあるように見せかけるために、ぼかしを好み、文章にきっぱりした明快さが欠けることから、それがわかる。ただ紙を埋めるために書いているのが、すぐばれる。

なるほど。

確かに自分も以前「毎日投稿しないと!」と思い、「埋めるために」書いていたなぁ・・・反省。

要するに、書き手が紙を埋めるために書くなら、その時点でただちに、その書き手は読者をあざむいていることになる。つまり、書くのは伝えるべきことがあるからだと偽っている。

無理やり記事を書いていた私は読者を欺いていたようです。失礼いたしました。

でも、収益化を目指してはいませんでしたので、少なくともお金のために書いていたわけではありません。それがせめてもの救い・・・?

さらにまた物書きには三通りあるといえる。一番目は考えずに書くタイプ。記憶や思い出、あるいは他人の本をそのまま借用して書く。このタイプはたいへん数が多い。二番目は書きながら考えるタイプ。書くために考える。このタイプもよくいる。三番目は、書く前からすでに考えていたタイプ。考え抜いたからこそ書く。このタイプはめったにいない。

なるほど。

多くの人は、一番目か二番目のタイプに属するということですね。

この記事なんか、まさに一番目に該当しますね。

『読書について』の内容を引用しているだけですから。

ショーペンハウアー先生、すみません。


『読書について』を読んでいると、

「凡庸な人間は何をやっても凡庸なのだ。」

と苦々しく思っているショーペンハウアー先生の感情が行間から読み取れて面白いです。

おそらく、ハウアー先生のように非常に卓越した人間にとっては、他人がものすごくアホに見えるのでしょう。

誰もが情報発信やアウトプットと称して、文章や動画を配信している現代をハウアー先生が見たら、一体どう思うだろう?

憤死してしまうかもしれませんね。

まあとにかく、読書好きの方なら一度は目を通すべき本だと思います。

ぜひご一読のほど。

Thank you for reading !

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