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結論のない現代文章論
ロッシーです。
noteで記事を書いていると、「結論」を出さざるを得ないということを意識するようになりました。
多くの文章は、なんらかの着地点が必要になります。
空に舞い上がった鳥が、木の枝に降りるように。
ジャズのアドリブソロが、V7からIに着地するように。
でも、「そこで出した結論は、私にとっての本当の結論なのだろうか?」
という感覚がいつもあります。
結論のための文章
もしかすると、文章をきちんと着地させるために、結論を出しているだけなのかもしれません。
・初めからきちんと着地させることを目的とした文章
・着地点が決まっていて、それを目指して書く文章
そういうものは、ビジネス文書なら当然のしきたりです。
結論がない文章なんて、ビジネスでは「片方しかない箸」と同じくらい使い物になりませんから。
でも、noteのように自由に書ける場において、そのような書き方はどうなんだろう?それでいいんだろうか?
と思うこともあります。
結論のない文章なんて読みたくない
でも、結論がない文章なんて誰も読みたくはないわけですよね。
「これからの時代に生き残るのは〇〇な人!!」
という文章なら、
「なんだろう?ちょっと覗いてみようかな。」
と思いますよね。
でも、
「これからの時代に生き残るのはどんな人なんだろう」
という文章で、特に結論がなかったら、誰もそんなものを読まないわけです。
だから、結論というものが必要になるわけです。
どんなにまずいラーメンであっても、麺がなければいけないのと同様に、どんなに下手な文章であっても、結論がなければならないのでしょう。
結論なんて出ないけど出す
でも、深く考える人なら、物事ってそんなに簡単に結論を出せるものじゃないことはよくわかるはずです。(けっして、結論を出している人が浅く考えているというわけではありませんので誤解のないように)
それでも、やっぱり結論というものを「エイヤッ」で出さざるを得ないわけです。
だから、なんらかの結論が書いてあったとしても、それはあくまでも「出さざるを得ないから出している」ということが多々あるということを前提にしたほうが良いのだと思っています。
結論は出せないけど、出さざるを得ない。
そういう二律背反的な状況ですね。
ネット社会では結論は極論へ
ネット社会では、誰もが情報発信をできるようになりました。
つまり、誰もが何か情報発信をする際、結論を出しているということです。
だから、世の中は結論だらけです。
それ自体は何も問題はありません。
でも、数えきれないほどの結論だらけの中で、少しでも自分の文章を見てもらいたいと思ったらどうしますか?
おそらく、極端な結論、つまり極論を出す方向に行ってしまうと思います。
多くの飲み屋が密集していたら、自分の店に客を呼ぶために派手な看板で宣伝競争するのと同じで、だんだんとエスカレートするのです。
そして、それはたまに「炎上」という結果を招きます。中には、炎上してでもいいから自分が目立ちたいという人だっているかもしれません。
今の時代に、ネットで情報発信するということは、そういう危険性をつねに背負っているという意識が必要なのだと思います。
昔は文章の「孤独死」が当たり前だった
昔だったら、自分で情報発信することなんてできませんでした。
例えば小説を出そうと思ったら、出版社の誰かに認めてもらう必要がありました。
だから、自分の文章は、基本的に「誰にも見てもらえないし評価もされない」ということがデフォルトだったわけです。
誰かが書いた文章は、人知れずひっそりとどこかで息を引き取っていたわけです。いわば文章の「孤独死」です。
そういう時代は不便だったのかもしれませんが、
「人の評価を気にせずに、本当に真摯に自分と向きあい、書きたいことを書く。」
ということが、ひょっとしたら今の時代よりもしやすかったのかもしれません。
もちろん、誰にも読まれることがないという文章の孤独死と引き換えですが。
どっちがいいという話ではありません。
昔には昔の良さがあったのかも、ということをいいたいだけです。
読まれることが当たり前
いずれにしても、今の時代は情報発信というのはカップラーメンを食べるのと同じくらいに簡単なことになりました。
誰でも、人に読まれるのが当たり前の時代になりました。
noteというサービスのおかげで、いちいちブログを立ち上げる必要もなく、快適に文章を書くこともできます。
でもその代わりに、簡単な結論が溢れ、結論が極論になりやすくなっていることも確かだと思います。
誰かに読まれることが前提というのは、人類史上初めてのことです。
そういう時代に適応した文章の書き方というものがどんどん進化していくのかもしれませんね。
まあどう時代が変わっても、何かを書きたいという気持ちは人類普遍のものだと思いますから、これからも色々と書いていきたいと思います。
と、話がいろいろとナイル川のように蛇行しましたが、特にこれといった結論はありません(笑)。
Thank you for reading !