断罪する言葉の氾濫
ロッシーです。
九州地方の豪雨により、熊本県の球磨川が氾濫して、甚大な浸水被害がでています。
被災した方々は本当に大変だと思います。私も他人事ではありません。
ネット上に溢れる断罪
こういう浸水被害などが起こるとネット上で、お決まりの言説が飛び交います。
「そんなところに住んでいるのが悪いんだ」
「ハザードマップくらい確認しなかったのでしょうか。自己責任です。」
「行政や自衛隊に迷惑をかけていることも自覚してほしいですね。」
「地形的に浸水するのは当たり前でしょ。好きで住んでいるんだから自業自得。」
「もっと高台に住めばよかったのに。」
みたいなものです。
まるで、川からあふれ出る濁った水のように、こういった言説が溢れてきます。
もちろん言い方の問題は別として、これらの言説には、内容そのものが合理的なものもあります。
もともと浸水被害が発生しやすいところに住居を構えるのはリスクの高い行為ですから、なるべく高台に住むほうが良いのは確かです。
しかし、誰もが高台にすむことができるわけではありません。
東京などは典型的ですが、そういういわゆる「山の手」には、昔から身分の高い人や財産のある人が住んでいましたし、いまでもそれは変わりません。白金台なんてその一例です。
それに金銭的な事情だけではなく、コミュニティのつながりなど、色々な要素があいまって、被災された方々は現在の場所に住んでいるわけです。
私たちは、住まいの場所を決めるにあたって「浸水被害のリスクの低さ」だけを考慮しているわけではありません。個人個人色々な事情があるのです。
そういうものを一切考慮せずに、被災者をひとくくりにしてクリアカットな結論を述べて、
「こうしていればよかったんだよ。」
と断罪するのはやめたほうがいいと私は思います。
それって「言葉による二次的浸水被害」のようなものです。
東京で被災したら
私は都内に住んでいます。
もしも首都直下型地震が起きて被害を受けたとしたら、そういう方々は、
「東京一極集中のリスクなんて前から分かっていたでしょ。」
「地震が来るのは分かっていたのに何もしなかったんだから、復興に無駄な税金使わないでね。」
「東京ザマぁ。やっぱ地方最強!」
とかいう言説でネット上は溢れるのでしょう。
そういう人たちがネットで意見を発信するのは自由です。
ただ、そこには何も建設的なものはありません。
被災者をさらに言葉で傷つけるだけです。
最新のテクノロジーで作られたスマホを使ってやることが、被災者の方々への断罪の言葉を手軽に発信することなのでしょうか?
やるせないものがあります。
断罪する人達を断罪はしない
断罪する人たちをこちらが断罪することは、同じレベルに自分を落とすことになるのでしません。
ただ、断罪する人たちは深夜の暴走族と同じです。
静かに夜を過ごしたい人達から疎まれていることは知っていただきたいと思います。
クリアカットな言葉で断罪をすることは、バイクで爆音を鳴らすことと同じ気持ちよさがあるのかもしれません。
でも、そういうのは早く卒業したほうがいいですよ。暴走族だって大人になってまでしつづける人はいませんから。
断罪する人達が、静かな夜を過ごす幸せにいつか気がつくことを祈ります。
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