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無理に積極的になろうとしなくていい

ロッシーです。

「人生は積極的に生きたほうがいい。」

誰もがそう思うのではないでしょうか。

でも、「思うこと」=「実際にできること」ではないのも事実です。

じゃあ、どうすればいいのか?

とにかく頑張って積極的に生きようと努力すれば、本当に積極的な人間に生まれ変わることができるのではないか?と思う人もいるでしょう。

自転車と一緒で、こぎ始めは力が必要だけれども、だんだんスピードが出てきて楽にこげるようになるのと同じように・・・。

ただ、このやり方はあまりうまくいかないんですよね。

自転車は、楽にこげるようになった後、こぎ続けなければ結局止まってしまいます

それと同じで、一時的な努力で積極的になったとしても、それが持続できるかというと、また別問題なのです。

私自身がそうでした。

以前、中村天風の『運命を拓く』という本を読みました。

あの大谷翔平選手の愛読書であるということを聞き、「それなら読んでみよう!」と思ったのがきっかけでした。

本書は「心を積極的観念で満たせ!」ということを様々な角度から述べています。

内容は素晴らしいと思います。私自身も影響を受け、本書を読んだ後は、とても積極的になりました。

「あれ?こんなに積極的な自分がいる!」

と正直驚きでした。思考も行動もポジティブで、まさに「ありたい姿」の自分になったわけです。

しかし、1ヶ月くらいたった後でしょうか。それまでの積極的な自分が嘘のように、今度は一気に消極的な方向に揺り戻しが来たのです。

これまでも、そういうことはありました。ニーチェの『ツァラトゥストラ』を読んだときがそうでした。

そのときも結局同じパターンでした。

本を読んだ影響の「余韻」が残っている間はとても積極的な気持ちになるのですが、一定期間が経過して効力が無くなると、元に戻るのではなく、マイナスに陥ってしまうのです。

まあ、そのマイナスもいつまでも続くわけではなく、ゼロ、つまり平常時の精神状態に戻るのですけどね。

積極的な気持ちを前借りしたら、利子をつけて返さないといけないなんて、借金みたいだなと思いました(笑)。


そういう経験を重ねて思うのです。

「無理に積極的になろうとしなくていい」と。

上がったものは下がる。

下がったものは上がる。

無理に何かをしてもそれは長続きはしない。

企(つまだ)つ者は立たず、跨(また)ぐ者は行かず
(つま先立ちではしっかり立つことができない、大股歩きでは長く歩けない)

『老子』

まさに『老子』に書いてあるとおりです。


そもそも、なぜ「積極的にならないといけない」と思い込んでいるのでしょうか。

積極的なほうが好かれるから?

仕事がうまくいくから?

それが善だと教えられてきたから?

無理に積極的になろうとしなくてOK。
自然と積極的になったらそれはそれでOK。

今ではそう思っています。

それにより楽になりました。

結局あるがままでいいんだな~と思うのです。

「あるがままでいいなんていうのは、わがままなんだよ!コンフォートゾーンにいたい奴の言い訳だよ!」

と思う人もいるでしょう。

でも、言いたい人には勝手に言わせておくことにします。

「勝手にしやがれ」です。

ふてぶてしく生きてやろうと思います。

それだってある種の積極性かもしれませんしね(笑)。


最後までお読みいただきありがとうございます。

Thank you for reading!


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