そうか、君は成長し続けたいのか。
ロッシーです。
「もっともっと成長して能力を上げたい!」
と若いころは思っていました。でも、40歳を過ぎるとそういう気が徐々になくなってきています。
これって良くないことでしょうか?
今の世の中、成長することは絶対的に正しいとされています。
個人も会社もマーケットも、成長することが良いことであるという前提があります。
ずっと成長は不自然
この世のありとあらゆるものは、ずっと成長することはありません。
分かりやすいのは植物ですね。
種から芽が出て、茎が伸び、葉を広げて、花が咲き、そのあとは実をつけて枯れるというプロセスを繰り返します。
いつまでも成長し続ける植物というものはありません。
それが自然です。この法則から逃れることはできません。
しかし、今の時代はいつまでも成長し続けることが良しとされているのです。
これってなんか不自然ですよね。
人間だけは特別か?
高齢者になっても筋トレをすれば筋肉量は増えるそうです。
脳は、いつになっても老化しないそうです。
ということは、人間は、この自然の法則とは無関係の存在なのでしょうか?
でも、そんなのは幻想です。
いくら筋肉を鍛えても、それを支える躯体部分の骨や関節は衰えていきます。内臓や血管だってそうです。
脳が老化しないといっても、アルツハイマー病を根治する方法は見つかっていません。アルツハイマー病の治療方法が実用化されたとしても、脳の血管は衰えていきます。
自然の法則は不変
テクノロジーの発展により、人類の寿命はどんどん延びていくでしょう。でも、200年とか300年とかの寿命になることはちょっと想像できません。
サイボーグになれば可能なのかもしれませんが、サイボーグになったらなったで、500年までしかやっぱり生きられませんとなるかもしれません。
でも、人類はそれも克服して、ひょっとしたら1000年生きられるようになるかもしれません。それをヒトと呼べるのかはともかく。
でも、キリがないですよね。
いくら寿命が伸びたとしても、永遠に成長し続けられるわけではないのです。
自分の成長から、周囲の成長へ
冒頭で、「成長しよう!」という意欲が減ってきたと書きました。
ただ、これは正確に言うと、
「自分自身が成長すること」についてです。
つまり、自分自身が成長することはどうでもよくなってきており、それよりも自分の子供や次世代の人間に成長してもらうことのほうがより大事だと思っているのです。
葉が枯れて落ちるから、次の命につながる
また植物の例ですが、葉っぱが枯れると、地面に落ちて肥料になります。
その肥料を栄養分として、また新しい葉っぱが生えてきます。
しかし、もしも葉っぱがこう思ったらどうなるでしょうか?
「自分はまだまだやれる!だから落ちないぞ。絶対に落ちてなるものか!」
葉っぱは枯れることなく枝にしがみつき続けます。
当然、新しい葉っぱは生えてきません。いずれその木は朽ちてしまうでしょう。
成長幻想と老害
自然界の葉っぱは、ひとつとしてそんな不自然なことはしません。
でも人間は、そういう不自然なことをします。
組織で高い地位にのぼりつめた人が、もはや時代に追いつけないのにもかかわらず、「俺はまだやれる!」とその地位にしがみつくことはよくあります。
自分自身の成長よりも、その組織の新しい葉っぱとなる次世代の人たちの成長を大事だと思えば、さっさとそこから去ることが一番良いのです。
それができないから「老害」と言われてしまうのです。
美しく衰えていくことの大切さ
成長ばかりを是として、成長のみを追い求める言説が溢れています。
YouTubeの動画もそういうものばかりです。
「どうすれば去り際を美しく飾れるのか?5つのコツ!」
なんていうコンテンツを私は見たことがありません。
もちろん成長は大事です。でも、いつかは誰もが衰えていき、自分の居場所から去るときが来るわけです。
そうなったときに、準備ができていないと、去る覚悟もできません。だからしがみつくことになってしまうのです。
無理に成長しつづけようとしないことが、ゆたかな人生につながるのかもしれません。
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