ダイエット徒然記
こんばんは。
前回の「私が一人旅をする理由」、多くの方にご覧いただけて嬉しいです。
今回は8月から始めたダイエットについて、書いていきたいと思う。
私は3度ほど、ダイエットに成功したことがある。
(結局戻っているので、成功とは言わないのだろうが…)
まず一度目は高校生の頃。
これはダイエットとは言わないのだろうが、当時の私はとくかく食べる量が半端なかった。サイヤ人か?と思うほど食べていた。
小学生くらいからよく食べていたのだが、家族で王将に行った際には自分用のおかずにオードブルを頼み、チャーハンと一緒に食べていた。
マクドナルドではバーガー系を6つほど頼み、ポテトとナゲット、ジュースにシェイクまで平らげていた。
それが普通だと思っていたので、高校生の頃も人一倍(100倍?)食べていた。
もちろんお弁当だけでは足りずに、10分休憩には菓子パンを食べていたし、帰りに友達とご飯を食べて帰ってから、さらに家族で回転寿司に行くほどだった。
また、ジュースも大好きで、電車通学だったのだが、帰り道には3駅の間にジュースを3本飲み切っていた。
定番は100%果汁のリンゴジュースを飲んでから、炭酸飲料を飲み、最後に雪印のコーヒー牛乳を飲んでいた。(すべて500㎖)
小学生の頃からバレーボールを行っており、運動量も多かったのだが、中学2年生の頃に初潮がきてから太りやすくなった。
それでも、部活で動いていたので、痩せていたのだが、中学校の部活を引退した頃から一気に太ってしまった。
そして、高校生でも部活をしていたのだが、試合の出来が悪かったからか、その時の顧問に本気で「ジュースやめろ!!!!!!」と叱責された。
未だかつて顧問にそんなことを言われた女子高生がいただろうか?
そして、ジュースを絶った私はなんとそれだけで7キロも痩せたのだった。
よほどそれまでのジュース人生がよくなかったのだろう。
ジュースが与える影響を目の当たりにした瞬間だった。
ただし、これはダイエットと言わないような気もする。
私の根本がそんな塗ん源だと理解いただいたところで、今度はちゃんとしたダイエットの話をしていきたい。
次にダイエットに目覚めたのは24歳の頃。
大学から社会人までずっとバレーボールを続けていた私だが、正直自分が太ってる意識など一切なかった。
他の人よりも筋肉がついているだけ。
それでも動けていたし、自分ではまったく問題ないと思っていた。
余談だが、兄は周りの友達に
「おまえの妹、どんなん?」と聞かれたら「ゴツイ」と答えていたらしい。
屈辱的である。
というくらい、周りからしたら私はゴツかったらしい。
確かに、ついていた肉は脂肪よりも筋肉が多かったように思う。
大学では筋トレもたくさんあったので、肩幅の広い私はキン肉マンのような体型だった。
そのまま社会人になり、『痩せる』ということに一切興味を持たないまま、数年が経った。
そんなある日、私は年下の男の子に恋をした。
関東に住んでいる男の子で、確か5つほど下だったように思う。
たまたまこちらに来ていたタイミングで知り合った。
そして、その子がまた夏にこっちに来るからその時に会おう、ということになり、それから私のダイエットのスイッチが入った。
当時、ネットで購入した服が小さくて入らなかったのだが、このスカートを着て会いたい!と思ったのが始まりだった。
当時の徹底ぶりは今思い返しても感心する。
そもそも体重計にあまり乗っていなかったので、毎日朝も夜も体重計に乗って記録するようにした。
そして、毎朝鏡の前で全裸でラジオ体操を3セット行い、そのあと1時間ウォーキングをしていた。
余裕があるときは夜にもウォーキングをし、食生活も野菜メインにした。
肉と言えばささみだけ。
そして必ず『空腹で寝る』ことを意識していた。
そうすれば必ず朝には痩せているからだ。
土日にはバレーの試合があったので、そこで毎週体重を2キロ落としていた。
全裸でラジオ体操は、おそらくこの世界であまり行っている人はいないのではないだろうか。
体型チェックにもなるし、どこの筋肉に効いているのかを見るのが好きだった。
そして体重はみるみるうちに減っていった。
周りからも「痩せたね」と言われることが増え、モチベーション爆上がり。
結局遠距離の彼とは上手くいかなかったが、それさえも肥やしにして
「一番の復讐は私が幸せになること」だと決め、自分のためのダイエットへと変わっていった。
自分のために何かを頑張っていると、自信が湧き出てくる。
(頑張ってなくても自分大好き人間なので尚更)
そうして私は半年で13キロ痩せることに成功した。
履きたかったスカートも履けるようになった。
この時のダイエットでの気づきとしては、自分の中のベスト体重がわかったこと。
あまり痩せすぎてもストレスになることがわかった。
体重ばかり気にしてしまい、数字に囚われた私は夜中に目を覚ましては体重計に乗っていた。
少し病的だったように思う。
そして、一番良いのは「痩せるためにする」ではなく、「ストレス発散のためにする」こと。
この感覚の方がプレッシャーが少なく、継続しやすいように思う。
だが、そんな生活も長くは続かなかった。
その頃、ちょうど転職をした私は本職以外にも副業がしたいと思い、選んだのは料理の先生。しかも、お菓子専門だった。
元からお菓子作りが好きだったわけではなく、仕事のために必死で覚えただった。
教えるためには、目を瞑っていてもできるぐらいじゃないと!という謎の責任感に背中を押され、毎日家で練習をしていた。
そして練習したお菓子はどうするか?朝食べるしかなかった。
いつの間にかウォーキングもやめてしまい、そうして一瞬で14キロ太ってしまった。
元より増えている…!
だが、「私は痩せているはず」と思い込みたい気持ちと、周りに「もう元に戻っている」と思われることが嫌で、写真を加工して細く見せたりしていた。
そんな時、私は膝の靭帯を断裂してしまった。
バレーの試合中にというわけではなく、その合間に鬼ごっこをして切ってしまった。穴があったら入りたかった。。
そして手術することになり、体重を測ることに。
それを母親に見られ、叱責された。
また、手術後の療養のために実家で数週間暮らすことになったのだが、その時にあることから高額の補整下着を購入していたことが母親にバレてしまった。
前に買ってしまった時に反対されて「もう買わない」と約束したのに、痩せてお調子に乗った私はまた買ってしまったのだ。
だが、すぐにリバウンドしてしまったので、その下着をつけることもなく箪笥の肥やしにしてしまっていた。
それが発覚してしまった。
母親は血管が切れたのではないかと思うほどにキレ倒し、テーブルが叩き割れるのはないかと思うほどに拳を振り下ろした後に
「絶対に痩せろ!!!!!!!!」と言い放った。
それからまた私のダイエットは始まった。
この時、齢28。
早くケガを治したい気持ちもあったので、また歩く生活に戻し、今度は夕飯の量をさらに減らした。
高カカオのチョコレートとココアだけにしたのだ。
普通とは思えないスピードでリハビリを終え、また試合にも出るようになったので、そこでも動き回り体重を落とした。
その結果、またまた半年で15キロ痩せることに成功した。
その気になればいつでも痩せられる。
そんな気持ちを抱いてしまうきっかけとなった。
ここまでを振り返ってみると、やはり食生活と有酸素運動が重要なのだということがわかる。
そして継続がいかに大切なのかということも。
いつの間には食生活や運動の習慣は変わっていったが、それでも体重はキープしていた。その頃の仕事も動くことが多かった(あえて増やしていた)からだ。
そうして痩せたはずだった私なのだが、33歳にして気が付けば体重がまたもや増えてしまっていることに気付く。
これには明確な理由がある。
32歳の頃にあることがあり、食べないと体調が悪くなる事象に悩まされた。
それはほんの1カ月くらいのことだったが、私の体を重くするには十分すぎる期間だった。
それから私の体が痩せることはなく、また痩せる努力をすることもなかった。
考えてみれば、何もすることのない休日にカレーライスを食べては昼寝をする、やきそばを食べては昼寝をする、そして夕飯も普通に食べてまた眠る。
そんな生活をしていたら太るに決まっている。
(ちなみに私は日清の袋麺の焼きそばが大好きで食べるときは必ず2人前。
しかも具なしの麺のみで食べていた。)
「あれ、なんか今日調子良さそうやな」という日だけ体重計に乗っていたが、調子が良いわけもなく撃沈すること多しだった。
また、鏡で自分の背中を見たときに驚きが隠せなかった。
ブラジャーとパンツの間から出ている脂肪にしか目がいかなかった。
最も軽蔑していた後ろ姿に成り下がっていたのだ。
そして迎えた健康診断。
想像していたより少し多い体重を目の当たりにした私は心の中で静かに決意する。また痩せてやる、と。
これは美容のためというよりかは健康のためと言った方がいいかもしれない。
BMIだけ見ると健康な数値なのだが、腎臓や尿検査でも引っかかったところを見るとこのままいくと健康被害が懸念される。
そして何よりも、体を動かしたい自分がいたのも確かだった。
元々が運動好きではあるので、まったく運動せずにだらだら過ごしている自分に嫌気がさしていた。
思えば運動をやめてから、ストレスが溜まりやすくなったように思う。
仕事で苦手な人と関わると片耳が聞こえなかったり、扁桃腺が腫れるようになった。
実は最近、運動を始めてからこれらが減ってきたのだ。
そして私が始めたのはYouTubeで宅トレをすること。
またウォーキングの日々を始めようかとも思ったが、正直朝から外に出るのが億劫で仕方なかった。
日焼け止めを塗らねばならず、塗っても汗をかくのできっと日焼けをするだろうという懸念も相まって、なかなか行動に移せずにいた。
また、外に出るとなるとジャージだ靴だなんだを身につけなければならないのも面倒臭く、第三者が聞いたら「やる気はあるのか?」と言われそうだが、とにかく続けられるものでないと始める気にならなかった。
これがダイエットにおいては重要なのだと思う。
『継続できるかどうか』
また、『始めるためのハードルが低い』ことも同じくらい重要だ。
そうしてYouTubeを見漁り、たどり着いたのが「なるねぇ」だった。
元々この人が出している足パカソーランをやっていたことがあり、始めることに抵抗がなかった。
足パカにソーラン節を選ぶセンスが好きだった。
そして家でも有酸素運動ができる動画を見繕い、朝のストレッチから有酸素運動までの40分間を毎朝取り入れることにした。
これも動画だけを見ていると飽きるので、ドラゴンボールを見ながら行うようにすると頑張れる。
悟空とクリリンが亀仙人のもとで牛乳配達の修業をしていた時には「悟空とクリリンも頑張っているから私も頑張ろう」と思いながら励んでいた。
これをすると毎朝必ず顔面から滝汗が流れる。
体育会系の性なのか、汗をかくまで動かないと運動する意味がない!と思っている節があり、それがここで活きている。
ひとつおすすめなのが、この運動中に飲んでいるドリンクだ。
リンゴ味の黒酢ドリンクを炭酸水で割って飲むようにしている。
内臓脂肪を減らす効果があるので、効率がいいように思う。
専門家ではないので、確かなことは言えないがいいなと思った人はぜひやってみてほしい。
朝の運動を再開して思うのは、彼と別れて落ち込んでいる時に始めればよかったなということだった。
きっとあの時に運動を始めていたら、もっと何かが変わっていたのではないかと思うが、たらればを言っても仕方ないし、今ここで始めたことに意味があるので、そのことはもう忘れよう。
食生活にあまり変わりはないものの、運動を始めてから1カ月も経たないうちに5キロ近く痩せている。
よほど今までの脂肪が溜まりきっていたのだろう。
だが、大切なのはこれを続けることである。
理想の体重まであと2キロ。
ぜひ継続させて達成させたい。
なんのオチもひねりもない内容で大変恐縮だが、質の良い眠りも健康的な体には重要なことなので、そろそろパソコンを閉じよう。
それでは、また。