義質信成...「人生古より誰か死無からん、丹心を留取して汗青を照らさん」
子(し)曰(のたま)わく、君子、義(ぎ)以(もっ)て質(しつ)と爲(な)し、禮(れい)以て之を行い、孫(そん)以て之を出し、信(しん)以て之を成す。
君子なるかな。(衛霊公第十五、仮名論語二三五頁)
先師(孔子)が言われた。
「道義を本質とし、礼によって行い、謙遜して物を言い、
信によって成し遂げる。こういう人物が真の君子だ」
本年、九月二十八日の台北孔子廟釋奠(孔子誕生二五七四周年)に
当会から五名で参列した。
かつて成人教学研修所の論語堂落成式において
孔子七十七代直裔孫孔德成先生にご来駕賜ったのを契機として
翌昭和五十年から台北での釋奠参列が始まり、
今年で第四十六回目となった。
この度の釋奠では福島県会員の一人が
東廡先儒分献官を拝命した。
当会としても実に名誉なことである。
孔家は、紀元前十一世紀の周代宋国の始祖微子啓を遠祖とする。
孔子から数えても約二五〇〇年以上にわたって一系が続く家門である。
その七十九代孔垂長先生ご夫妻に、
当会の昼食会へ光栄にもご臨席を賜っている。
黄耀能文学博士と黄銘志副教授(国立台南大学)父子お二方の通訳の下に、孔家との懇親を深める貴重なひと時となっている。
現下の台湾と大陸の関係を身近に感じる機会でもあった。
プライベートな夕食会では、
台湾会員の地球物理学博士謝冠園女史と
ご主人の葉恩肇副教授(国立台湾師範大学)ご一家を招いて
話が大いに盛りあがった。
高校三年生に成長した令愛に、東廡先儒の神位牌の中に文天祥の名があったことを話すや、文天祥の「人生自古誰無死、留取丹心照汗青(人生古より誰か死無からん、丹心を留取して汗青を照らさん)」を書きはじめた。
更に「丹心→赤誠の心→至誠」、
「青→青史→青銅器に刻まれた歴史」と意味まで添えてくれた。
筆談交りの会話であったが、思わず目頭が熱くなった。
直前に国立故宮博物院で青銅器の鼎や盤を鑑賞していたので、この解説には一同大いに納得した。
学校で教わったのかとの問いに、中華の歴史が好きで自ら勉強したとのこと。
果たして今の日本の高校生で何人くらい、
義に殉じた楠木正成、吉田松陰や西郷隆盛などの言葉や
辞世を書けるであろうか。
文天祥(一二三六年―一二八二年)は、
科挙を首席で合格し、官吏に登用された。
各地の知事を務めるなどしたが、
南宋がモンゴル軍のために存亡の秋、私財をなげうち敢然と挙兵した。
しかし、ついには敗れて虜囚の身となり、在獄は三年に及んだ。
そしてこの間に南宋は滅亡。
元朝太祖フビライ・ハンからの宰相就任の要請に対しても固辞し、『正気歌』を残して刑死した。
孔子は「君子とは、義を本質とし、礼によって行い、謙遜して物を言い、信によって成し遂げる人物である」(衛霊公篇)と言われる。
武将の文天祥が儒者として祀られていることの意味を得心できた旅となった。