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生きること、学ぶこと


オーララルヒストリーによる探索とは?



歴史批判を読む中で、オーラルヒストリーについて考える。レヴィ=ストロース「悲しき熱帯」「野生の思考」に多大な影響を与えたマルセル・モース「贈与論」を読む。モースは、贈与=交換という社会システムが未開社会(地球上)に存在していることを発見する。そこでは人と物の区別はなく、物には霊がついていて、物が交換を促す。未開社会では、与えることと受け取ることと返礼することが義務になっていて、これを破ることができない。時代が進み、インド・ヨーロッパ、古代ゲルマン、インドヒンドゥー、中国の法へ受け継がれていくのであるが、資本主義の経済倫理とは全く異なる倫理体系・宗教体系・経済体系を人類は保有していたことをモースはオーラルヒストリーで発見する。

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オーラルヒストリーには3つの種類があると考えるのが保刈実「ラディカル・オーラル・ヒストリー」である。オーストラリアでのフィールドワークをしている中、若くして癌で逝去する自身の博士論文を基に書いたものである。「歴史実践」を重視した仕事である。

ヘーゲル「歴史哲学講義」アウグスティヌス「神の国」などを丁寧に読み、認識的・知覚的に過去の事実を探していく歴史記述の物語が一つである。二つ目は文化人類学者の常套手段である「参与観察」を中心に事実を発見し、現在未来との関係を紐解く方法がある。これに対して保刈実は三つ目の方法を提示する。単に観察をするのではなく、相手の社会に溶け込み、位相の異なる事実を受け止めることを行うオーラルヒストリーがある。自分の社会的経験からは理解できないものを相手の社会では、きっとそうなのだと観念的に理解するのでなく、真実のものとして受け止めることからスタートする。例えば、アボリジニの老人と一緒に暮らし、「自分はケネディ大統領がオーストラリアを訪問して面会した」という(事実ではないが)話を聞き、彼が何を伝えているかを読み解くというもの。ラディカルなのである。専門家のオーラルや記述からではなく、日常(居酒屋での話、年寄りの話、祭り、催事、台所など)の中で体験するものを通して原体験していく。

それでは、柳田國男の方法は何かと考えた。柳田國男は「われらのうちなる原始人」と言う。デューイが「目に1丁字もなき樵夫」をコモンマンの原型とみたように、常民を原始に近い人とする。レヴィ=ストロースが未開を西洋の外にあるとしたのに対して、柳田國男は自身の中に未開人がいると考える。単なる参与観察で外からいくらみてもそこには落とし穴がある。自身の日常を鑑みて未開社会と向き合う。例えば、日本における土着信仰による死後の世界観は仏教のそれとは全く異なることは日本人以外には理解できない。保刈が指摘した3つ目のオーラルヒストリーは柳田國男のものと近いと思った。そのことをもっと知りたいと思う。

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もう一人異色なオーラルヒストリーがいる。山口昌男である。彼の哲学は異質な人間との出会いを求めたオーラルヒストリーから生まれてくる。思いつくとすぐ会いにいく。アポイントすら取れない相手ばかりであるが、無理やり会って物語を紡いでくる。(「文化と両義性」)日本の戦後教育の研究者であるワナ・メーカー文書を発見した土持ゲーリー法一のオーラルヒストリーは、山口昌男と似ている。「「一枚」の資料で歴史が動いた」(土持法一)に記述がある。「資料の発掘には、リベラルアーツな批判的精神が必要である。そこでは、史料は「足で探せ」を貫いた。(略)「ワナメーカ文書」の発掘より驚いたことがあった。それはパール・ワナメーカの「生存」を偶然に知ったことである。これは思いもよらない「幸運」であった。(略)ワナメーカに表敬訪問したい旨を伝えたところ、公文書館担当者から数年前に亡くなったと聞かされた。後に判明したことであるが、ワナメーカーは、1964年に脳卒中で倒れ、半身不随の車椅子生活を10数年も強いられ、自宅マンションから外出もできない状況にあった。(略)1984年8月16日、午後2時、シアトルで「感動の対面」が実現した。」



 
土持法一はオーラスヒストリーの醍醐味を次のように述べる。「オーラルヒストリーは「筋書きのないドラマ」であり、それを紡ぐのは「好奇心のなせる技」であると考えている。オーラルヒストリーには、二つの方法論がある。一つは(とくに日本の場合)、事前に質問項目を準備・送付して、相手側には考えてもらうもので、最初から「筋書き(シナリオ)」が出来上がっている。そこでは結論が先にあり、それを「裏づける」作業になり、新たな発見にはつながらない。
 もう一つの方法は、その場の雰囲気から質問を駆使して、忘れ去られている過去を呼び戻すというものである。これには時間とエネルギーが必要である。また、二つの「ソウゾウ」(想像と創造)が求められる。
私の場合は、後者である。これは、インタビューする人もされる人も新しい発見に遭遇する。これが「歴史の醍醐味」というものである。「無から有を生み出す」のがオーラルヒストリーであると考えている。後者の場合、結論がないので∞に歴史を楽しむことができる。」
オーラルヒストリーは筋書きのない実践研究であり、常にアンチテーゼを持っていないとできない仕事である。何よりも忍耐が必要である。そして幸運も。

最後に大江健三郎が戦後文学者を訪ねるオーラルヒストリーを考える。これは、文学者として自らがその意思を引き継がなければならないと考えた大江が、彼らと対話することで、戦後文学者のことばを彼らの書き記した文学に重ねて、確かなものにしていくためのものである。ここで、新たな発見ではなく、自分に課せられた重い役割を確認していくことになっていく。覚悟のためのオーラルヒストリーである。
 

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