02-2.伝わって、つながってく。
(前回記事「02-1.国語にビジュアル系」の続きです)
歌詞を載せる。
僕が「国語科だより」に歌詞をのせたビジュアル系バンドは、そこまでメジャーな認知ではないものでした。
…てか、僕自身が「そういう存在」が好きなので、インディーズから聞いてたアーティストがメジャーになって垢抜けたり、皆んなに知られるようになったりすると、途端に興味なくなったりするんですよね。。天邪鬼か。
米津玄師は昔にもっといいのあるのに、皆して「Lemon」歌っちゃってさー。。。とか。
「大衆寄せ」が嫌いなのかも?
めんどくさくて、すいません。
さて、話が飛んでしまいましたが。。
僕が、一部の人しか知らないようなバンドの歌詞をのせたことで、ピンポイントで一人の女の子にヒットしたんですね。
そして
「…あと、この歌詞もすごく好きなんだけどさ…」
って、恥ずかしそうに、僕の知らない別のバンドの歌詞を見せてきてくれた。
「…これ、次の国語科だよりに載せてもいいかな?」
女の子はちょっと驚いた様子だったけど、喜んでOKしてくれた。そして僕らは、「生徒が持ってきてくれたもの」として紹介を添えて、その歌詞を国語科だよりに掲載して発行しました。
「くぼたろう」と「きくじろう」
相方であるもう一人の国語の先生は「菊池先生」というお名前。
「菊次郎の夏」から取って、そして僕らの年齢差と関係性から、
生徒たちは僕らを「くぼたろう・きくじろう」と呼ぶようになっていきました。
なかなか、うまいこと考えるね。
きくじろう先生は、後に国語科だよりで、生徒に向けてこう書いています。
自分の心を言葉にして、相手の心に届けることは難しく、
どこか恥ずかしさが残る。
だけど、勇気を出して言葉にして、相手に伝わった時の、
言葉では表せない、あの心が透き通っていく感覚。
それを、みんなにも味わってほしい。
その思いが久保田先生と重なって、「国語科だより」を始めました。
僕に歌詞を見せてきた女の子はきっと、「この人なら聞いてくれる」「この人にならわかってもらえる」と思って、勇気を出してきてくれたんだろうと思うんです。
それは僕が「マニアックなバンドの歌詞」を出したことで、「ウケねらいじゃない」ということが伝わったんだと思う。
バンドのことを知ろうが知るまいが、イイものはイイって出していいんだよって。
内面を覗かれたくないだろう思春期の女の子が、「言葉」を届けてくれたということ。
それは「自分で紡いだ言葉」ではなかったけど、そこには「心」が見えた。
だから、「これは絶対載せたい」と思ったんです。
「心」を伝えてくれたから。
言葉は何を伝えるのか?
きっとたぶん、僕ときくじろう先生が「国語」でやりたかったことって、「言葉」の扱い方とかじゃなく、伝えたい「思い」とか「心」とかその時の「感覚」とか、そういうもので。
もちろん、そのために覚えなきゃいけない言葉のルールは色々あるんだけど、でも、いちばんは「伝えるため」だって、僕らは同じく思ってた。
授業では「手段」としての言葉のルールを教えるけど、
ひらがな書けない生徒であっても教えなきゃってするけど、
だからこそ「何のために」ってことも、僕らは伝えたいと思った。
さて。
女の子が持ってきてくれたバンドの歌詞を掲載した「国語科だより」。
今度は、それを見た別の子がやってきた。
「これって、生徒のイイと思うヤツも載せてくれるの?」
「僕らもイイと思ったからね。イイと思うものは載せるよ」
「じゃあ、先生たちみたいに、自分で書いたヤツでもイイの?」
僕ときくじろう先生は、歌詞を載せるだけでなく、自分たちで書いた詩も毎号「国語科だより」に載せていました。
書くことは、書いたものを表に出すことは、恥ずかしくないんだよ
そんなふうに当然の顔して僕らがやって見せてあげることで、生徒たちもきっと言葉にすることを「恥ずかしい」と思わなくなる。
…そりゃあ、ちょっとは恥ずかしい時もあるけどね、恋愛系のやつとか笑
でも、その恥ずかしいを乗り越えて見せてあげることで、特に思春期女子にしてみたら、「国語科だより」は「楽しみなプリント」になっていくだろうと思ったんですね。
「伝わる」が「つながる」。
翌日その子は、自分で書いたものを持ってきました。
何だか、聴いてる音楽に感化されたような、歌詞みたいな言葉使いではあったけど、その子なりの「心」が表れてるなぁって思った。
そして、今度はそれを載せた。
思春期ですから、誰が書いたかわからないように、ペンネームでね。
守秘義務です。
そうしたら今度は、それを読んだ別の子がやってきた。
小さくたたんだ紙を恥ずかしそうに渡してきた。
そこには、生徒が書いた詩を読んでの、感想が書いてあった。
そして、今度はそれを載せた。
自分が書いたものを見て、イイと言ってもらえることの喜び。
イイって伝えられた方も、嬉しい。
それって、今僕がnoteをやって思っていることと同じだよね。
それを、皆んなにも伝えたいと思った。
言葉って、伝わるって、とても素敵な、嬉しいことなんだよって。
「じゅうなな」。
いつしか、たくさんの生徒が、僕らを訪れるようになっていました。
自分が書いたものを持ってくる子、掲載された言葉への感想を伝えにくる子。
そして気づけば「国語科だより」は、生徒たちの書いた言葉で埋め尽くされるようになっていました。
これは「タバコをやめよう」がスローガンになるような、荒れた中学校でのお話。
なので、ホントか嘘か、マセた内容のものもいっぱいあるけどね笑
…おっと、国語科だよりのタイトルが画像に見切れてますね。
余談になりますが、せっかくなので。
「国語科のプリントなのに、タイトル数字にするのとかって、どう?」
「僕が詩を書き始めたのは、17歳の時ですね」
「ひらがなのやわらかい感じって、いいですよね」
「国語科だより」って堅苦しい感じじゃなくて、一言で言えちゃう、やわらかい印象のものにしよう。
そんな流れから、国語科だよりはひらがなで「じゅうなな」と名付けました。
ちなみに、この「一言で言えちゃう、やわらかい印象のもの」って実はキモで、おかげで生徒たちに一気に浸透した。
ネーミングによるブランディング作戦です。
…って、たぶん当時はそこまで考えてなかったけどね。笑
この「じゅうなな」ムーブメント、この後まだ広がっていきます。
ということで続きは次回。
読んでいただき、ありがとうございました!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!頑張って書き重ねていきますので、是非またお越しください。