夏に就職したので、その挨拶に2週間ばかり手紙を書くことを続けていた。葉書に印字をしたものを予め用意してあったので、そこまで大きな手間でもなかったはずだが、これがなかなか骨の折れる仕事であった。挨拶文を印字しておいたとはいえ、表も裏も全てタイピングで済ませ、手書きの要素が一文字もないものを送るのはいかにもぞんざいで、自分の性に合う作業ではない。そこで、宛名は全て手書きで書き、裏面の挨拶文の余白には相手方への感謝であるとか、日頃の便りを怠ったことへのお詫びなど、ひとり一人の事を思
一期一会とは、去る12月に田中泯の口から聞いた言葉である。 その語が不思議と耳に残ったのは、四字熟語の本に熱中していた 少年期以来だったかもしれない。 場踊りを主とする田中が久しぶりに行う"劇場"公演(「外は、良寛」)を 幸運に観ることができ、そこで更に思いがけず、舞台挨拶が行われた。 そのシンプルな言葉を、半ばはにかむように控えめに語る佇まいに 深く感じ入るところがあり、今でもその情景をしみじみ反芻している。 この一年は、私個人のとって一期一会が重なった。 ちょうど一年
「ドリアン&ヴァギーのちょっとよってらっしゃいよ vol. 2」をツイキャス配信で見た。 ドラァグ・クイーン2人のパフォーマンス/トークショーで、 現地には行けないけれど配信だけでもと思い、当日チケットを購入して視聴。 「ゆるく」やるのがコンセプトという話だったが、むしろ密度がすごくてとても満足した。 ベビー・ヴァギーさんは、Eテレの「バリバラ」で馴染みがあった。 「障害者のための情報バラエティ」を標榜していた「バリバラ」が、 気づいたら「みんなのためのバリアフリー・バラエ
渋谷ユーロスペースで映画「こちらあみ子」を鑑賞したのは8月のことだが、 そのとき頭に浮かんだのが6月に観た「はい、泳げません」だった。 映画の冒頭。 母親の習字教室を襖の隙間から覗き見しながら、トウモロコシにかぶりつく あみ子。 大口でかじり、汁が実からほとばしる音。それが畳の上にボタボタ落ちる音。 それが耳に張り付くような音量と精度で響き、この後の展開をも予期させる強い効果を上げていた。 (同日聴講したトークでも、森井勇佑監督がこの点を言及されていた) この、トウモロコ
鴨居玲の展示を、新宿中村屋の美術館で観た(*1)。 個展を訪れるのは7年ぶりということもあり、開催前から気忙しかった。 開幕早々に駆け込んだ展示は、 小規模な中にもエッセンスが詰まったラインナップで、 「再会」に満足した。 展示の中に、パレットがあった。 周縁部に絵の具が分厚く蓄積し、岩のようになった塊の只中に、 画家の自画像が描かれている。 笠間日動美術館が収める、画家のパレットの一大コレクションからの一点である。 筆者が初めて鴨居玲の作品に出会ったのもまた、この美術
今日から、このnoteを始めようと思う。 内容としては、展覧会を見た感想/そこから考えたことを中心に、 日々出会う場面で文字にしようと思ったものを書き留めることとしたい。 筆者は学生時代より20年以上、 美術に浸り、美術のエリアで生きたいと思い、 その思い込みによって如何にかこの場に居続けることができている。 この先書くつもりなのは、思い込みの切れ端のようなものだ。 このnoteを少しでも長く続けられるよう、 ルールは2つだけ決めておく。 ① 厳密を期さない ② 悪口は