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『"いつも人よりがんばる"がデフォルト』を、一切やめた話。

おはようございます!

今日はゆるりと、最近転職活動をしていてふと気づいたことについて、

短めに、書きたいと思います。



この10年、いろいろがんばりすぎてた。


激務ワーママ歴10年以上、やっっっと休めるプータロー期間(おそらく3か月から半年ちょっと)を楽しんでいるところなのですが、

転職活動をしていて思うのは、自分の長年の思い込みである


「私は人よりも頑張らないと評価されない」


という思い込みです。

ペーパーテストでは常に点数が悪かったり、頑張っても人よりできなかったり、といった、苦い学生時代の記憶から、


「私はもっともっと頑張らないと人並みに評価されない!」


という、かなり強固な思い込みがありました。

結果的に、新卒から働いていた中で、


・働きすぎ(人の仕事もやる)
・がんばりすぎ(自分の役割じゃないこともやる)


そして健康や家族を犠牲にしてしまいました。


この「思い込み」ですが、最近実はちょっと違うんじゃない?と思いだしてきたため、

そろそろ手放そうかな!と思うようになりました。


がんばらなくてもできることだけやれば、よくない?


世の中には得手不得手があり、私の中では

・描くこと、書くこと
・人に教えること
・難しいことを易しく理解すること

はそこまで難しくないけれども評価される分野です。

逆に、

・計算したりシュミレーションすること
・余計な情報を入れて論理的に考えなければならないこと
・家事、育児

は苦手で努力しないとできません。


過去10年は仕事や育児など、仕事においても家庭においても、

「自分が苦手なこと」だけやってきたようなもので

これも、そろそろゆるりと卒業しようかと思います。


がんばらなくてもできることが才能であり、やるべきこと。

「がんばらねば」の思い込みを捨て、

その持前のリソースに集中投資するべきなのだと思いました。

人生、そんなに厳しくない


私の「がんばりすぎ病」は根っからのものですが、

人よりも頑張らないと評価されない、というのは確実に思い込みでした。

つまり、

・頑張らなくてもできること(得意なこと)を集中してやり、

・頑張らないとできないもの(苦手なこと)は、やらざるを得ない場合は、「それなりに」やればいい


ということです。


頑張らなくても、息を吸うようにすることで、できること・評価されるものは存在します。

(例えば、Noteは苦ではないですし、絵を描くことも人に教えることも、苦ではない)

あえて荒波と闘わなくても、

自分が向いていることをやればよいのだと思います。

自分の思い込みで

自分自身がここまで苦しめられていたなんて・・・!!!

という気づきでした。


アラフォーのテーマは「楽しく・軽く」


これから10年は最後の労働なので、

FIREまで楽しく、軽く、頑張りすぎず行きたいと思います。

結局、履歴書もキャリアも会社も、自分を救ってはくれないのです。

「がんばらない」をテーマに、

楽しく、ふわーっと、頑張らずに、人とつながりながら生きたいと思います。

やはり、気づくには立ち止まって、休息が必要でしたね。

皆さんの最近の「気づき」は何ですか?

良かったら教えてくださいね。



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