『情事の終り』グレアム・グリーン 感想
こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
ドイツのポーランド侵攻より始まった第二次世界大戦争の只中、1940年5月に英国では反ファシズムの期待からウィンストン・チャーチルが首相として選ばれました。保守党、労働党が並ぶ挙国一致の内閣(第一次チャーチル内閣)を発足し、英国を勝利へ導くと演説し、労働党からの支持を高めます。ドイツの止まらない侵攻に備えることが最重要項目であったため、英国の体制を整えようとしましたが、その発足日にドイツは中立を宣言していたオランダ、そして併せてベルギーに布告なく侵攻します。英国は、オランダ女王ウィルヘルミナ女王を国内へ保護し、オランダを軍総司令官に委任しました。その後も進軍が止まらないドイツ軍にフランス北端ダンケルクまで追い詰められていた英仏連合軍から、チャーチルは英国軍を撤退させて自国の守護を指示します。当然ながら残されたフランスはドイツの猛攻を受け、フランスの北半分を制圧されます。これがドイツの傀儡政権ヴィシー・フランス成立の足掛かりとなりました。ここを拠点としてドイツは英仏を隔てるドーヴァー海峡を越えて空からの侵攻を始めます。次々と落とされるドイツ空軍による爆弾や機銃掃射はロンドンの街を襲い、多くの民間人に恐怖と被害を与えました。英国本土侵攻の前哨戦としての色が強かったこの英国の制空権争いは、英国空軍の活躍と英国民間人による協力体制、まだ中立を保っていたアメリカからの経済的な支援などによってドイツ空軍を疲弊させ、英国本土への上陸を諦めさせました。「バトル・オブ・ブリテン」と呼ばれる激しい航空戦を制した英国は、これらを指揮したチャーチルを強く支持し、第二次世界大戦争が終息するまで体制を維持しました。
グレアム・グリーン(1904-1991)はオックスフォード大学を中退するとジャーナリストの道へと進みます。地方誌ノッティンガム・ジャーナルの副編集者となった彼は、カトリックである女性に惹かれて文通を始めます。彼女との関係は順調に近付いていきましたが、カトリックの教義という面で大きな壁を生んでいました。結婚を意識し始めたグリーンは、彼女を底から理解するためにも自身の改宗は不可欠であると理解し、そのように実行したうえで彼女と婚姻を結びました。その後、職場をタイムズ紙へと移すと、並行するように小説作品の執筆に励みます。これは大衆小説であり、エンターテイメント性が読者に受け入れられ、作家として進んでいく基盤を構築することができました。その中で、彼がカトリックへ改宗したことによる心境の変化、環境の変化、規制の変化、自身の目線の変化、感受性の変化、などが影響して、単純なエンターテイメント小説ではないものを書きたいという欲が生まれます。彼自身、エンターテイメントと小説、という分け方を意識して執筆していたことも後年に明かしています。こうして生まれた「小説」側の作品は、カトリックを中心とした宗教問題を携えており、世間では彼をカトリック小説作家、カトリック教徒の作家、などと呼ぶようになりました。グリーン自身はこの呼び名を望んではいませんでしたが、作品に描かれる主題は宗教問題を背負っているだけでなく、現代世界の矛盾する道徳的な問題、或いは政治的な問題を探求しており、名実ともにカトリック小説の素晴らしい作家であることには変わりありません。本作『情事の終り』は、彼の生み出したカトリック小説で代表的なものであり、それらの問題の核とも言える存在論が繰り広げられている作品です。
小説の舞台は戦時中のロンドン。語り部のモーリス・ベンドリクスは辛辣で皮肉な大衆小説作家で、次作の創作活動の一環として高級官吏の取材を求めていました。徒歩数分に住まうヘンリ・マイルズを対象者として見据えた彼は、その夫人サラァ・マイルズに近付きます。しかし、二人の関係はインタビュアーとしてではなく男女の関係となり、愛を育み始め、濃厚な関係へと変化しました。何度も繰り返される逢瀬によって、ベンドリクスは独占欲が高まっていき、サラァに対して嫉妬心を募らせていきます。彼女の淫蕩は、いずれ対象を変えるのではないか、自身は飽きられて捨てられるのではないか、そのような不安が憎悪へと変化していきます。そのような感情変化でありながらも愛は変わらず育まれ、逢瀬を繰り返していた最中、ドイツの新兵器V 1爆弾が付近に着弾し、ベンドリクスは扉越しに吹き飛ばされました。サラァが近寄って彼の死を確信すると、彼女は崇めたことのない神へ、彼との関係解消を捧げて、彼の生命の復活を祈ります。その祈りを終えた直後に意識を取り戻したベンドリクスが近付きました。彼女は捧げた誓いを守るため、救ったベンドリクスの生命を守るため、関係を解消して彼の前から姿を消そうと努めます。彼女の神への思いは、自身がベンドリクスに会えず苦しめられている気持ちが膨らみ、やがて神に対して憎悪を抱き始めます。しかし、その憎悪はやがて神への愛との対話へと変わり、抱くことのなかったカトリシズムに目覚め、彼女自身がカトリックへの改宗を望むことになりました。それはカトリックの教義によって離婚が成立できないということであり、永遠にベンドリクスと結ばれることはなくなることを意味していました。苦悩が絶えず心を掴んでいた彼女は、やがて病苦に苛まれ床に臥してしまいます。
これらのサラァの感情変化を日記から教えられたベンドリクスは、全てを受け止め、自身の抱いたサラァへの憎悪を恥じ、新たな二人の関係を構築するために奔走しますが、彼女の病苦の方が重く、叶うことなくサラァを見送ることになりました。全てを知ってしまったヘンリもまた、自身が女性を幸せにできなかった後悔と恥の念を抱きながら、打ちひしがれていました。全てを明かされたベンドリクスは、ヘンリに対して徹底的に紳士であり、同情の念さえも表し、そこに憤怒を超えた絆を見たヘンリは、友情を強いものとします。そして、ベンドリクスはサラァを奪い去った「神」に対して強い憎悪を抱きながら、二人で歩んで行きました。
ベンドリクス、ヘンリ、サラァは、世間の様相とは一線を画した世界で生きています。食糧配給の行列を脇目に情事に耽る男女、英国の勝利のために協力しようと尽力する民間人に関心を示さず、爆撃による死は致し方ないものと受け止める投げやりな思考放棄、グリーンの描く三人の世界は「堕落的」であると言えます。しかし、当人たちにしてみれば、それらの重大な事物よりも「愛憎」が優先されており、また、その思考を衰退とは受け止められない回路で動いています。愛憎の燃え上がり、頽廃的な肉体の快楽、信仰を犯す道徳的な罪、精神に入り乱れるこれらは絡み合い、共に堕ちていきます。戦争における肉体と精神は、ある種の腐敗を生み出します。そこには神が介在し、頽廃的な愛を憎悪へと変換させる力を持っています。カトリック信仰という三位一体は、自由主義的、人本主義的な離婚観に対して、神が導き手となった一つの解答を定めています。それは快楽や罪を全て浄化させるとともに、在命時の幸福も併せて消し去ってしまいます。
サラァがヘンリと離婚に至らなかった理由は、現実的な一つの解釈を考え出すことができます。サラァの母が希望を持って最初の夫と離婚をしたが、次の結婚によって更なる不幸を招いたという経緯により受けた印象が、サラァにとって離婚が事態の解決になるという考えが持てなくさせていた、と推測できます。しかし、結果的に離婚を求めないカトリックの意向に沿う行動を取ったことは、サラァの記憶に残らないほどの幼い頃にカトリックの洗礼を受けたという事実が浮かび上がることによって、超常的な力の作用が働いているという考えを呼び起こします。この超常的な力は、探偵の息子の病の快癒、無神論者の赤痣の快癒、と立て続けに発揮され、ベンドリクスとともに読者の心情も「神の存在」を認めざるを得なくなってきます。そしてベンドリクスは「神」へ悲痛な祈りを捧げます。
救いを得るために、神の存在を認めさせようとするカトリックに対して、神を認めたうえで救いを放棄することを願うという痛切な皮肉は、読者の心に強烈な強さで楔を打ち込みます。本作はグリーン自身の実体験も含まれています。カトリックに改宗して結婚した後、別の女性を愛して約二十年間も情事を繰り返していました。カトリックに基づき離婚ができないという苦悩の心理描写は、彼自身が経験したものと重なるものがあると思います。人間にとっての「神」、人間にとっての「幸福」、これらを思い返す良い機会となる作品でした。未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。
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