二十代後半は若いね、を越えて

 "20代で得た知見"
 本屋で平積み置かれていたその本を手に取ったのは酷く昔のように感じられます。
 そう思いながらも本屋でまだその本が平積みをされているのを見ると大変嬉しくなるのです。


 25歳を迎えたとき、歳をとったと感じました。
 しかし30代の人には若いと言われます。
 しかしこれまた33歳の人がまだ若いんだからと50代の人に言われているのを見ました。
 いつまで若いんだ!とツッコミをいれたくなる話ではありますが、
 若いというのはやり直し出来るまだ挽回出来ることを言っていると思います。

 では質問です。
 あなたはいつまでがやり直せる年齢だと思いますか?
 そして貴方はその年齢より若いだろうか?

 僕らはいつ若くなくなるのだろうか


 初めてエッセイを買ったのが"20代で得た知見"であった。
 それまではエッセイなんてもんを買うやつの気がしれなかったし、それを好んで読むなんて馬鹿みたいだと思っていた。
 それなのに何故その本を手に取ったのか、そしてレジに並んでお金を払い買ったのか、今では思い出せない。
 雑に情緒的にいうのであれば

 運命だったのである

 実際的なところを思い出してみればビジネス的な本かと思って買った気がする。
 言ってしまえばタイトルに騙されて買ったのである。まあしかしつまらないことは言わないで運命に導かれてとでもやっぱ言っておこう。少なくとも僕はその本に出会えて読んで心の底から嬉しいのであるから
 僕がnoteでエッセイ染みたこのような文章を書いているは兎にも角にもこの本のせいである。
 言ってしまえば今やっていることの始まりの本であると言える。
 タイトルだけ言って内容をまるで話していないのもなんというかは悪い気がするので内容の僕の良いと思ったところを少し言っていこう。

 この本は「二十代のうちに知っておいたほうがよいことはなんですか」多種多様な人物に訊ねたものを集めたものだそうです。
 しかしはこれは20代のうちに知っておきたかったということはなかったと僕は言っておきたい。これはどうしようもない絆創膏であり、どうしようもない傷であるのです。僕はこの本を読んでいるとき泣きたくなる。それはこの本に出てくる人がどうしても傷だらけであり、そして僕もまた傷だらけなのことを知るからです。そして僕ら皆がキズなんてなかったように過ごすからです。傷付いてないふりが上手くなった。傷を舐めあった過去があった、そんな傷を思い出し、そして知るのです。このどうしようもなく孤独を知る時代に確かに存在しうる仲間たちのことを、
 何かの役に立つなんてことはなく、役に立たせようなんて思うこともない。言ってしまえばいらないモノなのかもしれないそのものども達が存在出来ていることが嬉しいと思うのです。
 そしてそう思わせてくれたのです。

 ちなみにこの作者、fという方のもう一つのエッセイ"いつか別れるでもそれは今日ではない"も大変面白かったですので興味がある方は本屋さんで手にとって軽く読んでみてください。


 さてモノを書くの大変さを知る今この時ですが、しかし伝えたいことがあれば書けなくもないを感じる今日この頃でもあります。
 大変さを知った結果文章を書く人の凄さというのを知った所存でありまして有名な作家さんはもちろんすごいのですが、素人と言えるような人にも凄さを感じることが多くなった所存であります。
 これはテスト中に周りの人達が皆優秀に見える現象なのかなと思い込んで、見栄を張って文字を書き連ねているものです。
 そんな中作家と言われる人達はどういう感覚で書いているのだろうと想像することがあります。そういう人達にもこういう不安はあるのだろうかとかなんとか想像しております。

 最後に僕がモノを書く上で励みにしている文を紹介して終わりにしたいと思います。
 
 "完璧な文章などといったものは存在しない、完璧な絶望が存在しないようにね"
             "風の歌を聴け" 村上春樹  より

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