休職期間中の過ごし方と、うつ治療過程の記録(前半)

自分が「抑うつ状態」と診断され、休職に入ってから寛解まで、どんな治療を受けたり、自分自身にどんな変化があったかの振り返りを投稿します。

※うつ症状の内容や、発症までの過程についてはこちら(前回記事です)。

ネガティブどん底モードに陥ってやむを得ず休職したわけなのですが、

まず治療方針として当初から強く希望していたのは、「なるべく薬に頼らず、自分の性格・気質を根本から改善する治療をしたい」ということです。

当時、まず「うつって、どうやってよくなっていくんだろう?」というのが気になって、ネットや書籍でたくさんエピソードを調べました。その中で、他者の体験談としてよく目にするのが「働きまくっていて、ある日、突然起きたら体が動かなくなっていた」というもの。仕事しすぎてエネルギーが枯渇してしまった、みたいなやつです。この場合、簡単にいうと「決まった薬を飲みながら十分な休養を取ることで、次第に復調していった」という流れがとても多かった。

私の症状は、これとは少し違うなと思っていました。まず少なくとも「起き上がれない」という症状はなかったし、「エネルギー切れで動けない」「頭が働かない」ということはあまりなく、「とにかく気持ちが沈むがゆえに布団から出たくない」「ずっと自分を責め続けて落ち込んでいる」という感覚でした。

自分のうつの原因として、“元々ネガティブなことを考えてしまいがちな気質が、仕事や結婚などを機にどんどん悪化し、その結果、鬱状態になってしまった”と考えていたので、休職して仕事から距離を置いたり、薬でその時の症状を和らげるだけでは、根本的な解決にはならないだろうと思っていたのです。またいつかストレスが大きくなった時に再発するのは避けたかったので、「少しでもストレスを受け流せるように、環境だけじゃなく自分も変わりたい」と強く願っていました。実際、再発する人が一定数いることを踏まえても、ここでしっかり自分と向き合うことはとても重要なんじゃないかと思いました。

病院での治療

さて、診察と治療の内容についてです。

前回の記事でも書きましたが、休職に向けて診断書を早くもらうため、最初は家から少し遠い、初診予約不要の病院を受診しました。

その時の自分の症状としては、不眠(具体的には入眠困難と中途覚醒)・気分の深い落ち込み・食欲不振のほか、無気力症状も見られたという状況です。

その病院の初回診察では、「抑うつ状態」という診断とともに、寝つきをよくするためのリーゼ(クロチアゼパム)という薬を処方されました。

自分が、睡眠薬にやや抵抗があることを伝えたところ、比較的服用タイミングの融通が聞いて、副作用が少ないという説明をされた記憶があります。

この最初の病院は、定期的に通い続けるにはややしんどい距離だったので、最寄りの心療内科にいずれ転院したいという旨は初めから伝えていました。

最寄りの心療内科は家から徒歩5分くらいのところ。通いやすさもそうですが、治療とは別に心理カウンセリングが1回1時間2,000円で受けられるというのも魅力でした。(初回の病院では、50分で8,000円と言われました。内容が全然違うのかもしれませんが、何回も受けるとなると躊躇しますよね。。)

転院先である最寄りの心療内科の予約は、4月に休職してから1ヶ月半後、5月中旬ごろにやっと初回の診察を受けることができました。初回の診察内容は、具体的な症状の他に、職場や家庭の環境、家族構成、家族の精神疾患既往歴の有無、自殺願望の有無など。ここでも同様、薬には若干抵抗があることと、カウンセリングに興味があるという旨は伝えていました。

とはいえ、「まずはお薬の力も借りて今の症状を改善することを最優先に取り組み、症状が落ち着いてきたらカウンセリングなどを始めていきましょう」というのが、そこの先生の方針。

処方された薬は、ミルタザピン(リフレックス)とデエビゴの2種類です。

ミルタザピンは気分の落ち込みを和らげる目的、デエビゴは不眠を改善する目的、だったかと思います。もう半年以上前に断薬しているのでうろ覚えですが。

ミルタザピンは毎晩1/4錠ずつ、デエビゴは不眠がひどい時に飲む、ということでした。ミルタザピンについては、気分に特に「効いてる!!」という感覚を覚えたことはなかったですね。逆にあからさまに効かれても怖いなと思ってたので、別に良いのですが。ただ日中に眠気が続くことがあったので、しばらくしてから量を半分に減らしてもらいました。

不眠対策のデエビゴは、それなりに効きました。ただ、薬がないと眠れない、という風になるのがちょっと怖くて、余程夜に寝付けない限りは手をつけませんでした(薬にビビりすぎ)。結局、数ヶ月の治療期間の中でデエビゴは5回も飲んでいないと思います。笑


薬の服用と並行して当初から行なっていたのが、“週間生活記録表”に1日の内容を記入するというもの。先生が患者の生活状態を把握するために行なっていた感じでした。

簡単な活動内容のほか、1日の起床・就寝時間、食事の時間、外出時間などを1時間単位で記入。あとは、“気分”と“活動”という2つの項目に、それぞれ100段階で数字をつける欄がありました。70%くらいの気力だったら“気分”に70と書く、というイメージです。

薬を服用しつつ、この記録表を毎日書くということをまず行いながら、1~2週間のスパンで通院が始まりました。

診察のたびに、今の症状を聞かれ、投薬の量を決定するという感じでした。とはいえ元々そんなにたくさん服薬しているわけではないので、ミルタザピンの服薬が途中から1日1/4錠から1/8錠に変わったくらいです。1/8錠って、もはや飲んでも飲まなくても一緒では??という感じでしたが、まあ離脱症状とかあるので念のため、ということなんだと思います。(ちなみに錠剤を1/8分割するのはなかなか無理があるので、処方される時は粉の状態にして、小さい袋に1/8に小分けにして渡されます。薬局の方には毎回お手数をおかけしました。笑)

休職中の症状や過ごし方

4月に入って仕事を休んでからは、最低限の家事をしつつ、暇な時間は昼寝したり、ネットサーフィンしたり、本やテレビに興じてみたりと、まあダラダラと過ごしていました。

本は1冊集中して読むことはほとんどできていなかったですね。元々読書好きなわけでもないし、込み入った文章を読むのも苦手なので、うつはあまり関係ないかもしれませんが。ただ、いろんなものにあまり興味を持てなくなった、というのは確かにあったと思います。大体そういう時の相手はスマホでした。

1日中ずっと寝込んでいるということは、当初からあまりありませんでした。やる気がなかったり、不眠や薬の影響?で昼寝をすることはしょっちゅう。あとは、深い落ち込みの波が来て病みモードになったときに、何もできずベッドでうずくまるという感じでした(後述)。

夜の就寝についても、全く眠れないという日はかなり少なく、休職してからは比較的すんなり寝付けるようになったのですが、中途覚醒・早朝覚醒が改善するのには結構時間がかかりました。

深夜0~1時くらいに布団に入って、9~10時ごろに起きるというルーティーンにおいて、

1時に就寝→だいたい2時には寝つける→5~6時に一度目覚める→二度寝→7~8時にまた目覚める

みたいな睡眠リズムでした。なので、5時間ぶっ続けで寝られたら、まだいい方。いかにも浅い睡眠という感じで、熟睡感はなかったですね。ただ仕事を離れたからか、仕事の夢を見ることが減ったのは精神的に楽でした。

起床する時も、気持ちは結構しんどかったです。休職期間に入ってからは、目覚めた瞬間から絶望感を感じるほどのレベルまでは行かなくとも、気力が乗らなくてズルズルと寝ていたい…ということはしょっちゅうでした。朝の散歩が効果的らしいというのはいろんな医療コラムを読んで知っていたけど、元々夜型で朝が苦手なのもあり、ほぼ実践できてませんでしたね。

性欲は明らかに減退してました。夫も体調を慮って、気分悪そうな時に求めてくるということはなかったですけど、私も新婚1年目で完全レスになるのは怖かったのと、拒否することも傷つけそうで申し訳なかったので、気合を入れてなんとか脳内をそのモードにして頑張ったこともあります。

食欲は、徐々に回復という感じでしょうか。体調を崩してから、食事が喉を通りにくくなり、一食分を完食することがまあできなくなってしまったわけですが、これも比較的早く改善したと思います。ただ、食べられるご飯(白米)の量だけは減ったまま、なかなか元に戻りませんでした。なんなら仕事を復帰した後もお茶碗まるまる一杯の完食は難しく、妊娠して安定期に突入した約1年後まで続いたので、これは単にうつの症状だけではなくて年齢的に食べられる量が減っただけかもしれません。

日々の生活で一番しんどくて苦労したのが家事、特に料理です。

夫も在宅勤務なので、朝・昼・晩は基本的に一緒に食べるのですが、昼食・夕食の準備がとにかく気乗りしなくて億劫でした(朝はグラノーラなので特に準備せず)。

食事に関しては、同居した時から特にどっちが作るというルールはなくて、「作れる方が作る」という感じだったのですが、「流石に仕事休んでいて暇な私が作らないとな…」と考えてました。この発想自体うつ患者あるあるです。そもそも休むことが治療であり、しっかり休息をとるための休職なので、本来こんな考え方もしなくて良いのですが、実際に何も家事をせずダラダラ過ごすというのは、うつになるような人こそ難しいんですよね。。夫も本来は家事や料理が苦手なタイプだし、私が作ることを当然期待しているだろうな…と考えていました。もちろん夫本人は「辛い時は無理しなくていいよ」と言ってくれるんですが、その言葉の裏に「できれば作ってほしい」という願望を想像してしまうのです。

「暇なんだから自分が料理しないとな」という思いと、「鬱なんだからもっと察してよ、料理しなくていいってあなたから言ってよ」という思いがごちゃ混ぜになって、イライラしたり落ち込んだりすることは日常茶飯事でした。この辺の家事に対する対処についてはあんまり自分の中で解決してなくて、まあ夫婦生活を送る以上ゼロにすることは難しい気もしますが、いまだに似たようなことでイライラすることが時々あります。今振り返れば、“休職期間”という名目があったあの時こそ、辛いフリして寝込んだりして、思い切って家事を全放棄するということをやっておくんだったなと思います。笑

ちなみに、料理もですが、料理のための買い出しも気乗りしないことが多く、テンションが低いまま出かけることは多々ありました。土日に夫と出かける時になるべく買いだめするようにしていました。

そして自分が最も悩んでいた、気分の落ち込みについては、頻度は減ったものの、週に1~2度は依然として「自分を責めまくる病みモード」がありました。

仕事うんぬんではなく、順風満帆で成功している理想の人生と比べ、悲観的にしかなれない現実の自分にひたすら落ち込み、些細なことで悩んで仕事すらまともにできなくなった自分自身を永遠に責め続ける。そして、「自分は一生こんな気持ちで過ごしていくことしかできないんじゃないか。人生を幸せに穏やかに感じられることなんて、二度とないんじゃないか。」と考える。泣きながらぐるぐると考えること1時間以上…。この病みモードに陥っている時は、とにかく本当に辛いです。何がきっかけでこんな思考回路に陥るのかは明確にできていませんが、夫との些細な会話からだったり、SNSで同世代の楽しそうな投稿を目にしたり、なんとなくボーッと考え事をしているうちにどんどん悪い方向に思索してしまったり、色々です。SNSは、原因としては結構大きかったと思います。

あとは、月に1回あった会社との面談も、間違いなくトリガーになっていました。休職中、slackやメールなど仕事の連絡手段は一切断たれていたのですが、回復状況の共有などを目的として、月1で労務・人事の担当者らとZoomで面談をすることになっていました。正直、仕事に対してはマイナスイメージや苦手意識しかなく、職場に戻るのはとにかく嫌でした。面談を通じ、「この休みが終わったらあの職場に戻らないといけないんだ」という気持ちになり、面談が終わったあとは毎回病みモードに突入していました。というか面談中から既に泣いてましたね。。苦笑

営業ほんとに辞めたかったんですが、上司も会社も、復帰後は営業に戻るという前提で話をしていたし、一度勇気を出して上司に部署異動の可能性について尋ねたところ、まるでそんなことは考えていなかったという風に「体調次第では検討はできると思うけど、基本的には現行部署でまた活躍してもらおうと思っているよ」と返答され、その時点で私もこれ以上あれこれ言う気力がなくなってしまいました。そもそも大企業みたいに異動とかほとんどない会社だし、営業からどこかに異動したとして、他の部署で活躍できるスキルがあるわけではない。事務・補佐的な役職はあるけど、給料が上がるとは思えないし(むしろ下がりそう)、職務のレベルが下がったと感じれば、それはそれで自分のネガティブな性格に響きそうでしたしね…。営業という仕事自体、続けていく自信がなかったので、じゃあ転職するか?ということももちろん考えるのですが、これも同様に、他の職種で給料レベルを維持できるようなスキルを持っていないからどうせ無理だ…今は勉強する気力もない…となり、頭の中で堂々巡りに。

ほんと、鬱を患っている時は余計なこと考えるもんじゃないです。そういうことを考えちゃう病気だから仕方ないんだけど。

こんな感じで、4月に休職してから6月ごろまでは、休職する前よりは若干良くなってはいるけど、しばらくはまだ通常運転からは程遠い状況でした。

ここまで、前半です。後半はこの次の記事で、復帰やカウンセリングについても詳しく書いていきたいと思います。

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