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『親に対して。親が。』もう、伝える気力も消えた。 

『親に対して。親が。…』もう、伝える気力も消えた。 『親、先生(教師)』は絶対的に全て正しいの? part1


物心ついた時から「大人がキライ」だった自分。

自分は物心ついた時から「大人が嫌い」だった。
理由は以前も書いたけど、自分勝手、ずるい、とか、色々。
子どもには立派な大人のいい顔見せるくせに、
陰ではずるいこととかいじめとか、
大人は、子どもには正しいこと を教えて、
自分は、都合がいいように生きている。

「自分は大人、あなたは何も知らない子ども」という
どうすることのできないことを条件に、
「自分たち(親や教師)が絶対に正しい、あなたは間違っている、
子どもは大人の言うことを聞くのが当たり前だ。

気難しくて、子どもらしさのかけらもなかった自分。
子どものくせに、子ども扱いされるのが大キライ。

そんな幼少期からこの上なく面倒なつむは、
そんなちぐはぐなことをする「ずるい」大人たちが大嫌いだった。
だから、自分は大人になりたくない。ってずっと思っていた。

不運なことに、
今回、?というか、もう終わったことにしたい、
ここ最近の事件。嵐のようにつむをぐるぐる振り回して?
巻き込まれていたことも相まって、

自分ももう年齢的には立派な大人に分類されるけど、
やっぱり「大人は嫌い」は、変わらない。というか
より一層増すばかり。

子どもの頃、無条件に「親」「先生」が言うことは正しい。
っと思っていた、言いつけられて、思い込まされていたこと。
「あれはなんだったんだろう」って思ってしまうことが多い今日この頃。
というか毎日。常に。

 (もちろん、世の中全ての先生や親が、自分が言いたいような、
わがまま身勝手な大人、って思っているわけではないです。
自分の周りには、そう思わざるを得ない大人が多かった。ってことだけです
不快な思いをされた方はごめんなさい。)

「親に対してその態度は」「親のなにが不満か」

もちろん、育ててもらったことに感謝。だけど。だから…親に対する不満は許されないの。?

『親』に対しては、絶対的に何歳になっても、なにがあっても、
尊敬の眼差しで、なにをどう言われようとも、
「親が言うことが正しい」「自分が悪い」と素直な気持ちで受け入れないといけないのか。

確かに、何不自由なく大人になるまで育ててもらい、
加えて、
大人になってもスネカジリさせてもらうことになってしまった身としては
おおいに感謝している部分もある。感謝しています。
だけど。…(もやもや…)

正直、自分はちょっと違う考えを持っている。こんな分際だけど。「無知」だけど。

申し訳ないけれど、正直、自分はそうとは思わない。
世の中から見たら当然に、「こんなぐうたらなヤツが何言ってる」、って
思われるかもしれないけど。きっとそうだと思うけど。

いまは引きこもりの自分。
だけど、これまで生きてきた中で学んだこと、
たくさんの本や専門書などで学習したこと、学び方は色々、
そして、そこから自分なりに考えたことも色々だけど。

この歳になってまで、「親が言うことが全て正しい」と無条件に思えるほど
何も経験もせずに、何も考えずに、生きてきたわけじゃない、と
自分では思っている。
もちろん、自分だってまだまだ知らないことがほとんど。
きっと、いつ終わるかわからない人生の中で、世の中のいろんなことは、
とても学びきれないだろうし、必ずしも「正解・不正解」が決まっていることばかりでもない、とも思う。

「無知」

色々なことを知るたび、学ぶたび、考えるたびに、
自分がいかに無知な存在か、思い知る。

自分の親も、
(自分の分際でこんなこと言うのは非常に生意気だとも思うけど)
この歳、この期に及んで、まだ
そんな言葉を枕詞にして。「親子」という絶対的上下関係を理由に
「親が全て正しい」と主張し、
自分はことあるごとに全てを否定され、叱責される。

それでも、自分が思ったことを伝えようとした。少しでいいからわかってほしかった、やっぱり「親」だから。

さすがに。と思って、やんわり、
自分はこう感じた、と「I メッセージ」で伝えてみたり、
こんな本、記事があるよ、とか、いろいろ……
やっぱり親だから、正直、自分の思いもわかってほしいし、
人として気づいてほしい、と
自分なりに思って、試行錯誤して伝えてきたつもり。

でも、「伝わらない」。まるで「噛み合わない」。
バカなお前にそんなことを 言う、思う 資格があるのか、とかなんとか。
必ず怒らせて、結局ボロボロになる自分。

自分もばかだけど、やっぱりそういうのは嫌だな、と思って
やんわり、伝え始めた時点で、親は不機嫌になり始め、
つむへの攻撃、説教へとあっという間に方向転換してしまった。

もう無理みたい。やめよう。悲しいけど。

『もういい。もういいよ。やめよう。』
って思った。
悲しいけど。情けないけど。

永遠に「伝わらない」相手(おや)は、つむが伝えようとしていること、
思っていることを 聞こうとなんかこれっぽちも思ってない。
こんなクズみたいなつむに、指摘されるなんて冗談じゃない。ってことみたい。

『むだ』なんだ。ってやっと心の中で蹴りがついた、というか割り切りはできた、つもり。

親に対して、こういうことは嫌だ。とか、
こういうところは…って思っちゃいけないのかな。
うちの場合は、もう二度と当人には言わけないけど、思っちゃダメなの。

つむはばかだから、ポーカーフェイスが苦手、
要領よく生きるのが苦手だから、
限界を超えると不満さがどうしても「態度」「表情」などに
出てしまう。らしい。自覚もある。

これは練習が必要。だけど。
これも、この「親へのあきらめ」が自分の中に落とし込まれてきたら、
自然と減っていくのかな。
わからないけど、できる限りの我慢をしよう。と思った。

あきらめ、というと、あまり言葉がよくないけど、
いまはスネカジリのどうしようもないつむだけど。
もう、『親は親。子は子。』

それぞれの人生を程よい距離感で、
特に、精神的には距離をとって、
折り合いをつけて、生きていくしかないのだろう。
と、思っている。

とても上から目線、何もできない自分がこんなことを言うのはおかしなことだけど、
親はもう、「子どもと親」という「親」、つまり、
自分が頼るような存在ではなく、優しく見守ってあげる。くらいの気持ち、そういう年齢、関係に変わっていかざるを得ないのかもしれない。とも、思った。

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