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私って傲慢なのかも知れない。傲慢と善良が突き刺さる。

傲慢と善良。読んでみたいなと思っていた本がブックオフに売っていたので買ってみた。
思ったより分厚い!と言う印象だったが、読み進めると手が止まらなかった。

1番突き刺さった言葉。
主人公の婚約者が以前に利用していた結婚相談所の経営者の小野里さんが、相談所に来られる方のうち、なかなか結婚できない人の特徴について話す言葉。
「皆さん謙虚で自己評価が低い一方で、自己愛が強い。」

ゾッとした。自分のことかと思った。そのうち合う人がいる!と言うのも自分を変わらずに愛してくれる人がいつか現れると思っていると言うこと。わたしなんて、、と卑下しているように見せかけて、実はすごく傲慢なのかも知れない。と。

私も実際に、穏やかそうで誠実そうでゆっくりと愛してくれそうな人をよく見かける。そして、主人公の婚約者と同じ田舎に住んでいる。きっとこの人は幸せな家庭を作るんだろうな、と思うことがよくある。しかし、好きにはならない。きっと自分には合わない、私はもっと点数が高いと心の底では思っているのかも知れない。
きっと私は、ここ(地元の田舎)にいる様な、幸せな家庭を築きそうな男性とは合わないと思っていることに自信を持っているのかも知れない。半分見下しているのかも知れない。私自身、そんな価値なんてないのに。


そしてもう一発、ストレートを喰らう。
「ピンとこない」という感覚について。
「ピンとこない、の正体は、その人が自分につけている値段です。」

これも本当にびっくりした、心の底を覗かれたような、全て見透かされているような、半分バカにされているような。
ピンとこない、っていろんなところで思う。物を買う時もそうだし、何かを選ぶとき。
物はまあいいとして、人を選ぶときはこの感覚になってきた人は少なくはないはず(と思いたい)

私も男性と会う時、いい人なんだろうけど、好きになれないと言うことがあった。その時のことを思い出す。いい人。でもピンとこない。
私の中でこの人が100点をつけられなかったと言うこと。
私の点数はまだこんなもんじゃないわ!と思っている。自己評価が低い割に自己愛が強い。何だか、ハートブレイク。

この文章を読んで、夫婦や付き合う人(友達も含めて)は、自分と同じレベル。出会いは鏡なんだよ、と言う言葉を思い出す。
自分の周りの環境は自分が作り出しているもの。
恐ろしくなった。自分が傲慢すぎて。

本を読んでいて思った。私は傲慢だったと。自分の価値を高く見積もりすぎなのかも知れない。と。
そう思った一方で、それと真逆の思考を思い出す。
あなたにはもともと価値があって愛されるべき存在、ピンとくるとか好きとか何となくヤダとかいう自分にしか分からない感覚を大切に。など。こういう甘い言葉もたくさん浴びてきた。そして私の本棚はこういう手の自己啓発系の本が多い。びっくりする。

きっとどちらが間違っているとか、正しいとかもないのだと思う。きっと私の本棚のような言葉ばかりで生きていたら、この本の主人公の婚約者のようになる可能性もある。でも今回の言葉達のような考え方も大切だと思った。
きっとバランスよく、どちらかの考えを信仰して反対意見を打ちのめすのではなく、そういう考えもあるのか!と大きく広い視点で生きていきたいと思った。

善とか悪とか、それは私たちが決めているだけでそれはただの出来事に過ぎないのだから。


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