
宣統帝溥儀とルイ16世
人は死んでまた生まれ変わるのか?
私はなぜか生まれ変わると思っている。そして、まったくの私の感覚だけど、歴史の中に、このタイトルの二人の関係がピッタリ重なった。
以前、ずっとずっと思っていた事をやっと記事に出来た。
ルイ16世が一国の王ではなく、平民としてだったら、本当に穏やかでその才能を存分に発揮できた人生を全うできただろうに、と思った。そして次の人生ではそれを全うするために、またどこかに生まれてくるって思いたかった。
そして私は歴史の教科書の中に、今度はこの人を見つけた。
わずか2歳で皇帝の座に就く人生が始まった彼。
いろんな彼に関するエピソードを読むにつけ、私はなぜかルイ16世と重なった。
本人の希望するしないに容赦しない激動の流れ。
皇帝から、いち庭師に。
私の中で感じるのは、まるでルイ16世が人生をやり直したかったかのように感じた。再度また「王」という立場を設定して、国を守る、国を存続させたいという「王」としての責任を取ろうとしながら時の権力に翻弄され、死刑というモノは免れたものの数々の試練を体験し、一市民的に庭師として生活も体験し、そして最後は「チキンラーメンが食べたい」と言ってその生涯の幕を閉じた。
溥儀自身、とても心の優しい人だったような印象を、情報収集の中で私は感じた。この感じ、どこかで感じた誰かに似てる!!!!そうだ!ルイ16世!!!!
全くの私の中でのインスピレーション。
なぜか私の中で重なる二人。
叶えられなかった思いを成就しようとしたかのような人生。
どうしても、その意識は「王」という立場を経験しなくてはならなかったような。そして今度は、ちゃんと「平民」という立場も学習した。彼なりの前世からの何かステップアップがあったような気がした。そして1967年に その肉体を脱ぎ、きっとまた、次のステージに、その魂は向かっているのだろう、と私は思いをはせずにはいられない。
全くの私の空想の世界です。