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どんなに辛いことがあったとしても、祖母の前では決して、それを見せてはいけないと思っていた。 #我慢に代わる私の選択肢 意識された日常 誰に言われた訳でもないのに、祖母がいる食事の席で私は、いかに毎日楽しくて充実しているのかという話を聞かせることに徹していた。 それは嘘を吐くとか話を盛るとかそういうことではなく、例えば小学生のころ、友達とどんぐりでやじろべえ作っただとか、家庭科で作った炊き込みご飯が美味しかっただとか、そういう「私の世界の日常」を語るのだった。 今思え
私の姪孫の話である。 先日この子の親、つまり私の甥夫婦が流行り病にかかり、その間私の家で預かっていたことがあった。 (姪孫についてはこちらを参照) 姪孫は今2歳。言葉を少しずつ覚え始め、意思表示もしっかり行う。果物を頬張り、野菜に嫌な顔をして吐き出し、お菓子の袋を見つけるとすかさず指をさして「ちょうだい」と言い、あげないでいると泣きやがる。 それなのにむかつくどころか愛嬌たっぷりで憎めない。 ◇ 中でも一番微笑ましかったのは彼女のナルシスト具合だった。なにしろ鏡を見る
この時期になると思い出すことのひとつに、8歳の頃の兄がいる。 絶望 「いやだ!きものきせてくれるって、いったじゃん!」 私が4歳の時の話だ。 近所でやっていた夏祭りにどうしても浴衣を着て行きたくて、私は母の前で泣き喚いていた。 着物と浴衣の区別もついていない、ただ姉たちが楽しそうに着飾る姿を見て「私も」とせがんでいた年齢である。 もともと母が「海にも着せてあげるからね」と約束してくれていたのだけど、二つ上の姉の着付けを終えたタイミングで祖母から連絡が入り、急遽母だけ出か
かつて祖母から「風来坊」と呼ばれたその叔父は、火野正平を彷彿とさせる風貌そのままに、まるで少しずつ山に取り込まれていく仙人のようだった。 全て山の中木曽の王滝村というところで叔父が民宿をやっているというので、両親と妹と私の4人で泊まらせてもらった時の話である。 「自分が住んでいるところが御嶽山の麓だと思っていたけど、よく調べたら一合目よりも高い場所だったんですよね。王滝村って、山の下じゃなくて、山の中にあるんです」 車を運転しながら、叔父がそう案内する。身内であり歳下の私
母と私で、親子関係に対しての考え方が違っていて面白かったので、つい記録。 ミセス心配性私が「実は低血圧だった」ということを知ってから、母は朝寝ている私の腕に血圧計を巻き付けて、勝手に計測するようになった。 毎回「最高血圧95!最低血圧65!今日も低いね!」と計測結果を大声で言い捨てて去っていくその姿を見れば、寝起きのダルさがあろうとこちらも笑わずにはいられない。 思えばそもそも母は根が「ミセス心配性」なのだ。 兄夫婦が喧嘩したとあらば、車で1時間かけてその家に行って仲裁役
今、少しだけ疲れて、少しだけ自信をなくしているあなたに、ちょっとだけ立ち止まって読んでほしい。あなたは7人兄弟の末っ子で、昔から口下手で大人しくて、でも誰よりも激しい情熱を胸に秘めた、そんな子だった。 後悔 私は幼少期のあなたの声を思い出せない。 あなたはいつもじっと周りを観察して、自分から進んで何かをすることはあまりなかった。だけどその分、周りの兄弟たちが取る行動全てに、笑顔で応えていたと思う。 私が自分の言葉をうまく伝えられなくて大声で泣きわめいていた時でさえ、あなた
控え目な家電 小学生のころ、友達の家にあった三合炊きの炊飯器を見て「●ちゃん家の炊飯器小さいね、変なのー」と悪気なく言ったことがあった。 だけど世間一般的には、一升炊きの炊飯器を所有している家庭の方が少ないらしかった。 カレーやシチューを作るとき、ルーは必ず二箱入れた上で、水でもっと薄めて一気に30皿くらいの分量を作った。必然的に学校の家庭科室にあるような大鍋を使っていたけど、他の家では、うちがミルクパンとして使っている鍋のサイズでこと足りるようだった。 こんな感じで、普
「家財一切流されて何もなくなっても、米と味噌さえあれば生きられる。お金を稼ぐ力も必要かもしれないけど、もっと大事なのはどんな状況になっても生き抜く力なんだよ。」 母は昔から、こういうことを子供達によく言って聞かせる人だった。 思い付いたかのように 今から20年以上前、私の小学校2年生の夏休み。 いきなり兄弟たちを庭に集めて母は言い放った。 「今日からみんなでサバイバルをしよう。この2日間は庭で生活。家の中には絶対に入っちゃだめ。」 事前に何も聞かされていないし、何も
同じ番号を継いだとき、少し誇らしくて嬉しくて、背中から目一杯、その力に肖った。 #背番号のストーリー 自由に遊べる姉 私の二つ年上の姉、つまり「7人兄弟の5番目の子」は中学時代、バスケ部の副キャプテンだった。 そして私が記憶している中で、彼女のドリブルは贔屓目抜きで心地が良かった。もちろんそのスピードも、多彩さも。 床との距離5cmも行かない低さで彼女がボールを弾ませていたかと思えば、あっという間に相手の身長よりも高くボールを上げ、その目線を盗んだ刹那、相手の股の下
本当に当たり前すぎて忘れてしまうのだけど、「モノ」に対する価値観も「大事」の定義も人それぞれだということを、母を見ているとすごく感じる時がある。 ◆◇◆ ケチャップにお茶、味噌汁に入っていた大根、そしてなぜか1m以上先のご飯つぶ。 2歳の甥っ子との食事(ならびに戦闘)は大体こんなもので、その日も「たくさん食べたね」と母は嬉しそうにテーブルを拭いていた。 だけどそのとき、私は目撃してしまったのだ。 見覚えのあるアルファベットの「H」を。 そしてそのまま、決して大げさで
. "あーちゃんとかんちゃんのおじいちゃん、つまりトトが、子どもだったころの話をしよっか。 トトの名前は知ってるかな? そう、マコト。 マコトには1つ違いの弟のヒトシってのがいる。 これは小学生だった2人の、ちょっとした「しかえし」のお話。" ゴロ、ゴロ、ゴロ ある日、次男のヒトシは、夜中にハッと目が覚めました。 お尻には、じーんわりと暖かくて、懐かしい感触。 そうなんです、ヒトシは小学5年生にもなって、おもらしをしてしまったのです。 あーやっちまった。 兄弟にバレ
noteを始めて3週間ほど経ちます。 今さらながら自己紹介記載していこうと思います。よろしくお願いします。 経歴 高校卒業 → 飲食店ホール社員2年 → 大学進学&中退 → フリーター1年 → 都内ベンチャー企業勤務(リテール営業/法人営業/営業企画/人事教育)6年弱 ・ドキュメント作成(各種記事 、Googleスライド/スプレッドシート/PowerPoint etc.)とそれに付随する運用設計、推進は得意な方 ・好きなことは色んな人の考え方に触れる
祖母との電話は、いつだって一往復しかさせてもらえない。 93歳 団地暮らし 彼女は都内で一人暮らしをしていて、未だに家事も全て自分でこなす快活なばあさんだ。たまにヘルパーさんも来てくれているようだけど、週3回の透析を受けながらも、料理や編み物、ご近所付き合いと、忙しそうな毎日を送っている。 ちなみに「おばあちゃんね、もう先が長くないのよ」と弱気発言をしてからかれこれ20年は経過していて、その記録はまだこの先も更新されそうである。 とはいえ年齢が年齢だけに、「趣味 入