最果てにて
かつて祖母から「風来坊」と呼ばれたその叔父は、火野正平を彷彿とさせる風貌そのままに、まるで少しずつ山に取り込まれていく仙人のようだった。
全て山の中
木曽の王滝村というところで叔父が民宿をやっているというので、両親と妹と私の4人で泊まらせてもらった時の話である。
「自分が住んでいるところが御嶽山の麓だと思っていたけど、よく調べたら一合目よりも高い場所だったんですよね。王滝村って、山の下じゃなくて、山の中にあるんです」
車を運転しながら、叔父がそう案内する。身内であり歳下の私に対しても敬語を使うその姿を見て、普段からこうやって、ここにきた人に道案内をしているのだろうと思った。
御嶽山の山体崩壊が見える場所、滝が流れる沢の裏、新緑が綺麗だったと語る道。
「王滝村に行って帰ってくるためには、この道を通るしかないんですよ。村の先が山だから。行きも帰りも、同じ道」
ふーん、と相槌をうちながら、私はこの人のここでの生活を想像した。「しっくり来ている」、のだと思う。
「そうだ、おばちゃんから伝言。『LINE返信しろ』ってさ。最近病院で検査したり色々してたみたいだから。私も心配ではあるし、連絡取ってあげてね」
この叔父の「元」連れ合い、つまりこの人と別れた私の叔母からのことづてを、脈絡なく助手席から伝える。もちろん叔母が伝えたい中身も知っていたけど、ここであえて明言しなくてもいいだろう。
それに対して「ああ」とだけ返事をする叔父を見てなんとなく、叔母がこの人を想っているようには、この人は叔母のことを想ってはいないのだろうと感じた。
少し寂しくはあったが、それでもいいと思った。この人はもう、その身も魂も込みで、この場所で生きている。
行きも帰りも、同じ道。
なぜか叔父が放ったそのフレーズだけが脳内にこびりついて、しばらく離れなかった。
懸想と妄想
いつからそうだったのかは覚えていないけど、叔父は実に私と波長が合う人間だった。
「周りの人間は全員敵だ」と思い込んで尖っていた私の10代を思えば、お互いを尊重し合い、その話に共感できた叔父の存在は割と特別だったのではないかと思う。母には失礼な話だが、いっとき「私の本当の父親はこの人なんじゃなかろうか」と勘ぐる程度には、彼と会って話をするたびに、カチリと音を立てて歯車が合う感覚をよく持った。
実際そんなドラマみたいな事実はなかったけど、なぜか私の成人式には両親ではなくその叔父に会場まで送ってもらったし(着飾った振袖女とグラサンの火野正平が軽トラで会場に乗り込む姿はなかなか様になっていた)、毎度正月や盆になると、私は自然と叔父の姿を祖母の家に探すのだった。
そんな大事な存在、だからだろうか。
叔父が失踪した時も、逆に生きているということが分かった時も、私は大して驚きはしなかった。
叔父は私にとってはただの「一人の人間」でしかない。新しい土地で生きるも死ぬも、全て叔父の自由である。「置いてきた人たち」を気にしなくていいーー。
私はずっと、そういったことを叔父に伝えたかったのかもしれない。
風来坊は、それを受容する人間がいてこそ初めて風来坊たらしめる。そんなことを生意気にも、私はずっと考えていた。
トーチに火を灯せ
夜、叔父の民宿仲間だという女性も合流して、たき火を囲みながら実に色んなことを語らった。
村では1万円で2LDKの部屋が借りられること。
叔父がここでは「王滝村のツチノコ」と呼ばれていること。
民宿仲間の女性の幼少期のこと、沖縄の島での生活を経てなぜ今ここにいるのかということ。
そして御嶽山がどれだけ叔父を助け、絶対的な存在であるかということ。
語らう中で私はひとつ、叔父に嘘をついた。
本当は叔父が叔母と離婚した理由も、家族との連絡を一切絶って失踪した理由も、人から逃れるようにこの地に行き着いた理由も、全て知っている。
でも「知っている」だけで、本人の口からそれが私に対して語られない以上、私は知らない側の人間でいいし、私にはそんなことは大した問題ではなかった。
「私はおじちゃんが過去に何をしてしまったのかは知らないよ。だけど、
たとえおじちゃんが社長になって事業を成功させようと、どっかで浮浪者になっていようと、私のおじちゃんに対しての感じ方も接し方も評価さえも、何ひとつ変わらないからね」
それだけは紛れもない事実だった。
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御嶽山は来る者を拒まない代わりに、その人のとても大事な何かを掴んで離さない、文字通り「取り込まれる」感覚を生む不思議な山だ。
「自分と違う価値観を持っているというだけで、尊敬に値する。だから俺は、若い人にも敬語で話すんだと思う」
帰り際に叔父はそう言っていた。
行きも帰りも同じ道を通るしかないこの場所で、叔父はこの先もここに留まり、色んな人と出会い、見える景色だけを変えてゆくのだろう。
神社の451の階段を昇りながら「早く彼女作りなよ」と私が声をかけたことも、民宿仲間の女性と火を囲みながら「2人は付き合ってたことがあるの?」とうそぶいたことも。その生意気さを含めて、彼は私の意図を汲んでくれただろうか。
そうでなくても私は彼が生きている限り、これからも無条件に彼を受容していこう。