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森逸崎さん家。

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7人兄弟(女女女男女女女)や家族の日常と人間模様に関してのエッセイ。一番上は40歳、一番下は26歳、私は6番目
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人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲くなり

どんなに辛いことがあったとしても、祖母の前では決して、それを見せてはいけないと思っていた。 #我慢に代わる私の選択肢 意識された日常 誰に言われた訳でもないのに、祖母がいる食事の席で私は、いかに毎日楽しくて充実しているのかという話を聞かせることに徹していた。 それは嘘を吐くとか話を盛るとかそういうことではなく、例えば小学生のころ、友達とどんぐりでやじろべえ作っただとか、家庭科で作った炊き込みご飯が美味しかっただとか、そういう「私の世界の日常」を語るのだった。 今思え

根こそぎ増やしてもらいたい。

妹の話である。 先日、日本橋の七福神参りに行ってきた。 ◇ 七福神参りは全国各地にあるようだけど、日本橋のは「笠間稲荷神社」「末広神社」「松野神社」「水天宮」「茶の木神社」「小綱神社」「福森神社」をぐるりとお参りする、歩いて1時間半程度のコースだ。 その2つ目に回った末広神社でのこと。 境内に御幣の付いた小さな石があって、そこにはこんな貼り紙がされていた。 見てみると誰かが持ち帰り忘れたのか、10円玉が落ちている。連想するに、石の上に置くのは小銭だと私は心得た。 す

仔犬、もらってください。

たまに漫画で「1匹だけぽつんと」捨てられた犬を拾う描写を見かけるが、田舎育ちの私からすれば、あんなリアリティに欠けるシーンはない。 実際に捨てられる時はいつだって5〜6匹、兄弟全員一緒なのである。 山道にて桑の実だとか山ブドウだとか文字通り道草食いまくってた小学生時代の通学路には、少なくとも1年に1回、段ボールが無造作に置かれていたことがあった。 大抵その中身は目も開いていない仔犬や仔猫だったのだけど、それを見つけた時、私たち子供が次に取るべきアクションは不思議と決まっ

かわいい、は誰?

私の姪孫の話である。 先日この子の親、つまり私の甥夫婦が流行り病にかかり、その間私の家で預かっていたことがあった。 (姪孫についてはこちらを参照) 姪孫は今2歳。言葉を少しずつ覚え始め、意思表示もしっかり行う。果物を頬張り、野菜に嫌な顔をして吐き出し、お菓子の袋を見つけるとすかさず指をさして「ちょうだい」と言い、あげないでいると泣きやがる。 それなのにむかつくどころか愛嬌たっぷりで憎めない。 ◇ 中でも一番微笑ましかったのは彼女のナルシスト具合だった。なにしろ鏡を見る

手塚治虫ファンにしか伝わらない、7人兄弟の名付け方

自分たちの名前に規則性なんてないとずっと思っていた。 例えば「一郎・次郎・三郎」みたいな数字シリーズだとか、「あおい・しおり・さくら」みたいなお花シリーズだとか。兄弟の強い繋がりを感じる名前のそれに、小さい頃は憧れを抱いていたものである。 ◇◆◇ 「ねえ、なんでうちの兄弟の名前はみんなバラバラなの?どうやって決めたの?」 いつだったか、末の妹が両親に聞いていたことがあった。私と同様、妹も名前の規則性について思うことがあったらしい。 「え?全員、手塚治虫モデルだよ」 「へ

"So Long, Farewell."

生意気な妹が、2番目の姉に対してできること。 比較ではなく 「海みたいに、結婚したり子供を持たないでパートナーって形で一緒に居たい人といた方が、いくらかやりたいことも思いっきりできたかもしれないね」 そう言いながらコーヒーを啜る姉に、私は何も言えなくなってしまった。 そりゃ私と私のツレは、今後籍を入れることも子供を持つこともしないだろうけど。 今がとても幸せだと前置きをしながらも、3人の子育てに追われ、毎日仕事と家事で自分ひとりの時間を持つことが困難な環境を聞くと、そ

無言の帷子《かたびら》

この時期になると思い出すことのひとつに、8歳の頃の兄がいる。 絶望 「いやだ!きものきせてくれるって、いったじゃん!」 私が4歳の時の話だ。 近所でやっていた夏祭りにどうしても浴衣を着て行きたくて、私は母の前で泣き喚いていた。 着物と浴衣の区別もついていない、ただ姉たちが楽しそうに着飾る姿を見て「私も」とせがんでいた年齢である。 もともと母が「海にも着せてあげるからね」と約束してくれていたのだけど、二つ上の姉の着付けを終えたタイミングで祖母から連絡が入り、急遽母だけ出か

最果てにて

かつて祖母から「風来坊」と呼ばれたその叔父は、火野正平を彷彿とさせる風貌そのままに、まるで少しずつ山に取り込まれていく仙人のようだった。 全て山の中木曽の王滝村というところで叔父が民宿をやっているというので、両親と妹と私の4人で泊まらせてもらった時の話である。 「自分が住んでいるところが御嶽山の麓だと思っていたけど、よく調べたら一合目よりも高い場所だったんですよね。王滝村って、山の下じゃなくて、山の中にあるんです」 車を運転しながら、叔父がそう案内する。身内であり歳下の私

36歳でおばあちゃんになった姉の話

遅かれ早かれそのポジションにつくとは思うけど、一体誰が、働き盛りの姉に孫ができるなんてことを想像できただろうか。 我、姪孫なり 姉に孫ができた。 連れ子とかそういうことではなく、紛れもなく直接の姉の孫、つまり姉の子供の子供である。 割とシンプルな話で、姉は16歳で息子を産み、そしてその息子も20歳で結婚して娘が生まれた、という次第。 いや早えよ。姉ちゃんまだ36だよ。 そして姉の孫って、私にとっての何なのよ。 ググったら出てきたのが「姪孫」という呼び名だった。自分の甥

それでも、親子は一生「親子」なんだよ。

母と私で、親子関係に対しての考え方が違っていて面白かったので、つい記録。 ミセス心配性私が「実は低血圧だった」ということを知ってから、母は朝寝ている私の腕に血圧計を巻き付けて、勝手に計測するようになった。 毎回「最高血圧95!最低血圧65!今日も低いね!」と計測結果を大声で言い捨てて去っていくその姿を見れば、寝起きのダルさがあろうとこちらも笑わずにはいられない。 思えばそもそも母は根が「ミセス心配性」なのだ。 兄夫婦が喧嘩したとあらば、車で1時間かけてその家に行って仲裁役

6人分の人生を見ながら生きるあなたへ。

今、少しだけ疲れて、少しだけ自信をなくしているあなたに、ちょっとだけ立ち止まって読んでほしい。あなたは7人兄弟の末っ子で、昔から口下手で大人しくて、でも誰よりも激しい情熱を胸に秘めた、そんな子だった。 後悔 私は幼少期のあなたの声を思い出せない。 あなたはいつもじっと周りを観察して、自分から進んで何かをすることはあまりなかった。だけどその分、周りの兄弟たちが取る行動全てに、笑顔で応えていたと思う。 私が自分の言葉をうまく伝えられなくて大声で泣きわめいていた時でさえ、あなた

お好み焼きをナイフとフォークで食べるのは、どうやらウチだけらしい

控え目な家電 小学生のころ、友達の家にあった三合炊きの炊飯器を見て「●ちゃん家の炊飯器小さいね、変なのー」と悪気なく言ったことがあった。 だけど世間一般的には、一升炊きの炊飯器を所有している家庭の方が少ないらしかった。 カレーやシチューを作るとき、ルーは必ず二箱入れた上で、水でもっと薄めて一気に30皿くらいの分量を作った。必然的に学校の家庭科室にあるような大鍋を使っていたけど、他の家では、うちがミルクパンとして使っている鍋のサイズでこと足りるようだった。 こんな感じで、普

森逸崎家、地獄のサバイバル事件

「家財一切流されて何もなくなっても、米と味噌さえあれば生きられる。お金を稼ぐ力も必要かもしれないけど、もっと大事なのはどんな状況になっても生き抜く力なんだよ。」  母は昔から、こういうことを子供達によく言って聞かせる人だった。 思い付いたかのように 今から20年以上前、私の小学校2年生の夏休み。 いきなり兄弟たちを庭に集めて母は言い放った。 「今日からみんなでサバイバルをしよう。この2日間は庭で生活。家の中には絶対に入っちゃだめ。」 事前に何も聞かされていないし、何も

背負うだけで、強くなれる気がした

同じ番号を継いだとき、少し誇らしくて嬉しくて、背中から目一杯、その力に肖った。 #背番号のストーリー 自由に遊べる姉 私の二つ年上の姉、つまり「7人兄弟の5番目の子」は中学時代、バスケ部の副キャプテンだった。 そして私が記憶している中で、彼女のドリブルは贔屓目抜きで心地が良かった。もちろんそのスピードも、多彩さも。 床との距離5cmも行かない低さで彼女がボールを弾ませていたかと思えば、あっという間に相手の身長よりも高くボールを上げ、その目線を盗んだ刹那、相手の股の下