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"So Long, Farewell."

生意気な妹が、2番目の姉に対してできること。

比較ではなく

「海みたいに、結婚したり子供を持たないでパートナーって形で一緒に居たい人といた方が、いくらかやりたいことも思いっきりできたかもしれないね」

そう言いながらコーヒーを啜る姉に、私は何も言えなくなってしまった。
そりゃ私と私のツレは、今後籍を入れることも子供を持つこともしないだろうけど。

今がとても幸せだと前置きをしながらも、3人の子育てに追われ、毎日仕事と家事で自分ひとりの時間を持つことが困難な環境を聞くと、その吐露も理解せざるを得ない。
「やりたいことがあるならやっちゃえばいいじゃん」なんて言葉は、タイミングを間違えれば相手のストレスにしかならないのだ。

「でも、分かってるのよ。今は子育てを頑張る時期ってことも。子供達もまだ小さいしね」
と姉は続けて言った。

折り合い、だ。

「ないものねだり」とも「隣の芝が青い」とも少し違う。
きっと誰と比較するでもなく、本人が自分で自分と決着をつけない限り、早かれ遅かれ同じ言葉を聞くのだろう。

少しだけネガティブな感情を含んだ姉の折り合いに、私は「そっか」と小さく頷くことしかできなかった。



DNA

森逸崎家は昔から、やたら歌ったり踊ったりするのが好きな家族だった。

誰か一人が歌を歌い始めたら自然と別の誰かがハモり出すというのは、歌好きな兄弟がいる家庭ではよくある話だ。

その日常に加えて、長女の結婚式の時なんかは他の6人で「天使にラブソングを」の『I will follow him』を歌ったし、私が6歳くらいの頃、いとこの結婚式では「サウンド・オブ・ミュージック」の『So Long, Farewell』を7人でダンス付きで披露した。

「Good bye」という歌詞で終わる後者は少なくとも結婚式にマッチする曲ではないことは確かだけど、下の3人が姉たちの背中から『クックー』と言いながらひょこっと顔を出す様は、本家さながら、あざとさ全開で会場の「可愛い」を欲しいままにした。

思春期の子供たちが多くいる中で「恥ずかしい」とかそういう感情抜きにみんなで参加していたことだったり、各自がダンス部・よさこいサークル・声楽部エトセトラに所属していたことを考えると、私たち兄弟にはきっと何かしらそういった類・・・・・・のDNAが組み込まれているに違いない。

中でも7人のうちの2番目の姉、つまり次女は特に歌が上手かった。


気がついたら、今

彼女は持ち前の声質の良さに加えて、声量もある。『So Long, Farewell』を始めとして兄弟で歌う時は必ず見せ場キリングパートを任されたし、めったに子供達を褒めない父が、姉が合唱コンクールや声楽部の発表でソロを歌った時には、涙を流しながら賞賛したりもした。
学校の先生からも、コンクールの審査員からも、この先も歌い続けるよう言われていた。

だけど姉は、そういった道に進むどころではなかった。

彼女自身がまだ公言しない部分も多くあるから詳細は記載しないけど、簡単にいうと、高校時代に付き合っていた人に殺されかけたり、大学では学生団体を名乗る宗教に引っかかって抜け出すのに苦労したり、その後ネットワークビジネスに没入したこともあった。

27で結婚して、子宝にも恵まれ、「最高の旦那なわけよ」「子供たちが可愛いわけよ」と私たち兄弟に対して言っている姿を見て、なんだかんだで彼女なりの幸せを掴んでいたように思えた。

人の良さと素直さで引き起こされる色んなことに対して強くその瞬間乗り越えて、気が付いたら、今なのだ。



昔思い描いていたもの

冒頭の姉の話を聞いて、本人のやりたがっていたことについて思いを馳せたとき、彼女が26歳くらいの頃「本当は私、ラジオのパーソナリティをやってみたかったんだよね」と言っていたことを思い出した。
ちょうど私が進路に迷っていて、相談に乗ってもらった時だ。その年齢で「本当は」と自分の夢を諦めていたあたり、姉のどろりとした若さを感じてしまう。

やりたいことの方面が歌ではないことに対して意外性を感じつつ、その理由を聞くと姉は言った。

「声の仕事がやりたいの。この声で、誰かに何かを伝える仕事が」

ああ、そうだった。
さらりと透き通る声、ハキハキと聞き取りやすい発音。それはとても彼女の才を活かした仕事だと私は改めて思った。



今はいろんなツールがある。仕事という形でなくとも、「趣味のプロ化」だってできる。仕事や子育てをしながら、やりたいことを実現している人もたくさん知っている。

だけど、その全てが、本人がポジティブな折り合いをつけることができたらという前提のもとにある。

やりたいことを我慢するのではなく、実現するために必要な整理。

その整理について「迂闊に手を出すことはできない」と思いながら、同時に姉に、何歳になってもどんな環境にあっても、実現してほしいと願う私もいる。


スマホを出して、姉にLINEを送る。

「子供たちが夏休みに入ったらさ、しばらく全員を実家に預ける気ない?海おばちゃん、姪っ子ロスなのよ」

彼女が、母や妻というポジションを抜け出して、ひとりの人間としての時間をゆっくり過ごせるように。
余計なお世話だろうけど、今の私ができるのはこれくらいだ。

So Long, Farewell
(ごきげんよう、さようなら)

自分と向き合って、自分の声を聞いて、自分と出会って、自分と別れて。
どんなに時間がかかったとしても、私は姉のやりたいことができるように応援しよう。


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