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「生命の円環」

 ぼくがまだ産まれる前、まだ受精卵でもなく、まして精子と卵子として発見されるより遙か前、ぼくは死すら包括する円環の中でただただひたすらに時間が過ぎるのを待ち続けその時が来るのを待ち侘びていた。

 その間、同時にぼくは死そのものであり死者でもあり未知なる生命の予兆でもあったが、生物では決してない、曖昧でしかし確かな存在として地球でも宇宙でもない、有限も無限もない空間を浮遊するだけの何かであった。
 この事実は胎内に居る時の記憶があるとか誕生の瞬間の情景を蕩々と語るといった非科学的なものではなく、純粋で泉野の源泉のように透明なもの、即ち現実リアリティだ。

 ぼくがやがて産まれやがて死ぬ時に、その瞬間に、初めて生命の円環は円環としての機能を稼働し始め、ベルトコンベアかエレベーターないしはエスカレーターのように、再びあの場所へ、あの空間へと還してくれるのだろう。少なくとも、ぼくはそう確信している。何故なら人間のみならず全ての生命が、生命体が、この太陽系・宇宙・銀河系・ダークマター、何とでも形容できるが、その全てにおいて連綿と繰り返されてきた営みであり、それは貴方が今この文章を読んでいるという事実に裏打ちされる真実、トゥルースではなくファクトである。

(了)


※懺悔※

 読む人が読めば分かるかもしれないんですが(むしろ分かれ)、本稿は僕の尊敬してやまない心の師匠、フランスのノーベル文学賞作家ル・クレジオ大先生の随筆「物質的恍惚(←このセンス)」の冒頭からまんまパk——インスパイアされて書いたものです。通じる方が居たら嬉しいんですが。つか全く及んでないんですが。

 最近こういう硬めの文章書いてなかったんで、リハビリとして書いてみました(これ伏線な)。
 お気に召したらリアクションお願い申し上げます。むせび泣いて喜びます。あとクレジオ先生をご存知とか愛読されている方ってだけでお友達から始めたいです(僕は初期作しか通読していませんが)。

 以上、裏話=懺悔でした!

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灰崎凛音
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