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150.思春期×更年期。そして家族の病。
私が病みだした思春期の頃、あの頃の我が家には、ひとつ屋根の下、『更年期』と、『思春期』と、『障がい者』と、『高齢者』が同居していました。
当時、母はひとりで『思春期』の私と、『障がい者』の兄と、『高齢者』で心臓病もちの祖母と気難しい祖父、単身赴任中ながらも洗濯など身の回りのことは母まかせの父の世話をしていました。
母自身が更年期真っ只中で、症状も重く辛い時期に、5人の面倒をみていたなんて(・_・;)
(先日ふとそう思ったのです💦そう思うと母はホントに凄かった💦)
様々な個人の力ではどうにもならない現実が掛け合わされて、我が家は我が家となりました。
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障がいをもって生まれた長男。
健常者の子供が欲しかった父の念願が叶い、家族のもとには6歳年の離れた女の子が生まれました。
身近な親戚に女の子がいなかったこともあり、家族、親戚から蝶よ花よと可愛がられスクスクと成長しました。
(体系も人並み以上に育ちました。完全に食べすぎと運動不足!)
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望んで手に入らなかった物はないかもしれません。
そのくらい、なんでも与えられ、我慢と不自由を知らずに育ちました。
「自分が苦労したから、娘には、不自由な思いをさせたくない!」
母の想いの強さは相当なものでした。
母のこだわりは凄いものでした。
着るもの、食べるもの、規則正しい健康的な生活。
全ては娘のため。
家族の為。
父が近くにいない、家族のことを任された母の頑張りは相当なものだったと思います。
その長年の頑張りのせいなのか、更年期の症状がおそらく人より重く、とても辛そうでした。(火照りや眩暈、急に噴き出す汗、体温調整がうまくできない、坂道にたつと平衡感覚がわからなくなって気持ち悪くなる、当時そのような症状に悩まされていました。)
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当時、娘には娘の想いがあり、母には母の想いがあったわけですが、娘は精神疾患、母は躁鬱症状と糖尿病を患ってその後の人生を生きるわけです。
そして、どれだけの集中と情熱で仕事をしても、父の収入は娘と妻の治療費に使われ続けた、のです。
個人の力ではどうにもならない現実の掛け合わせ、それを『家族の病』と呼ぶのでしょう。
家族全員で治療、回復を目指すことは難しいと思います。
しかし、一人の回復・成長が家族に及ぼす影響はとても大きい。
波紋が広がるように、良い影響は広がっていきます。
波紋の広がりを信じて、今日も自身のことに集中する、それが大事☆そう思います(^-^)