【自己紹介】アホと言われないための人生
皆さんこんにちは。
結構noteは書いてはいたのですが、自己紹介をまだしていないなと思い、僕の壮大な人生をおもむろに書かせていただきます。よろしくお願いいたします。
僕は、恩送り人です。
初めて聞いた人もいるんじゃないですかね。「恩送り」というワード。
僕もある就活エージェントの人から貰うまでは聞いたことなかったです。
いきなりなんやねん・どうゆうこっちゃって感じなので、
意図だけ先にお伝えしておきます。
この記事を読めば
アホと呼ばれないように頑張って生きてきた僕という人間を知れます。そして何事にも感謝をするべきだなと感じてもらえます。
恩送りの定義を先に伝えておくと、自分から・相手からもらったGiveと言う名の「恩」を、また違う誰かにGiveをするということです。
なんでそうなったんかとかそうなっていきたいかとか、見ればわかるかと思います。
こんな人に読んでもらいたい
こんなやつができたんなら僕/私もできるかなって思ってもらえるのが一番嬉しいです。
興味があるところだけ読んでくれて結構ですので、個人差はあると思いますが5分-10分で読めると思います。
サクサクっと、マンガを読むようにパラパラでもいいので見ていってください。
①箇条書きエクストリーム自己紹介スタートやで
・日本は大阪に、約4000gの男がオンギャーって生まれる
・親に2歳で空手を習わされる
・空手の練習に行きたくなさ過ぎて、道場でもすぐオンギャーする幼いやつ
・泣き虫でも、なんやかんやで目立ちたがりの人
・幼稚園であほなことをしていることが多く、先生に怒られるの繰り返し
・家では、親が共働きで、おじいおばあっ子
・僕は昔、親の仕事のストレスの捌け口で、おかんに生意気な口をきくと強めに捻り潰される事が当たり前になっていた(要は虐待)
→毎回毎回おじいとおばあが助けてくれていた(神様やった)
→おじいちゃんは良くはしてくれていたが、怒らせたらボコボコにしてくるそんな人
・おとんはそのストレスをおかんに当てていた(おとんの八つ当たりを止めてからやめるようになった)
・小学校では、成績は余裕で取っている方だったが、やんちゃ坊主で1年時にいきり散らかして嫌がらせをしてくる6年生に喧嘩をしに行く。
ボコボコするorされるのがいつものオチだったが、一年時の先生だけは僕の味方でいてくれた。
・小学校はえぐいいじられキャラで言われても笑うタイプだったが、その時はぐっと堪えて、逆に相手を笑かしていたが耐えられない日々だった。
・その面白キャラが定着し、女子などに注目されて一気に恥ずかしくなり、コミュニケーションの取り方も忘れる、コミュ障陰キャに成り下がる。いじられキャラも受け入れられない。
・僕には妹がいるのだが、彼女も空手をし始め、才能がある妹と比べられる日々
→親には「お前にはもう無理や、才能もないし辞めろ」など精神的にも追いつめてくる否定人間。「あほ」が口癖(ほんま酷い親を持ったと思ってます笑)
・それでも続けて、見返してやるために死ぬ気で練習して、ほとんど負けない奴にはなって行った。(ただの負けず嫌い笑)
→その時の全国一位といい勝負をして、道場のヒーローになっていたし、全国一位の人をダウンさせるぐらいになっていた
・先生からも言ってくるほどいじられキャラになって、授業で間違えれば死ぬほど全員から笑われていた。
・特に印象深いのは合唱コンクールで真面目に歌っていて時の事。動画撮影されていたようで、それを皆で見返した時に、真剣に歌っているまつもとを見ては大笑いされていた。(僕は何をするにも笑われる人なんやってなったら何もできなくなるやんって想ってただけ)
・そんないじってくる先生になぜか掃除中に押されて続けて、しまいには窓際まで行って、頭からガラス窓に突っ込んで、ガラス窓がバリバリに割れる始末。笑 幸い何も怪我はなかったですが今考えるとあり得ない。笑
・中学校は嫌な記憶しかない。ヤンキー中学。
・一年次は、一番初めの登校でヤンキーに絡まれ、生徒証明書をとられ、取り返しに行ったら、ぶん殴られ、蹴られを繰り返され、我慢の限界で一発返したら、鼻血ぶーでKOだったが、ヤンキーに目を付けられる。
(正味終わりの始まりやった)
・勉強しようにも、授業中絡まれたり、頭に消しカスを飛ばされたり、呼び出されたりして、なぜか調子に乗るなと言われ、引っ張られ、着ていた服のボタン全部とれる。そんな中で全く授業に集中できるわけもなく、先生もそれを注意しないカスだった。
・普通の子に絡んでも、コミュ障陰キャに成り下がった僕は、人間力もコミュニケーション力も低下し、ヤンキーとつるんでいると勘違いもされ、あまり友達の多い人ではなかった
・そんなことで、成績も落ちて、親にはアホと言われ続け、人格まで否定され、妹は小学生だったし、良い成績は取っていたので比べられて、ほんまやってられない状況
・その時、僕はあまり声が出なくなっていた
・でも男子バレーボール部に所属していて、そいつらと絡んでいるときが一番面白く、先生がいない練習ではアホなことを死ぬほどしていた。団体戦は最高に楽しかった。
・しかしバレー部女コーチにも死ぬほど嫌われていた。
声は小さくて出ない。足は遅い。ボールも取れない。下手くそ。
顔面や身体にボールをアタックされる日々。
・そのコーチが辞めても、違うキャピキャピ大学生卒業したて女コーチが入ってきた。その人にも特別僕は嫌われ、のけ者にもされて、その人とあほみたいに喧嘩もして人格否定もされた。
・唯一の救いが、塾に通わせてもらっていた時に出会った英語講師で、英語を学ぶことでの将来の可能性を教えてもらい、唯一勉強の中でも英語だけは好きになれた。笑顔が少なかった僕は、この人のおかげで笑顔も増えて行った。
・毎日10時間以上は勉強にそそぐ日々。しかし、第一志望の公立高校は、落ちてしまい、やるせなさ・情けなさにオンギャー。
・しかしこの同時期に、僕のおじいが亡くなってダブルパンチで来ていた。
・おばあの慰めの為に、毎日塾帰りにチャリでおばあの家に向かっていた
・それが勘違いされストーカされていると思われて、めちゃくちゃ仲が良かった人も嫌われて避けられた。本当に今なら言える。惑わせたならごめん。話だけでもさせてくれと。
・高校は文武両道で全員を見返してやると決意し、中学の人はあまりいない大阪の高校へ入学。
・1年生時の全校集会で、急いで走って向かったせいで、服装が乱れてしまい、カッターシャツがズボンから出ていただけで、学校の全員が集まっている中、僕だけ呼び出されて、「おまえはXX高校の恥さらしや!」って学年主任にぶち切れられたこともありました。笑
・そんな高校でも、陰キャは陽キャに開花せずに、笑われる日々を過ごし、筆箱は隠されたり、急に蹴られたりしても、怒らずにじっとしていたが、ストレスがひどくなり、中高とたまっていたのだろうか。M字ハゲみたいになったこともあった(ちょうど最初の方は髪型もスポーツ刈りみたいな感じやったし笑)
まさかこんなイメージしてないでしょうね?!?!
*うんうんうんうん、誰が、ベ○ータや笑
・あだ名は多岐にわたる
ゴキブリ、ブタゴリラ、ゴリラ、チンパン、病気、キチガイ、薬中、プーさん、クマ、ベアー、ビーバー、ブタ、デブ、ブス、パンダ、カビゴン、モンスター、バケモン、バケモノの子、尾兵、サイ、ゾウ、イケボ、デスボなどなどもっとあります笑
シンプルな悪口あだ名やひどいあだ名をつけられすぎて、何を言われても反応する体になっていた笑
・そんな中で弱小校と言われるぐらいの格闘技の部活に入部
↳試合に負けても笑っているチーム
・その同期にもいじりという名のいじめを受けていた。
格闘技経験者の僕を、他の経験者がその力の差に嫉妬をして、練習終わりに戯れるという瞑目で僕をしばいてきた笑。ずっと笑っているし、僕は頑丈だったので痣にもならなかったから余計に。
・ほんでコーチは、the昭和人間で、僕とは全く合わずかつ部活生全員が嫌っていた。その人の特徴は、俺のやり方は絶対っていう人。
過去の栄光に縋り、不利になったらOBの先輩に頼って、僕たちを陥れるような人で、人格否定など当たり前。
いわゆる、性根が腐っている嫌がらせクソ上司みたいなものです。(絶対、こいつだけは見返したるねんて全員でゆうて共通の敵みたいになってました笑)
・僕はそこでも最初は仏頂面で、好かれはしなかったが、強さは空手をしていたのであったので少しは認められてはいたし、マネージャーと同じクラスで仲良くはしていたし、顧問とも仲は良かった。
・そんな同期はそのコーチのせいで15人ぐらいおったけど、最終的にマネージャ合わせて6人になってしまっていた。
いじめられていたにしろ、同期がいなくなってしまうのは悲しすぎた。
・そんな中でいじめられていた僕が少しずつ変われた方法が、
英語の道を教えてくれた講師の言っていた留学というものだった。短期留学ではあったが、自腹で50万出してカナダに行く事を決意し変わりに行った。
ここから僕の人生は180度変わって行く
・元々癖の強かった自分の蓋を開けてくれたのがこの留学。
ホストファミリーが億劫な僕に対して、「私たち家族は、あなたの意見や価値観を知らないし、それを伝えてくれないとあなたを受け入れて尊重もできないし、家族として愛することができない」と言われた言葉が胸に刺さり、僕は少しずつ変わって行った(自分を受け入れることと意思を出すことの大切さを知ったから)
・帰国後、いじられキャラの受け入れ、意見を発信することの大切さや軸を持つことなどをできるようにしようとして行動に移していき、人間関係も少しずつではあるが回復。
・しかし、それがクラスの人は気に入らず、英語の授業の時間に発音で話せば、いきるなと揶揄され、何度も何度も嫌がらせ。
ちょっとは嫌がられた部分もあったけど、なんやかんやで受け入れてくれたのは、部活の仲間だった。感謝しかなかった。
・そんな仲間に恩返しがしたく、最初の方は不格好で一匹狼だったが、周りを巻き込みながら行動し、僕が最後に勝つことができて全員で全国大会団体戦3位に入賞。
最後には、僕に抱きついて泣きながら「ありがとう」と感謝された。(僕も泣きそうなったけど、やせ我慢してました笑)
・酷いコーチにも見返せられました、気持ちよすぎましたね。いまでは、僕らにへこへこしてます、その人は笑
https://note.com/rikuyade1643839/n/n923c6008bfe9
↑これの中間ぐらいに高校の拳法部時の詳細を書いているし、面白い内容だと思うので興味がある方はチェックしてみてください。
→こんなことが体験できてたのに挑戦をやめない理由はないです笑
・部活の実力と勉強の両方を考慮され、あの酷いコーチとは違うコーチのお墨付きもあって、大学のスポ薦枠を獲得し、文武両道を果たす。
・でも面接練習の時に言語化する事と伝える事が下手過ぎて受かるか不安とまで言われていた笑(英語じゃなくて日本語勉強しろと言われていた笑)
・大学は、もう一度留学がしたくて国際系の学部に進学
・大学では、最初はなかなかの適当人間で、誰かに頼りぱなしの学生やったし、部活への意欲は同期のやる気のなさにかき消された。
・しかし、1年の全国大会団体戦だけ出してもらえず、悔しさしか残らず、僕は燃えまくって練習に力を入れまくり、先輩などの意見をすべて取り入れ実行し、結果を出しながら信頼を獲得していったことによって出してもらえるようになり、西日本大会団体戦2位に大きく貢献し、死ぬほど嬉しかったが優勝したかった。
・人生初の最高の彼女までできた。
まあ色々と裏切られたり、僕が劣っていたのもあったりして、1年半ぐらいで別れてしまいましたが、本当に優しくて笑わしてくれた最高の人でした。今は話せていないけど、また会ったら飯でも行きたいですね。
・こんな嬉しくなれることが何度もできる挑戦を止めることなどできるはずもなく、違うところにも目を向け、カナダ中期留学・Start-up・ボランティア活動(海外での老人ホームの手伝い・日本語パートナー)、インターン、就活など多岐にわたり挑戦をし続けていった。
・カナダ留学では、ハプニングしかなく、例えば、その留学の休み期間の旅行中にキャリーバックを預けたは良かったが、僕のバッグだけ帰って来ず。バックを持たぬまま、NYからフロリダまで飛んで現地で全身コーデをそろえる羽目になったり、飛行機の時間に間に合わず、プラスのチケット代をぼられるなど、ハプニングしかなかったが、僕じゃなかったら笑われへんかったとあほにされ大笑いされ、いじられまくった笑
・留学で得られたのは、人間力や文化。
何に対しても許容する多様性のすばらしさ、自然豊かな暮らして人間味があったかい家族が大勢いたので、学びの宝庫でしかなかったし、インスピレーションを受けまくった。そして何より最高の仲間と出会えた。
・Start-upは兵庫県のお金持ちしか集まらない芦屋の六麓荘まで一人で出向き、夏の頃に訪問営業で不用品回収事業を行ってフラフラになって死にそうになったし、怪しいと言われ、通報されたので逃げたのはいい思い出。笑
でも、死ぬ気でやったのに結局10万ほどしか稼げず、力及ばずと言うところだった。
・株式会社irodas(人材のスタートアップ企業)での長期インターンシップに参加して人生をまた考え直すきっかけを与えてもらったが、挫折する経験の方がはるかに上回っていて、頭がパンクしかけて死にかける。笑
↑これについては、時期が来ればまた話そうと思います笑。
・就活は、去年の夏ごろから受けており、1dayインターン・説明会・選考・面談をすべて合わせるとゆうに150回は余裕で超えるほど受けまくっている(正味趣味みたいなもんやった笑)
・CA(キャリアアドバイザー)を、僕が惚れこんだ友人に趣味として行い、相手の就活・悩んでいること・自己分析・ES添削などに対して本気で向き合うことで、第一志望の内定を一緒に勝ち取ったことも多数。
・コロナ禍で、部活動はあまり動けず最近再開し始められた。
・そんな傍ら就活支援団体で、支援してます。笑
#アホみたいなスケジュール笑
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②まとめ
とまあこんな感じで、僕はいじめのようないじりを受けながら、親を含む人から何度もあほと言われ、他人や妹と比べられ、人格否定をされてきました。
そのおかげもあってか、僕は、コンクリートなどならハンマーですぐ壊れてしまうが、地震でも割ることのできない陸地になれました。
なので、いろんな意味でそういう人たちにも感謝しています。
今では、僕のアイデンティティの1つとして大馬鹿者が入っているぐらい受け入れて、バカやアホと言われるのは誉め言葉としてもらえるぐらいです。
てか僕気づいちゃったことがひとつあります。
正味、失敗なんか死なない限り、笑い話になる。これが事実。「生きてるだけで丸儲け」とはよう言うたもん。
そうなんです。
まず自分を受け入れて、全てをのみ込んでから色々なことに自由に挑戦して、失敗しながらコツコツ成功体験を少しずつ積むことで変われて行ったんです
最初は変な奴で、いじられても同調圧力に負け、笑って過ごして運命を変えれなかった奴が、今は自由に挑戦することで、仲間に愛されるようになったんです。
本当に自由に、挑戦することに、仲間に愛されるってほんまに良くって
どれぐらい良いかって言うと、
牢屋から釈放されて、死ぬほどうまいご飯を食べたときぐらい良いです笑
*入ったことないから知らんけど笑
こんな生き方をしているともちろん反発を喰らいます。だってそんなんができない人には行動さえもできないのだから。
どれぐらい反発されるかって、ワンピースの主人公のルフィーが幼少期に海軍兵のじいちゃんに「おれは海賊になる」って言って、「お前は海兵になるんじゃ」ってたんこぶが何個も出来るぐらいのげんこつ喰らうほど反発されます笑(ワンピース好きにしかわからないネタですんません笑)
まあ挑戦したい人は、一度ワンピース見るのもお勧めです。笑
(決してワンピースの回しもんではないです笑)
まあ話を戻すとこのような決断をしていけばどうなって行くかって言ったら
と言うような感じになっていくと思います。
つまり何が言いたいかと言うと、
チャレンジャーはいつでも・何歳でも関係無くなれる。失敗など、二の次に考え、やりたいことは突き詰めてやるべきです。
例えば、、、、、
夢はありますか?と聞くと、あります。と答える。しかし、夢のために何かしていることはありますか?と聞くと多くの人は黙ります。
つまりは、夢を願っているだけならだれでもできるので、流れ星に向かって又は、神社などに行き、願うことをお勧めします。
でもその夢を本気で叶えたいなら、ただ行動し続けるチャレンジャーとなれ
ということを言いたかったです。
これは人生すべてにかかわる問題であり、チャレンジできるすべての面において楽しめる場所は存在するので、自分で見定めながら自由に生きましょうや。
その上で僕は、志を持って、自己決断し、自信を持って挑戦できる人を増やすために、これからは社会人と言う名でビジネスに関わり、成長していきますので今後ともよろしくお願いいたします!
③なぜnoteを書くのか
めちゃくちゃまとめみたいな感じで終わったやんってなりましたけど、最後に少しだけ書かせてください笑
なんでnoteに書くん?って思うと思うんですけど、ただの「恩送り」です。
僕は数多くのいじりを受けて来ましたが、数多くの人にも支えられてきました。
だからこそ、僕は発信して、また違う人にこういうことを言える人になってもらいたいし、違う人に気づきやGiveをしてあげてほしいです。
いいねが欲しいとかそういった事ではなく多くの人に勇気を持ってもらいたい・可能性を感じながら生きてもらいたい。ただそれだけで、やってます。
まあその勇気や可能性を持ってて貰いたい理由は二つ理由があるんですが、
以下の通りで、
せめて、僕がこれまで・これから関わる人だけは守りたい。
僕はこんな人たちに、あいつも(まつもとも)頑張ってるんやから「頑張ってやろ!」って思ってもらう為ならなんだってする。その1つのツールがnoteってだけです。
だから僕はこれから大真面目に
「志を持って、自己決断し、自信を持って挑戦し続けるような人を増やす」ことを生きがいにして生き、アホが日本を元気にする時代を創る。
そういうスタンス・想いで、これからもnoteを書き続けていきます。
ということで、自己紹介というテーマはこれで終わります。
最後まで見てくださった方、本当にありがとうございます。
ほな、また。
おすすめのnote「いじられキャラという生き方」: