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あの時を振り返る/ パニック発作から得た気づき

秋の風が心地良い。
あれから、もう一年が過ぎた。

昨年10月、久しぶりに出社した職場で、パニック発作を起こした。年明けに耳が聴こえ辛くなり、「突発性難聴」と診断されてからずっと体調が優れず、在宅勤務を続けていたのだが、会社の産業医と面談するも「なぜ出社できないのか」と責められ、頑張って電車に乗って向かった先での出来事だった。何が何だか分からずに、呼吸が苦しくなり、「無理だ、死にそう」と遠のく意識のなかで思っているうちに救急隊員に運ばれて点滴を打たれ、気づいたら救急病院のベッドに寝かされていた。「ああ、やってしまった」とすぐに思った。色んな人に迷惑をかけて、何をしてしまったんだ自分は、とすぐに自分を責めた。情けなくて、消えてしまいたかった。

帰宅した翌日、メンタルクリニックを受診し「パニック障害」との診断を受けて、しばらく休職をするように言われた。申し訳ない気持ちで人事に連絡し、自分が置き去りにしてきた仕事のことを考えながら、とにかく一旦休もうと自分に言い聞かせて、横になった。けれどちっとも眠れない。あの仕事はどうなったか、あの人に詫びなければ、と心の中で色んな声がして、自分を責め続けた。パニック発作への恐怖よりも、同僚を困らせてしまったことへの申し訳なさが強く、それは自分のことよりも大事なことに思えて、もはや恐怖だった。「自分の身体が一番大事」と言うけれど、それを本当に理解して行動に移すことができなかった。休みをもらっているはずなのに、心はちっとも休まらないまま、時間が過ぎていった。

一年が経った今、ようやく当時のことを振り返ることができるけれど、今日まではなるべく考えないようにしていた。あの時の苦しさがフラッシュバックして、私をさらに苦しめるからだ。今でも、職場への申し訳なさから消えてしまいたくなる。会社名を聞くだけでも身体が拒否反応を示してしまっていた状況からはだいぶ良くなったけれど、私の中ではたぶん完全に自分を許せていないのだと思う。きっとあの時発作が起きたのは、自分を守るためだと思うし、そうなって良かったのだと今になっては思うけれど、職場の人たちが好きだったからこそ、ごめんなさい、という気持ちが消えない。きっと誰も私を責めてなどいないのに、自分が自分を許してくれない。

今年3月、私は復職という選択ではなく、退職を選んだ。戻れなかったし、新しい道に進むことでしか、未来を明るく描けなかった。退職すると決断した瞬間に、ずっと海の底に沈んでいた気持ちが、ぱっと上向きになり、息ができるようになったので、その選択は間違いではなかったと思っている。そしてその日から、次に何をしようか考えながら、毎日を生きている。焦ってしまうと良くないから、意識的にゆったりと構えて、とにかく今は毎日を楽しく、自分が喜ぶことをして過ごすようにしている。本を読んだり、散歩したり、旅行をしたり、料理をしたり、買い物をしたり、自分を甘やかして、甘やかすことを良しとして、生きている。たまに「働いてもいない私が、何をして、、」と考えそうになるところを、自分でストップをかけながら。働くことがすべてではないし、それよりも大切なことがある、と言い聞かせて。それは、自分の心を豊かにすること、季節を感じること、自分が喜ぶ日々を送ること。きっとそんな日々を送るなかで、次に「やってみたい」と思うことが出てくるはずで、それを気長に待っている状態だ。美しいものが好きだと改めて気づいてより深く知ろうとしたり、文章を書くことに救われたり、読書が持つ豊かさに改めて気づいたりと、この一年でも、色々な気づきを得ることができた。それらはきっと、これからの私の生きる指針になっていくと思う。生きるうえで大切にしたいことに自覚的になる時間は、私に必要なものだったと、今は自信を持って言える。

今、心を病んでしまう人が増えていると聞くが、そんなの当たり前だ。社会システムも問題になるし、原因はそれぞれで絡み合っているので、本人にも分からないことが多いだろう。私も苦労していることではあるが、まずは自分が自分を受け入れて許すことが大事だ。自分にも言い聞かせているようだが、自分よりも他人の気持ちを優先して、自分を責めるのではなく、苦しんでいる自分の気持ちを第一に守ること。安全なシェルターに入れて、ふかふかのお布団で包んで、温かいココアを与えよう。「大丈夫、大丈夫。まずはゆったり過ごそう」と自分の背中をとんとんと優しく叩いて、「よくがんばったね。でも、もう頑張らなくていいよ」と頭をなでてぎゅっと抱きしめてあげよう。そして、頭にふっと浮かんだ「これ食べたいかも」「これがしたいかも」を全て叶えて甘やかそう。それに対して後ろめたく思ってしまうと思うけれど、「甘やかすのが仕事」と思うくらいでちょうどいい。そうして少しずつ元気になっていったら、外へ少し出てみて、風を感じてみたり、陽の暖かさを全身で受けとめてみたり、鳥の鳴き声に耳をすまそう。少しずつ行動範囲を広げてみたら、きっとどこかで次に繋がるものに出会えるはずだから、それを信じてみよう。

発作を起こす前の自分にはもう戻れないし、たぶん私はもう無理ができない。「またあんなことになったら」という恐怖がずっと付いてまわるだろうし、その恐怖を飼い慣らして生きていかねばならない。それでも、私はこの一年で自分のことをよく知れた。なにが嫌か、なにが苦しいか、と丁寧に自分の気持ちを探って対話することで、そういったものと距離を置くことができた。ゆえに、楽に生きられるようになった。自分を、自分が一番大切な人のように扱うこと。これまで自分よりも他人を優先してきてしまったから、まだむずかしいと感じる時もあるけれど、私は以前よりも断然にそれが上手になった。自分が嫌だと感じた時に「そう感じた自分がおかしい」と思わずに、「嫌だと思った自分の気持ち」を信じて、躊躇なく距離を取れるようになった。この世界は、嫌なことと仲良くしようと頑張るにはあまりに広いし、人生は短い。自分が好きだと思うこと、自分が喜ぶことを探して、それを深めることに時間を使いたい。28歳の今、それを身を持って知ることができて、そうした生き方へシフトチェンジすることができてよかったと、今は心の底から思っている。

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