矛盾を減らせば流れが変わる

 私は、「あなたにピッタリな自己啓発書を選んでオススメしましょう」というサービスを最近、始めている。私は本を読むのが好きな人だ。これは多分、経験値の話で子供のころから読んでいたからだと思う。そのかわり、人と関わることの経験値が少なすぎて、コミュニケーション能力に多くの課題がある。

 本が好きな私でさえ、本の数の多さは過ぎているように思う。自分の欲しい情報を探すのは大変だ。インターネットが普及した理由が理解できるような気がする。(インターネットでも、最近では本命の情報が探せなくて困っている)

 先日、Twitterで。

 無意識に書き込んだ後に、自分で自分の営業妨害をしたのではないだろうかと思った。サービスを売っている場所では、かなりの本を読んでいると豪語しているのに、矛盾だと言われても仕方ない。こんな人に本を選んでほしい人がいるだろうか。

そこを釈明するとしたら

1.読書の目的
2.これまでの読書量
3.自分の特性

の3つに集約されるかもしれない。

 わたしが自己啓発本を読むのは、自分がとる行動の参考になるものを拾う目的があるからだし、読んでいる数が多いから直感的に自分への相性を判断したりする。(たまに自分を過信して間違うこともある)そして、感覚的な人間なので、あまり隅から隅まで読むことはしない。

 自己啓発本を読むときも、1から10まで信じないようにしている。
「1から3までは同意するけど、5と7についてはどちらとも言えないから保留。9と10は私はそうは思わない。理由は~」みたいなスタンスで読まないと、多すぎる主張も情報もさばききれない。
 「あの人が言ってたから」みたいな話は、そこに自分がいない感じがする。「あの人」がどんなに権威や実績がある、性格の良い尊敬すべき素晴らしい人であっても、情報を取り扱うのが自分である以上、責任を持つのは自分でありたいと思っている。(できているかは、また別の話になる)

 例えば、わたしは、アドラー心理学が好きだ。彼のスタンス、言葉はとても魅力的だ。自分の体感として、あらゆるものに嫌われる覚悟をしたことと自己肯定感を取り戻した結果は切り離せない。自分にとって二次利得は、特に役に立つセオリーだった。でも、トラウマについては別の方法で解決したので、方法として現実的じゃないと思っている。
 「そうなのかもしれないけど、実際にできるかっていうと…」という人の気持ちの方が、まだ理解できるかもしれない。わたしも、読んでも意味が分からない。意味は分かってきたけど実際にはできない。みたいなところから試行錯誤を経て実践できるところまで、プロセスをスキップせずに来ているからだ。

 矛盾を感じても、その理由や経緯まで掘り下げてみると案外、矛盾ではなかったりする。すべての出来事は、流れの中の一部分に過ぎない。私も出来事に矛盾を感じたときは、むやみに反応しないように気をつけている。反応はゼロにはできないが、減らすことは可能だ。

 反射的な批判は、ほぼほぼ後悔する羽目になることを経験から学んだ。
 これまで、どれだけ失敗してきたか。そして今も、それが続いていることを想像していただけるとありがたい。既に、あらゆる人に足を向けて寝ることができない状況になっているが、地球は丸いし斜めに回っているので、それはどうやら不可能のようだ。

 矛盾したくはないのだが、「どうやら私はそういう生き物らしいよ」と受け入れてから、逆に矛盾が減ったかもしれない。排除する(ゼロにする)より減らすことを考えた方が、結果は良好な気がする。もしかしたら、増やしたりすると、もっと早いスピードで消えるのかもしれないが、わたしの人間関係が全滅しそうで、それでは元も子もない。

 わたしは自分の取り扱いを何十年も間違えていた。何十年も引き戸を全力で押していた。間違えていた時間が長いほど費やしたエネルギーが大きいほど、間違いに気づいた時の恥ずかしさは大きい。ただ、その経験を通して、人より少しはメンタルがマッチョになったかもしれない。

 わたしにアドバイスをくれたり、「恩送り」という言葉を教えてくれたのは、私よりずっと年下の皆さんだ。わたしより、ずっと人間的に優れているので未来は明るいと思う。


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