見出し画像

【038】シンギュラリティと種の保存と性欲と

読書の秋なので、好きな二冊の本の感想と妄想を走らせてみます。

ヨルゲン・ランダース著の「2025」は、私が最も影響を受けた本のなかの一冊です。これは2012年に出版されたもので、客観的データによるシミュレーション結果と各領域の専門家の見識に基づいて描かれた未来予測が描かれているのですが、著者の目的はその悲観的な未来を提示することではなく、それによってポジティブな行動を奨励することです。現代のSDGsのムーブメントに通じるものと言えます。

同著で予測されている悲観シナリオ、例えば地球の気温の上昇による異常気象や、資本主義による経済格差の拡大、政治に民衆の参加が進んだ結果のポピュリズムなどは、出版から10年経過した今、かなりの確率で当時の予測どおりに実現しているように見えます。

私は、2014年の年末にこの本を読んで、単純にも自分も何か行動しなければと感化されて、当時迷っていたヘルスケアテック企業への転職の意思を固めました。そんな、文字通り人生を変えた一冊なのです。

ちなみに、この出版後の2014年に公開された映画「インターステラー」はこの本を読んだ後ではデジャブのようでした。この映画で描かれている砂漠化していく地球や、テクノロジーの長期投資より目先の食糧難が最優先課題となった世界は「2025」で予言した未来をそのまま具現化したものだと思いました。この本と合わせてこの映画も観てみるとその深刻さがよくわかると思います。

さて、その後この「2052」に劣らず衝撃を受けた本が、レイ・カーツワイル著の「シンギュラリティは近い」です。こちらは、真逆で楽観思考で描かれた未来予測です。その著作の目的は前述「2052」とは違って警告を鳴らす種類のものではないし、地球環境を包括的に述べるものでもないので二冊を並べることは適切ではないかもしれませんが、悲観と楽観という未来に対する真逆のスタンス、その違いが興味深いです。

以下、同著の引用ですが、

”未来予測を立てるときには、別の種類の間違いをおかしやすい。今日ある一つの傾向から導かれる変化にだけ注目し、他のことががらはなにひとつ変わらない、としてしまうことだ。
(中略)
人類が長年悩まされてきた問題が解決され、想像力は格段に高まる。進化が授けてくれた知能は損なわれることなくさらに強化され、生物進化では避けられない根本的な限界を乗り越えることになる”

レイ・カーツワイル著「シンギュラリティは近い」

例えば「2052」では、食糧難の予測においては、人類がエネルギーを食物以外から摂取できるようになっている可能性は想定されていません。「シンギュラリティは近い」の中では、ナノテクノロジーの進化によって、食事にとってかわる人類のエネルギー摂取方法が確立している可能性が描かれています。人類のエネルギー源として穀物の収穫に依存しなくなっているならば、未来の課題そのものが無効化しているか、もしくは変質している可能性があります。

上記は一例ですが「2052」では、指数関数的に進化して新たに生まれるテクノロジーの影響は加味されていないので(正確にはテクノロジー進化も考慮されてはいるのですが、現時点でのテクノロジーが2012年時点の進化予測をすでに追い越しかけている)、「2052」が描いた悲観的なシナリオは今後のテクノロジー進化によって部分的に上書きされる可能性はありそうです。

一方で、どちらの未来予測にも、直近のパンデミックは含まれていなかったし、そもそも「シンギュラリティは近い」はテクノロジーから観た世界観をクリアに描くことが目的であって、そこには世界の政治や経済の影響は考慮されていません。「シンギュラリティは近い」で予測された楽観的な未来を信じることはできそうだけれど、それの実現と並行して気候変動やパンデミックなどの地球のホメオスタシス的な反応が人類の脅威になることは間違いないのではと思うのです。つまり技術革新と同じぐらい、今の私たちが想像できない脅威も未来に発生する可能性があるので、結局悲観に落ち着くような気もします。

やはり、悲観的な未来予測を避けるためにも、私たちが行動を選ぶしかないと思うのです。

ところで「シンギュラリティは近い」の中で個人的に興味深いのが、ナノテクノロジーが進化した先の人類の姿です。人類はより生物より非生物に近い存在になっている、と予測されています。

例えば臓器はより性能が高く消耗しない人工のものに置き換えられ、知識はダウンロードして一瞬で身につけられるものになっていくとか…。詳細は省きますが、マトリックスなどのSFで描かれる人体が現実味を帯びてみえてきます。

同時に、人体の機能として残した方がよいものの代表としては、性的な快楽や食事によって得られる快楽だと。食事は本来のエネルギー摂取という機能と、味覚による快楽を得る機能とに分離されて、後者はそのままま愉しめるように残る。同様に、セックスも生殖機能と快楽のための機能は完全分離されて(すでに避妊技術が生まれた瞬間に分離は始まっていますが)、生殖のためのセックスは不要になっても、快楽の機能は手放さないものの代表例だろうと。生殖医療の進化を見る限り、生殖行為なしに子供をつくる未来はありそうです。

”おいしい”という感覚や食欲は、個体が必要なエネルギーを補給しつづけるために仕込まれたインセンティブです。異性を好きになる恋愛感情や性欲、性の快楽も子孫繁栄のために仕込まれたインセンティブです。いずれもホモ・サピエンスという種の保存を目的とした行動をモチベートさせるために発展したものだと捉えています。

本来必要である、種の保存のための主要機能はテクノロジーで置換される一方で、本来の機能のインセンティブとして後付けされた”快楽”の方だけを取り出して人類は所望しつづけるのだという進化のオプションが面白過ぎます。そもそも、人間ってなんのために生きていたんだっけ、ということを考えさせられて、眠れなくなりそうです。

人類はすでに、種の保存よりも個体の保存のほうを優先しているようなので、GDPによる国力競争をやめるようなことになれば「あれ?そもそも子孫って必要だっけ?個体が永遠に生きればよくね?」…みたいな未来もあり得るんじゃないかと。国と紐づいたIDでの経済活動はいずれ主流ではなくなっていくと思うので、そもそも地理的な境界線を基準としたGDPは意味がなくなるような気はしますが。

という妄想が暴走するほどに面白い二冊です。
どちらも有名な書籍なので読んだことがある人は多いと思いますが、もし私のように物好きな方がいらっしゃれば、この二冊はセットで比べながら読んでみても面白いかと。

画像=映画「インターステラー」の画像より拝借




いいなと思ったら応援しよう!