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手を放す、満ちてゆく。
こんにちは。こんばんは。
『人生の目的を思い出す研究室』
Reaching Out♡の理詠と申します。
今日は、とある映画を見た事と、
年末の紅白で話題になった藤井風さんのNYでのパフォーマンスを見て、
感じた事を残しておきたいと思い書いています。
とある映画、とは、その藤井風さんが紅白で披露した曲「満ちてゆく」が主題歌となっている映画「四月になれば彼女は」です。
実は映画公開当時、
タイミングが合わずとうとう映画館では見れずじまいで、
それに、常々商業的なニオイのする作品は見る気が起きず、
せっかくの藤井風さんの曲が残念な形で使われていやしないだろうか?!という何様かわからない懸念を抱いていた為、食指が動かなかったのも正直な所です。
この記事は仕事で書いているわけじゃないので、
思った事を忖度なく書いちゃいますので、
単なる一個人の感想と思って頂ければ幸いです。
先日の紅白の藤井風さんのパフォーマンスをみて、
「観るならこの勢いで今しかない!という思いでAmazon primeで見ました。
結論から言って、
映画は、観てよかったと思えるものでした。
とにかく俳優さん達が素晴らしかった、という一言に尽きます。
引き込まれました。
ただストーリー的に制作側が意図した所と、
私が胸を打たれた所は別の所だという気がしたのと、
おそらく藤井風さんが「満ちてゆく」を書き下ろした際、
インスピレーションを得た部分も、
この映画の表向きのテーマではなく、裏に潜んだサブテーマみたいな所だったんじゃないかな、と感じました。
以下、ネタバレを含みますので、ご了承の上お進み下さい。
この映画の主たるストーリーは、
長澤まさみさんが演じる弥生という女性が度々言うセリフ、
「愛を終わらせない方法は?」
というのがテーマだったのかな、と思います。
弥生は、
幸せや喜びを感じるとその終わりが怖くなってしまう。
だから、愛を終わらせない為の方法は?と度々問い、
それは
「手に入れない事」だと言います。
人は、お互いを所有することで安心感を覚え、
その挙げ句、手に入ったものに対して愛を注げなくなる、
だから長年連れ添った夫婦がいつまでも初恋の気持ちのままいられないのは当然、
離婚率が高い理由、
みたいな台詞も度々出てくるので、
その辺りについてがテーマであり、
その風潮?に風穴を開けたい、と言うのが、
この物語の書かれた意図なんじゃないかな、と感じました。
だがしかし!
この物語(すみません原作は読んでません、と言うか諸事情で途中までしか読めなかった)
には、
この弥生と、
佐藤健さん演じる主人公の精神科医、藤代の間を繋ぎ留める役割?として、
かつての藤代の恋人、春(ハル)という女性が登場するのですが、
私には主人公の2人より、
このハルと言う女性の生き様で一本映画作れちゃうんじゃないか?!と思ったくらい
ハルが魅力的に感じたんですよね。
あくまで、
主人公の弥生と藤代、二人が一旦離れ、
悩みながらもお互いを思う気持ちを取り戻し、
付き合い出した頃の様に、再び繋がる...
それがメインストーリーなのだけど、
おそらく藤井風さんの曲、「満ちてゆく」は、
このハルの方にあてて書かれた曲なのではないかと感じました。
風さんは傾向として、
所有しようとする事、執着を歌う時、
罪やエゴという表現を使います。
弥生が、藤代の元から何も言わず消えたのは、
「取り戻す」為でした。
藤代そのものを取り戻したかった、
とも捉えられるし、
自分の中で失った「藤代と出会った頃の気持ち」を取り戻す、とも受け取れる。
(そう藤代に当てた手紙で弥生本人が書いていた)
何れにしてもやはりこの物語では、
何かを「得る」「所有」する為に離れる、
と言う事が、
美しく切ない出来事として描かれているのです。
うーん。
「これ、藤井風さんが主題歌を書く意味があった?」
と思ってしまうわけです。
彼は「恋愛すったもんだ」を歌うアーティストではないと思うので(個人的見解です)。
商業的な話題性を狙ってのオファーなら合点が行きますが。
でも、さすが藤井風さん、
そこに迎合せず、
物語から受け取った物の中から、
自分の持っている形とピッタリハマるピースだけを選んで掘り下げて、
商業としても本題から大きく逸れず一曲の形(作品)にしてみせた点で、
あっぱれと言うしかない素敵な曲になっています。(何様)
もはや、映画の主題歌であったことなど霞むほどに。
その様にして、自分の中から生まれたものから作った曲だからこそ、
彼の世界観に溢れたオリジナル曲として自立していると感じます。
ハルという女性を演じたのは
初めて知った俳優さんですが(森七菜さんと言う方)
ハルの儚さ、覚悟、悟りの様なものを見事に表現されていました。
最期に向かって痩せ細って行く役作りもされていて、かなり若手の俳優さんかと思いますがその役者っぷりには目を見張るものがありました。
ストーリーの中では、最期もろくに描かれていない役どころなのですが、
かつてやりたかった事、若さ故の葛藤、それらを自分の僅かな命の残量と引き換えに「選び直して」、
藤代と行くはずだった世界中の日の出を見る為に旅に出ます。
シャッターを切り、
「心残り」というフォルダから消してゆく。
そうして軽くしながら、
想いは満たしていったのだろうと思います。
その生き様や輝きが、
「手を放す、軽くなる、満ちてゆく」でした。
さて、そんな曲「満ちてゆく」が、
まるで精巧にカットを重ねて撮られた一つの芸術作品かと思しき形で2024年末、お茶の間に届けられました。
ご覧になった方は、ご存知かと思いますが、
最期に倒れ、
儚く散りゆく者...の様な終わり方(演出)になる予定が、
会場の司会者からの、
「藤井風さーん!あれ?死んじゃった?藤井風さーーん!!?」というしつこい声がけwにより、
起き上がらざるを得なくなると言う笑
多分スタッフも、風さん本人も、
生放送ならではの予期せぬ展開だったと思うのですが笑笑
でもあの件があったことで、
「え?これ、収録じゃないの?!LIVE(中継)だったの?!」
と日本中がザワつく結果となり
「風さん、持ってるな」w
と思ってしまいました。
さて、そんな沸いたお茶の間の裏でも、
ザワついていたある界隈があります。
話は少し逸れるのですが、
「BANANA FISH」と言う作品をご存知でしょうか?
個人的にはハリウッド作品になってもおかしくない、と思っているのですが、
吉田秋生先生原作の
NYを舞台にしたアニメ(漫画)作品です。
今回藤井風さんの紅白のパフォーマンスを見て、
何かしら熱いものを感じた方は、
是非観て頂きたい作品です。
この作品のファンが
日本が藤井風さんの紅白のパフォーマンスで揺れ動くなかで、
「これ!!!え??アッシュやん!!涙 どゆこと?!」
と、沸き立っていたのです。
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もしよかったら、
“BANANA FISH “
“藤井風”
で検索してみてください笑
私も正直これは....驚きました。
以降BANANA FISHの特大のネタバレを含みますので、
まだ見たことがないよ、と言う方は、
今すぐ観てきて下さいw
翌日お休みであることをご確認の上....!
(良いですか?伝えましたよ!!)
FOD
Hulu
U-NEXT
では見放題で見れるようです(2025.1.6現在)
もうね、
コアなファンからすると冒頭のシーンも、
古い図書館の様に思えるのです。
BANANA FISHでは、
NY公共図書館が聖地と言われており、
ファンにとっては特別な場所です。
BANANA FISHは、
温もりや心を失くした少年の、
人としての成長物語であり、
そんな少年が愛して滅びる方を選んだ姿を描いています。
ーあらすじー(ネタバレあり⚠️)
BANANA FISHの主人公の少年アッシュは
幼い頃にマフィアのボスに拾われ、
英才教育を受けて育ち、
若干17歳で人種のるつぼであるNYマンハッタンのストリートギャングを取り仕切っている。
日本からストリートギャングの取材でアッシュの元に訪れたカメラマンが助手として連れてきたのが、
自分とは正反対の
子供の様な風貌の平凡な日本人の少年、英二だった。
無垢で、怖いもの知らず。
子供だと思っていたら実はアッシュより二つ年上で、
何処となくアッシュがとても慕っていた兄の面影を漂わせている。
2人はとあるトラブルに巻き込まれて、囚われの身となり、脱出を図るが、
その途中、
高い壁に阻まれ袋小路となり、
それ以上逃げることを観念するアッシュ。
諦めムードで、次の手を考えていると、
「どうせ死ぬならなんだってやってやる!」と、
廃材の長い鉄パイプを手に、
「日本ではもっと高いのを飛んでいた」と助走を始める英二。
彼はアッシュの目の前でひらりと美しいフォームで跳躍し、数メートルはある高い壁を超えて脱出に成功する。
彼は日本の大学へスポーツ推薦で入学する程の棒高跳びの選手だったが、怪我によるスランプ選手としてはもう飛べなくなっていた。
彼が壁の外へでて助けを呼んだことで、
アッシュは初めて他人から助けてもらう事となる。
もう無理だ、と諦めた自分の目の前で、
高い壁を軽々と飛び越え、
不可能を可能にした英二に「自分にもあんな翼があれば」と憧れの感情を抱くようになる。
次第に、誰にも打ち明けたことのない、
自分の悲しみや心の傷を、
彼にだけには見せる様になっていくが、
向かう所敵なし、欠点なし、弱点なしのアッシュにとって、
英二の存在がアッシュの唯一の弱点として知れ渡るようになってゆき....
例え滅びるとしても、自分の信じたものに手を伸ばさずにはいられなかった17才相応の少年の姿が涙を誘う。
運命に翻弄され、離れ離れになる二人。
全てを手放した時、アッシュが得たものとは....?
ロングアイランドシティのマンハッタンの街並みが見渡せる公園は、
物語のなかで印象的な会話が交わされるシーンの舞台となっており、
BANANA FISH のオープニングも、その公園からの景色で始まります。
藤井風さんが、
最後に眠るように倒れるシーンはその公園で撮られた絵のように見えました。
ちなみに私、
「BANANA FISH」をきちんと昇華出来るまで、
2年もかかってしまいまして...
でもそれだけ大きな人生のレッスンを与えてもらったような気がしており、
今でもアッシュの生き様は私の憧れなのです。
さて、
手を放す、軽くなる。
満ちてゆく。
風さんからのメッセージ、
皆さんはどんな風に受け取りましたか?
奇しくも「風の時代」と言われる新しい時代がスタートしたばかり。
目に見えるものをかき集めても、
最期に持っていけるものは
魂に刻まれるような体験や想いや言葉だけ、です。
まだ起きぬ事への心配や、
持ち物をかき集める事を手放し、
嬉しさや喜び、
悔しさやそれを乗り越える為に時に青あざ作りながらも、もがき、立ち向かい、
そしてそれを乗り越えた時に見た景色で、
心を満たして行きたい。
そんな風に思いました。
皆さんはいかがでしたか?
良かったら聞かせてくださいね˚✧₊⁎
note書き初め、
長めの記事となってしまいましたが、
最後までお読み下さりありがとうございました!
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
Reaching Out♡理詠でした☺︎