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[疲労社会]を京都にいる間に読んだので④~精神の多忙は病気の類??~

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さて、京都読書[疲労社会]の第四弾。なんというか、結局私はこういう問題に興味を持つというか首を突っ込みたくなるというか、そういう性分なんだろうなと思う。

疲労

そもそも、疲労と言われると、基本的には体の問題と考えられてきたのだろうと思う。よく、近代以前には鬱病はなかったといったような言説がある。疲労社会を読んだ私からすると、そもそも鬱病というのは、強制的に社会で生きていくために活動的にさせられた人間が、自分の人間としての性分を思い出したり、その規律性や効率性に耐えられなくなり元に戻ろうとする状態であるといえる。というよりも、おそらく疲労を感じるほどの活動や仕事を続けることが当たり前であるとすることが、本来の人間が体力的な意味で持続可能的なのかという問題なのだろうと思う。そして、多くの人間はそれに耐えられないのだろう。

精神の多忙はそれだけで病的である。

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