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コンプレックス・シリーズ

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コンプレックスのシリーズをまとめています! ノンフィクションの筆者の若い頃のハナシです!
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2024年2月の記事一覧

コンプレックス 23

コンプレックス 23

■コンプレックス 23

ボクが金沢に異動になるちょっと前くらだったと記憶しているが、
セゾンが世界に展開するホテルチェーンであるインターコンチネンタルを買収し、
大きな話題になった。

運良くボクは日本で初めて開催されたインターコンチネンタルホテルのトレーナー資格
の研修に参加させてもらうことが出来た。

これは1週間横浜Gインターコンチネンタルホテルに缶詰にされ、
講師は全て外国人で、全てのカ

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コンプレックス 22

コンプレックス 22

■コンプレックス 22

さて、ホテルスクールであるが…
2年目からは楽になるはずだった。

何故ならば、なんとか1年間教えてきたので、
多少膨らます必要は有っても、一から作る必要は無いからである。

しかし、そうは問屋が卸さなかった。

ある時GMに呼ばれ
「笹川、あんた英語はどのくらい喋れたっけ?」と聞かれ
「イヤー、全然に近いくらいダメですね!」と言うと
「まぁいいや、それは努力してもらうと

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コンプレックス 21

コンプレックス 21

ボクの方は、金沢で当初宴会のオペレーションを見ていたが、
もう退屈で退屈で、なんでこんなに退屈な現場を見てなきゃいけないのかなぁ・・・ 
なんて思っていたところに、西洋コンチネンタルホテルスクール金沢が開校する話しが持ち上がり、
ボクはそのスクールの料飲選任講師に抜擢された。

このホテルスクールは、従来に専門学校とは違い、ホテルの中にあるホテルスクールで
2週間のスクーリング(Off J.T.)

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コンプレックス 20

コンプレックス 20

■コンプレックス20

第三章 金沢、そして広島へ

セゾンがオペレーションのイニシアチブを握って運営していたホテルエドモントは、
いつの日からか、JRとセゾンの間に溝が出来たようだ。

一度、日本経済新聞に大きく『飯田橋のホテルエドモント累積赤字30数億!』
と大きな記事が載り、それから更に関係は悪くなったような気がする。

当時、西洋環境開発の取締役で、ホテルエドモントの非常勤の取締役をしてい

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コンプレックス 19

コンプレックス 19

■コンプレックス 19

この時代、結婚したばかりでもあったが二人でフルに働いていたので今までの人生の中で一番お金があったような気がする。
その日は、新宿歌舞伎町で呑んでいた。
メンバーは、ボクの先輩と後輩、ウチの奥さんのお店のスタッフの女性、そして我々夫婦の合計5名だったと思う。
妙な取り合わせだが、特に何か意味があったということでは無く、偶然派生した行きがかり的な展開だったと思う。
そうとしか

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コンプレックス 18

コンプレックス 18

■コンプレックス18

美空ひばりが東京ドームで復活コンサートを開催したのもこの時代である。
彼女が突然福岡済生会病院に入院したとき、日本中にこのニュースは大々的に放映された。
1987年4月のことで、コンサートツアー途中の出来事だったと記憶している。
病名は、両側大腿骨骨頭壊死、そして慢性肝炎・・・
いずれも治らない、不治の病気である。

当時はどういう病気であるか、一切報道されていなかった。

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コンプレックス 17

コンプレックス 17

■コンプレックス17

披露宴といえば、忘れられない話がある。

年に100組以上も披露宴を担当していれば、色んなことがある。
これは私が担当した披露宴では無いが、最初から新郎側の出席者が異常に少なく
どうしてなのか・・・と、思っていたら、実はそれは「結婚詐欺」で、披露宴当日 なんと新郎は来なかった。

勿論、新郎側の出席者はゼロ。

新郎がいない披露宴をスタートさせるわけにも行かず、「お開き」に

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コンプレックス 16

コンプレックス 16

■コンプレックス16

ボクはこの時代に、エレクトーンプレイヤーの井沢氏と出会った。

この彼との出会いは、その後の人生を大きく変える出会いであった。

当時ボクは結婚式へのこだわりも強く、一緒に仕事をした司会者やエレクトーン奏者、ピアノ奏者からは必ず事務所の名前と本人の名前を聞いて、力量がどの程度か記録していた。

あまりにもひどいレベルの方と組んだ場合には、どこがどのように良くなかったのかを予

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