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コンプレックス・シリーズ

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コンプレックスのシリーズをまとめています! ノンフィクションの筆者の若い頃のハナシです!
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2023年12月の記事一覧

コンプレックス 10

コンプレックス 10

■コンプレックス10

中野のアパートは、中野区上高田にあり、西武新宿線の新井薬師前駅まで徒歩5分JRの中野駅までは徒歩15分くらいであった。

中野駅からはバスも頻繁にあったし、サンモールをブラブラ歩くのも楽しかった。

新宿には近くなり、渋谷からもタクシーで大した金額ではなかった。

そうなのだ、これで新宿や渋谷で飲んだくれて、終電を逃しても大した問題では無くなったのだ。

新しいアパートに移

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コンプレックス 9

コンプレックス 9

■コンプレックス9

東京での暮らしは、阿佐ヶ谷のアパート住まいであった。

閑静な住宅街で、安くてうまい定食屋や、毎日のように通った焼き鳥屋もあり気に入っていた。

しかし、わずか一年で中野に引っ越した。簡単に言うと追い出されたのだ。

阿佐ヶ谷のアパートは、それぞれ玄関が独立した立派なものでは無く、共同玄関、共同トイレの下宿スタイルであった。

もともとは、眼科医院を開業していたらしいのである

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コンプレックス 8

コンプレックス 8

■コンプレックス8
 
泊りの勤務もあった。
別に泊る必要性も無く、その日帰って、翌朝来ても大丈夫なのであるが、一応そういうことはしてはならず、仕事が終わったら部屋で休み、翌朝は5時半くらいから朝食のスタンバイである。
 
何があるか分からないので、どんなことがあったとしても、最悪でも泊まりのスタッフでなんとかしてもらおうということだと思う。
 
フロントはナイトが2名と、ベルのおじさんで、合計3

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コンプレックス 7

コンプレックス 7

桜の季節にはこんなこともあった。
 
この時期は、いつもの3倍くらい忙しくなるので、勿論全員出勤!
そして、毎年1週間から10日間くらい家に帰してもらえず、
朝6時から夜11時くらいまで仕事をしていた。
故障部屋(問題があってゲストに売れない部屋)をあてがわれ、
軟禁状態であった!?
 
疲労がピークに達して、思考能力はゼロに近づく。
冷たい水で顔を洗ったところ、なんと鼻血が出たことがあった。

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コンプレックス 6

コンプレックス 6

■コンプレックス6
 
そうだ、あの時代はチップというものが存在していた。
 
今ではホテルは、ほとんでの人にとって何ら珍しくも無く、
披露宴やら宴会やら会議やらで利用したり、宿泊したり、
レストランやバーの利用も何の躊躇もないと思う。
 
お昼に、
「ちょっと高いけど、たまにはホテルのコーヒーショップで食べよっか!」
みたいなノリだと思う。
 
昭和52年~54年くらいが、丁度『過渡期』だったの

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コンプレックス 5

コンプレックス 5

フェヤーモントでは、素晴らしい上司との出会いもあった。

毎日タイプライターでメニューをカタカタ打つのはボクの仕事であった。

グランドメニューに差し込む「日替わりランチ」や「日替わりディナー」のメニューを打つのである。

仏語のメニューをタイプライターで打って、訳は手書きで、自分で調べて書き、ここからが面白いのであるが、シェフにチェックしてもらうのでは無く、取締役の料飲部長に見てもらうのだ。

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コンプレックス 4

コンプレックス 4

■コンプレックス4
 
毎日のように神業オムレツを見続けたボクは、それに興味を持ち自分の賄い用とお願いし、
毎日毎日練習してみた。
最初は全く思うようにいかなかったが、毎日違う担当のコック(若いスタッフも多かった)
が見かねて「ささやん、こうだよ!」と言ってコツを教えてくれた。
継続は力なり!ボクはオムレツの名人となり、その技は今でも自分の中でインプットされている。
ポイントを熟知しているので間違

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