三月は悲しい月… いつか詳しい気持ちは有料のほうで書こうと思うけど、さらっと。 私には15年前の3月に亡くした子供がいます。 あの時の気持ち、状況、あの時の何もかも今でも思い出す。 15年は長い。 でもあの子の事を思い出したり、話に出すと今でも泣いてしまう。 これを書いている今も泣いている。 いつになったら泣かなくなるんだろう。 いつになったら悲しくなくなるんだろう。 でも悲しくて泣いていても、あの子のことを忘れずに愛している自分をほめてあげたい。 3月になると毎年卒
何がイヤって… 一時間かけて作ったご飯を10分で「ごちそうさま」って食べ終わるの… そんなに早食いってどうなんよ? 感謝を持って噛みしめて食え。
私が子育てをしていて一番心に刺さった言葉は、子供から言われた一言でした。 「みんな『しょうがない』って言うけど何もしょうがなくない!どうしてしょうがないって言うの!!」 これはもう子供も覚えてないかもしれない出来事ですが、私はあの時の恥ずかしくて申し訳ない気持ちを今も鮮明に覚えています。 それは子供が小学校低学年の時でした。 子供が悲しそうに学校から帰ってきたので何かあったのか話を聞きました。 子供の話によるとー 教室の掃除当番だった子供達がみんなの机を前に移動しようと
昨日の夕飯 ナンも手作り、カレーはトマト缶入れて、温玉トッピングで最高!
最近この言葉をよく聞くし、YouTubeでもお子さんが緘黙症だと診断されたという動画を拝見する。 なので悩まれているお子さんや保護者の方は多いと思います。 私の時代にはスクールカウンセラーはいませんでしたし、メンタルクリニックに通うなど親も知らなかったと思います。 でももし知っていたとしても連れて行ってはくれなかったかも。 「精神病院なんて…」と世間でも偏見が強い時代でした。そんな時代に心を病んでしまった子供はどうしていたのでしょうね…周りの目を気にして我慢していたのでしょ
今でも思い出すと「何故あの時誰とも話さなかったんだろう?」と自分でも不思議に思います。自分の中では黒歴史なのかもしれない。 黒歴史というか思い出したくない、思い出すと心がザワザワしてしまう記憶ですね。 私は内気な方だったと思います。人見知りをして人と仲良くなるのに時間のかかる子でした。 でも一度仲良くなるとグループにも属さず、みんな友達という感覚で本当にみんなで遊んでいました。放課後、公園に行けば男女問わずみんなで日が暮れるまで走り回り、悪い事もして沢山沢山遊びました。
最近思い出した事があって今日はそれを書いていきたいと思います。 私は小学4~6年まで週に一度、母親が決めた習い事に通っていた時期があった。 そもそも何故その習い事を私にさせていたのか不明ですが、当時の私は『無理にやらされてる』思いが大きくて習い事に行くのが本当に嫌でした。 何度も「何故習い事をやらないといけないのか?」「行きたくない」を母親には伝えていたのですが、小学4年生の発言は単なるわがままと捉えられていたんでしょうね。 その習い事は毎週土曜日で夕方から、沢山の子供達
結婚して子供を産んだ… 子供を抱きしめている時に、ふと、『自分は抱きしめてもらっていただろうか?』と考える時があった。 子育てしていく中で両親のありがたさを実感する。「お母さんは(私は四人兄妹)大変だったのに毎日ご飯作ってくれてたの凄い!」「毎日家が綺麗だったのも凄い!」「お父さんも私達が好きな人生を送れるようにと、沢山働いてそれぞれ進学させてくれて本当に感謝している!」「忙しいのに夏休みには家族旅行に連れて行ってくれて思い出がいっぱい!」などなど… でも…なぜか自分の子
はじめまして 全然、なーんにもSNSをやったことがない主婦です。 (写真の意味はありませんが私が愛して止まない大学芋の写真が上手に作れた時の写真です。自慢だ…) かなりマイペースな性格だし、続けられるか不安だけどなんか書き残したいと思い始めました。 いまいち使い方も分からない…こんなんでいいのか?? 自己紹介も適当だったし、こんな私のことなんて誰の目にも止まらないとは思いますがひっそりと書いていこうと思います。 でも今まで生きてきた人生が、経験が、誰かの必要としている情報