【日本/埼玉県/秩父/横瀬町/地域おこし協力隊】【5月✨開運・神秘・動画あり✨】【武甲山山開き祭】🌹横瀬町の中心で武甲山への愛を叫ぶ・止まらない愛🌹On May 1st, I participated in the Mt. Buko Mountain Opening Festival in Yokose Town and Chichibu area.
みなさん、こんにちは!
横瀬町地域おこし協力隊の
ウェルビーイング担当のやすこです。
2024年5月1日に武甲山山開き祭が開催されました。横瀬町に移住したての昨年(2023年)は
LAC(Living Anywhere Commons)横瀬のイベントに便乗し、前職の先輩も横瀬町に前日入りして、一緒に師匠である大野洋さんに案内して頂き登山させて頂きました。
あの頃、武甲山が地域の人々にとってどのような意味合いや背景があるのか知らなかったのですが
「武甲山の山開きの日に必ず登らなければいけない」と直感的に感じていました。
あれから1年、武甲山山開き祭がすべてのはじまりだったのではと思えるほど武甲山関連の行事(神事)や人にご縁を頂きました。
今では武甲山愛は誰にも負けないと思うほど大好きです。この溢れる気持ちは何でしょうか。
愛って理屈じゃないんですね……。
協力隊1年目になぜだかこの土地の神秘性に心動かされ一人ミステリーハンターをやっていた時期がありました。
マニアック過ぎて
横瀬町の人でも引くくらい
横瀬町の歴史・文化・地域などに無我夢中でした。でも、後々いろいろなことに関連ついていったので、理屈ではない何かに導かれていたのかもしれません。
その中で、古代から横瀬町・秩父地域の人々にとって、武甲山は信仰を集めた「神の山」。
秩父地域のシンボルなのです。
横瀬町は昔、5月1日は学校が休みになり
子どもたちは山開祭のために武甲山に登っていたと聞きました。素敵な思い出ですね!!
今年ももちろん5月1日に
武甲山に登山したいと考えていましたが
LAC横瀬では昨年通り
登山イベントをするか分からないと師匠に言われ
どうしようかな~と考えていた時に
横瀬町でお世話になっている方々が
その想いを汲み取って下さり
ご配慮頂き通常(登山)とは異なる方法で
参拝させて頂きました。
当日は晴天ではなく
祭典がはじまると大雨。
もし、登山だった場合は断念せざる
を得なかったかもしれません。
そういう意味でもすべて仕組まれたできごとだったのかと、言葉では表現できないほど感謝しています。Mさん、Mさん、Sさん、Mさん、本当にありがとうございました(号泣)
前置きが長くなりましたが、5月1日武甲山山開き祭についてご紹介します。
1.武甲山について
武甲山(ぶこうざん・ぶこうさん)は、埼玉県秩父地方の秩父市と横瀬町の境界に位置する山で、標高は1,304メートル(元は1,366メートル)。
日本二百名山に数えられる名峰であり、秩父地方の総社である秩父神社の神奈備山(古代には神奈備山と呼ばれ神が宿るとされた信仰対象の山)でもあります。この山は石灰岩質で、特有の高山植物が群生しています。その中にはチチブイワザクラという固有種も含まれており、これは国指定の天然記念物となっています。
また、秩父夜祭という無形文化遺産も武甲山と深い関わりがあります。
武甲山は北側斜面が石灰岩であり、石灰岩の採掘が盛んに行われています。この採掘により山容が変化し、旧山頂は既に失われています。さらに、縄文時代から近代までの信仰遺跡や巨岩群も現在では、消滅しているようです。
戦後復興期より急激に武甲山の開発が進展しました。山貌が崩壊されれば二度と元の姿に戻しえないことを憂いた横瀬町は、開発以前の武甲山の自然・環境・歴史を記録に納めるため武甲山総合調査を行い、冊子として納めています。この冊子は、武甲山及び横瀬町のことを知るのに一番参考になる書です。横瀬町歴史民俗資料館で販売しています。また、横瀬町歴史民俗資料館も私の聖地として、時々訪問させて頂いています。行くたびに新しいことを発見できる場所です。お勧めします!!
2.武甲山御嶽神社について
武甲山御嶽神社は、埼玉県の秩父盆地を見下ろす兜型の山、武甲山の山頂に鎮座する古社です。以下に、この神社に伝わる言い伝えをご紹介します。
1.ご祭神
主神:日本武尊(やまとたけるのみこと)
配祀:男大迹尊(継体天皇:おおとのみこと)
武金日尊(安閑天皇:たけかなひのみこと
少彦名命(すくなひこなのみこと)
大山祇命(おおやまずみのみこと)
2.ご祭典
祈年祭:4月15日
例大祭:10月1日
山開き:5月1日
3.ご由緒:
社伝によれば、景行(けいこう)天皇の皇子である日本武尊(やまとたけ るのみこと)が東征した際、山頂に武具を埋めて関東を治め守ったことが開創とされています。欽明(きんめい)天皇の御代に、日本武尊を主神とし、男大述尊(第26代継体天皇)、武金日尊(第27代安閑天皇)を合わせ祀りました。(省略)以下、参考のWebサイト↓
4.ご社殿
武甲山山頂の社殿は、神楽殿を兼ねた拝殿として構成されています。
5.里宮
里宮とは、山頂のお宮を里で参拝できるように設けられたお宮でご神殿と神楽殿と社務所とで構成されています。現在、里宮は根古屋地区に存しています。
6.里宮の神楽
文禄5年(1596年)秩父の代官鉢形守城 日下部丹波守が装束などを寄進して奉奏させたのが始まりといわれています。途中しばらく中断しましたが、文政元年(1818年)神楽講を勧進して復活したと言われている。
7.ご神宝
①神輿形宮殿 一基(横瀬町指定有形文化財):御嶽神社のご神体を安置する宮殿は山頂ご本殿に鎮座しています。
②神輿 一基:里宮に安置された神輿は明治14年(1881)横瀬全村民の寄付金によって製作され、武甲山御嶽神社に寄進されました。
参考:武甲山御嶽神社参拝のしおりより
【山頂の重要性】
・武甲山は、秩父盆地のコスモロジー(宇宙観)の中心をなす存在です。
・武甲山は、古代から横瀬町・秩父地域の人々にとって信仰を集めた「神の山」です。山頂からは横瀬町などが一望でき、その美しさに感動します。
【山頂の御嶽神社:】
・山頂には、武甲山御嶽神社が鎮座しています。
・縄文時代の遺跡が出土しており、縄文時代から「登拝」が行われていた可能性があります。
・この神社は、山容の美しさからも篤く信仰された場所であり、秩父地方を代表する聖地となっています。
※武甲山御嶽神社は、美しい自然と古代の歴史を感じるために訪れる価値のある場所です!参考・要約:縄文神社.jpより
3.神の山、武甲山の開発について
武甲山は、秩父地域の聖地・神体山と言われる一方で武甲山の石灰岩は日本屈指の良質な大鉱床であり石灰岩の山として知られています。
関東大震災後や戦後の東京再開発、
高層ビル建設、新幹線、
高速道路網の整備のための
セメントとして利用され
武甲山の石灰岩は
日本の建設業界を支える重要な資源であり
秩父地域の経済に貢献してきました。
武甲山の開発について様々な視点からの意見があると思います。
私も神の山を削るなんて
武甲山の怒りをかって
災害が起こらないことが不思議でした。
しかし、武甲山のことを調べれば調べるほど
私はこのことに関して、
武甲山は自分の身を削っても
横瀬町・秩父地域の人々の幸せや
平穏な生活を守りたかったのではと
感じざるを得ませんでした。
武甲山は開発を大切な秩父地域の人たちのために
「許した」のではと考えています。(個人的見解)横瀬町や秩父地域の方々は武甲山の恩恵を受け武甲山関連の仕事に就かれ、ご活躍され、
子孫繁栄、日本及び地域発展に貢献されています。
だからこそ、私たちは武甲山の想いを忘れず
子孫に伝えていく大切なお役目があると考えています。(超重要)
また、約1970年以降に開発がはじまり
現在に至るまで公害問題について
横瀬町の人々含む秩父地域の住民や企業の人々も
真剣に向き合ってきたと聞いています。
今回、武甲山開発に関係する企業の方(秩父地域の地元の方)にも
お話を伺う機会があったのですが
公害や環境問題への対策についても
しっかりと向き合い、改善、配慮されていることが伺えました。
具体的には、環境保護対策、採掘作業員の健康管理、地元住民との協力、
景観保全、再生計画など。
武甲山の開発は簡単に良い悪いでは判断できないことだと思っています。
地元の方で武甲山の開発に関わる企業の方の辛さや苦しさも伝わってくるからです。神体山である武甲山が怒りで災害を起こすようなことがなかったのはこのような背景が伺えるような気がします。だから、私は武甲山に魅了されているのかもしれません。武甲山への愛が止まらない。
4.令和6年度5月1日武甲山山開き祭当日
①8:00 Area898に集合(ど緊張)
②8:30 武甲山に向けて出発
③9:00 武甲山山頂に到着
④武甲山御嶽神社到着後、関係者にご挨拶
その後、氏子の皆さんについていかせて頂き、鐘付堂や奥宮の紙垂などの取り換えが行われました。私も新しい紙垂を付けさせて頂きました。
【奥宮五社のご紹介】
⑤秩父神社の薗田建(そのだたける)宮司にお会いしました
武甲山山開き祭には、秩父神社の宮司である薗田建宮司も参拝されており、いつも色々な方々をご紹介してくださる「つなぎやくのスペシャリスト」の向井議員のおかげでお話することができました。
武甲山は、秩父夜祭で有名な秩父神社の神体山であるとも言われています。緊張していたのでお話した内容の記憶があまりありませんが、近年、龍神様と呼ぶ方が多いが、日本は「大蛇信仰」であるというお話はしっかり覚えています。
昨年、秩父神社の御神幸行列の高張提灯のお役目を頂いた時に、秩父夜祭について調べました。文献によって、龍神と記載されていたり、大蛇と記載されていたりで解釈に戸惑った経験がありました!まさしく、今回、その回答を頂けすっきりしました!
大蛇信仰は、蛇を神聖な存在として崇拝する信仰です。古代日本では、蛇は不老不死や再生を司る存在とされ、豊穣の神としても崇められていました。龍神信仰は、中国から伝わった信仰であり、水の神である「龍」を崇拝します。秩父夜祭の根底には神体山(武甲山)の神を「蛇」とする信仰観念があります。これは縄文時代(古代)にさかのぼる感覚を反映されているようです。神体山北面の一角に古山名「嶽山」の名残として「武山」があります。武山の標高600メートルに「大蛇窪」という窪地があります。かつて武甲山に降った天水(雨水)が溜まる沼地が大蛇窪であり、山神が棲息する聖池とされていました。秩父夜祭の信仰軸も大蛇窪ー御旅所ー秩父神社を結び正南北線を描いているそうです。今年、武甲山山開き祭開始と同時に大雨が降りました。武甲山山開き祭は、秩父地域が五穀豊穣、子孫繁栄で潤うはじまりであり、これは恵みの雨(天)であるとお話頂きました。水・雨(天)は命の源であり、そのような中で開催された山開き祭は非常に意味のある令和6年度の始まりなのだと想い、考え深い神秘的な時間を過ごさせて頂きました。大蛇窪周辺は私有地のため現在は立入禁止となっていますが、いつか参拝させて頂きたいです。
khttps://www.chichibu-jinja.or.jp/wp-content/uploads/2023/10/fe60be4f16483e698162d8f69db9fd2b.pdf
⑥10:30 武甲山山開き祭祭典
⑦祭典終了後、武甲山御嶽神社里宮太々神楽保存会の神楽師による神楽奉納:演目「神招き」
※素面の二柱大神が優雅に舞う※素面=お面を付けないこと
動画を作成しました!ご覧ください↑
5.感謝!ボランティアの会
古布の里よこぜさんから頂いたプレゼント
ボランティアの会古布の里よこぜ
根古屋地区の皆さまから
秩父銘仙の素晴らしい
プレゼントを頂きました(感動)
4月15日武甲山御嶽神社祈年祭の
神楽を拝見させて頂いたときに
根古屋地区の方と
お話しさせて頂きました。
コーラスサークルの先輩も
古布の里よこぜの会員だったようで
お二人から
プレゼントして頂きました。
「近藤さん、活動頑張ってるから」
と大変恐縮なお言葉も頂き励みになりました。
今回頂いたプレゼントは
2024年5月1日武甲山山開き祭をきっかけに
使用させて頂くと決めていたので
この日におろさせて頂きました。
活動の際には
大切に大切に
使用させて頂きます。
心から感謝申し上げます。
6.最後に
帰りは、氏子の皆さんにお声がけ頂き一緒に横瀬町に帰りました。当日は山開き祭から大雨となり、一気に幻想的な世界となりました。
今回、このような貴重な体験をさせて頂き心から感謝申し上げます。また、10月1日には例大祭が武甲山御嶽神社の里宮で開催されますのでぜひご参加ください。
横瀬町・秩父地域の神の山である武甲山!
秩父夜祭に向け1年がスタートします。
今年度も皆さんにとって素晴らしい1年になりますように。
本日も、長文を読んでいただきありがとうございました。今後もよろしくお願いします。
では、また!!