【短編】人外娘の心外な夢6
【アルラウネ】霖の日5
「妹が病気なんだ。街の医者に見せたら助からないと言われた。そして思い出したんだ。昔旅人に聞いた、万病に効く万能薬。アルラウネが持つという霊薬の話を」
「無いわよ? そんな物」
虚に蹲ったままの男と、向かいで湿った大地に腰を下ろすオル。
腐りかけた男の足をオルの身体から生える薬草で治癒しながら、オルは真実を伝えていた。
「私達、霊薬なんて持ってないわ。作ってもいない」
所々滴り落ちる雨粒の音が、やけにはっきりと二人の耳に届いていた。
それは単なる気紛れ。
この人間どうしてやろうかと、ただそればかり考えていたが、密猟者でもない人間がわざわざ危険な場所に足を運んだ理由がオルの興味を惹いた。
「で、でも、現にこうして俺の足は治ってるじゃないか。その薬草で妹の病気は治るんじゃないのか?」
「たぶん治らないと思うわ。と言うか、逆に死んでしまうかもしない。この薬草、魔物から生えているのよ? 毒かもしれないとは思わないの?」
「お、俺の足は治ってる。変な色してた足がきれいになってる」
「大人だからかしらね。もしかしたら死んでしまうかもと思いつつ使ってみたけれど、あなたは大丈夫だったみたい。でも、そんな危険な賭けに子供を巻き込むの?」
実際、どうなるかオルにも分からなかった。
人間と遭うのは初めてのことだったし、霊薬で人間を治癒したなどという話は誰からも聞いたことが無かった。
このままでは死んでしまうから、どうせ死ぬのなら試してみよう。
それくらいの気持ちでオルは頭から生えている蔦を一本引き千切り、男の傷口に塗り込んだのだ。
「でも、そんな話があるのね。私達も知らないのに、なぜ人間がそんな話を言い触らすのかしら。やはり人間ってよく分からないわ」
そこまで言い終え、オルは一つの結論に思い至る。
ああ、成る程と納得した。
「あなたのその話、もしかして密猟者から聞いたとか?」
「え、ああ、そうだよ。旅の魔物ハンターを生業としている人だった。どうして分かった?」
「私達と接点があるのは、密猟者くらいだから」
「人間と交流があるのか」
「無いわ。交わりならあるけれど」
ぺろりと舌舐めずりをして、男の目をじっと見つめる。
男の表情が、一瞬で強張る。
「大丈夫よ。今は何もするつもりはないわ。あなたに興味が有るから。今わね」
男が青ざめる。反応が一々面白い。
密猟者だったなら生け捕りにして交わって食べて、それで終わりだったのだろうが、どうやら私は珍しい人間と出会ったようだ。
そう思うと、オルは何だかわくわくする気持ちを抑えきれなかった。
「でも、密猟者から聞いたと分かって私も納得出来たわ。あなた、その薬のこと詳しく聞いてないの? 例えば調合の仕方とか」
アルラウネにそんな知識は無い。
病気になんてかからないし、ケガも直ぐに治る。
身体が植物なのだから、伐られてもまた生やせば良いのだ。
重要なのは核である魔石を守ること。
それ以外は大したことではない。
だから、男が知識を有しているのであれば、それに付き合ってやるのも悪くない。
オルはそう考えていた。
交わるならその後でも良いか、と。
しかし、男の言葉でそれは不可能だと知る。
「作り方もそのハンターから教わったよ。どうせアルラウネと遭遇することなんて一般人には無いからと言われて。まさか出会うことになるなんて思ってもみなかったな。ははっ。知恵は教わっておくものだよ。あぁ、ただ、作り方を書いた羊皮紙は持ってきてない。直接薬を貰えば良いと思っていたから……」
やはりこの男は使えない。
オルは改めて思った。
恐らく悪い人間じゃないのだろうが、頭が悪い。
こんな人間の種を宿すなんて、仲間に馬鹿にされるのが目に見えている。
そもそもどうして魔物から薬を貰えるなどと思ったのだろう。
アルラウネは魔物だ。
この樹海の支配者だ。
よしんば貰えたとして、見返りを求められることくらい容易に想像出来るじゃないか。
そしてその見返りが命であることも。
この人間はダメだ。外れも外れ。大外れだ。
「あぁ、でも、材料の一つが魔石だってことは覚えてるんだ。あと幾つか、アルラウネの身体から採れる物を調合するんだったと思う」
ぴくり、と、オルの頭部から伸びる蔦が動いた。
「魔石。魔石ねぇ……」
案の定、その万能薬とやらには魔物の生命を司る核である魔石が使われるらしい。
オルが予想が的中した。
「そうだ。魔石を保有する魔物なんて滅多にお目にかかれない。それだけ高価な物だ。貧しい俺には到底買うことなんてできない」
と、そこで、オルと男の認識に齟齬があることに気付いた。
この男、魔石を宝石か何かだと勘違いしているのでは?
「あなた、魔石って何だか知ってる?」
「……いいや、知らない。魔物が持っている、くらいにしか……」
オルは呆然として開いた口が塞がらなかった。
この男は一体どれほど無知なのだ。
魔物であるオルを呆れさせるとは、ある意味すごいと言える。
一体どんな辺鄙な村で生活をすればこんな人間に仕上がるのだろうか。ますます興味が湧く。
自ら骨折して動けなくなるような間抜けではあるが、どうやら人の良い間抜けのようだし、見ていて飽きない。面白い。
大外れであることに変わりはないが。
「なあ、君は」
「オル。オルと呼びなさい」
(あれ?)
「……そ、そう、私の名前はオル。名前で呼びなさい」
(あれ? 何で私、人間に真名を)
なぜ、人間などに名前を教えたのか。
オルには分からなかった。
「名前が有るのか、魔物なのに」
「ま、魔物にだって名前くらいあるわよ。こうして話せる意思があるんですもの」
「そう言われればそうだ。その通りだった。悪かったよ。ええと、オル。可愛い名前だ。俺の名前はグレイだ」
「グレイ……」
どきりとした。
何がかは分からない。
ただ、名前を呼ばれたことが。
たったそれだけのことが、オルの胸を締め付けた。
「可愛い名前だなんて言われたの、初めて」
「そうなのか。俺は好きだ」
そう言ってグレイは笑った。
「何だか……私、変かも……」
オルが突然立ち上がる。
グレイがビクッと身体を震わせた。
「あっ……だ、大丈夫。何もしないわ。大丈夫」
グレイを怖がらせてしまった。
私はグレイに怖がられている。
そんなの当たり前だ。だって私は魔物なのだから。
この男を捕まえて、交わり、食べる。そんな魔物なのだから。
彼女にとって当たり前の事がその時、いやに不快なものに思えた。
急に魔物である自分の存在がとても気味の悪いモノに感じられた。
「どうした……オル?」
「名前を呼ばないで」
「えっ」
「あっ、そう、そうよ。気安くアルラウネである私の名前を呼ばないでちょうだい」
困惑しているのはもちろんグレイだ。
名前で呼べと言う。
気安く名前を呼ぶなと言う。
ではどうすれば良いのか。
「お、俺どうすれば」
「自分で考えなさいよ」
「……じゃあ、名前を呼ばないでいいように話すよ」
「そ、そう。分かったわ。そうすれば良いわ」
何だかもやもやするのはオルだ。
こんなはずではなかったのに。
どうするのが正解だったのか。
少し考えてみたが分からなかった。
知識と経験が足りないのはお互い様。
まして魔物と人間。
魔物同士、人同士なら伝わったかもしれないやり取りは、繋がることのないまま平行線。
二人の間に無言が流れる。
そして、意外にもその無言を終わらせたのはグレイからだった。
「な、なあ。仲間の中で薬作りを手伝ってくれそうなアルラウネはいたりしないか? できれば、ちゃんと命を助けてくれるような……」
「どうかしら。あなたの命と引き換えになら、いないこともないかも」
「そ、そうか。そうだよな」
やはりそうか、そうグレイは虚しく項垂れる。
「ねぇあなた、その薬を作るの、私が手伝ってあげても良いわよ?」
「え……?」
グレイがパッと頭を上げ、オルの顔を見る。
「ただし、条件があるわ」
「条件?」
「私と取引をしましょう。あなたは妹を助けるために薬が欲しい。私は、あなたにしてほしいことがある。だから取引するの。いいえ、お願いかしら。あなたにしか出来ないお願い」
「お願いって、どんな」
「一つは、あなたの村に私を連れて行って。私、生まれてからずぅっと、この森を出たことがないの。たったの一度もよ? 外の世界を見てみたいの。薬の作り方は村に戻らないと分からないんだから、構わないでしょう?」
「それは……もちろん、構わないけど」
「もう一つは……いえ、今は良いわ。二つ目のお願いは、薬が出来てからにするわ」
「い、妹の、家族の命を差し出せって言うんじゃないだろうな?」
不粋なグレイの言葉に、オルは露骨に不機嫌になった。
腕組みをして、ぐいっとグレイの顔に近付く。
「あなたねぇ、私達は女に興味無いの。種を持ってないんだから。それにあなたの弟、まだ小さいんでしょ? どうやって私を満足させるって言うのよ。そんなのこっちから願い下げよ。あなた達に危害を加えようとか私は考えてないから安心しなさいよ。……でも、私の仲間に薬の話をしたらまずあなたの命は無いわ。私達アルラウネの本性は繁殖すること。雨季は私達の生気が最も活発になる。ここであなたが見付かれば、私達に弄ばれ貪られるだけだと理解しなさい」
ごくりとグレイの喉が鳴る。
グレイは数回頭を縦に振り、同意を示した。
「それじゃあ、取引成立ってことで良いかしら?」
寄せていた顔を離し、そのままグレイに背を向ける。
「あなたが動けるようになるまで、2、3日待ちましょう。それまで、何か食べるものを持ってくるわ。果実くらいしかないけれどね。それまでこの辺りの根を操っておくから、あなたは誰にも見付からないよう、ちゃんと隠れておくのよ? いい?」
念を押し、もう一度振り返る。
「ありがとう……助かったよ、オル」
グレイはそう言って笑った。
「な、名前呼ばないでって、言ったでしょ! 何でそんな馬鹿なの!?」
「ご、ごめん。お礼を言うときくらいは、呼んでも良いかなって思って」
顔を伏せて怒鳴るオルと、頭を掻きながら優しく笑うグレイ。
「心外だわ。あなたみたいな人に名前で呼ばれるなんて。信じられない。本当、一体何なのかしら」
この時のオルには、その気持ちに名前を付けることが出来なかった。
そして、その気持ちに名前を付ける時が彼女と彼の別れの時となることを、オルは知らなかった。
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