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【短編】人外娘の心外な夢3
【アルラウネ】霖の日3
臨戦態勢を取り、周囲への警戒レベルを最大まで引き上げたオルが、頭から伸びる無数の蔦から伝わってくる情報で理解したのは思いがけず呆気ないものだった。
「……助けて……くれないか……足が……ダメになってしまったんだ……」
声を殺し、指から伸びる触手を音もなく引き上げる。
周囲一帯に張り巡らせた蔦も、ぼそぼそと声が聞こえる場所にのみ残すと頭部に引き戻した。
戻った蔦を別の蔦で一つに束ねると姿勢を起こす。
声の主は人間の男。周囲に仲間はいない。一人だ。
男の両足の骨は折れている。大樹の根で出来た虚の中で根にもたれ蹲っている。
どうやら両足は折れているだけではないようだ。
骨の周りの肉は既に腐りはじめており、もう使い物にならないだろう。
身体は弱り臓物の働きは落ちている。身体全体が熱を持っているのが分かる。
樹海の魔物に襲われでもしたのか。
密猟者にしては随分と軟弱だ。
この人間は警戒に値しない。
そう判断する。
私達の糧となるか、このまま魔物に食われるか。そのどちらかしか、この人間の未来はない。
オルが結論付けたのはただそれだけだった。
「初めて生きて出会った人間がこの程度とはね。襲われるのは嫌だけれど、種を貰うならもっと逞しい人間が良かったわ」
下半身の根をぞわぞわと這わせ男の元へと近付く。
男がオルの動きに気付いたのが、蔦を通して分かった。
「おぉぉ……もしかして、人だったのか。良かった。助かった。このままここで死ぬのを待つだけなのかと思った……ありがとう……」
男が身を置いていたのは大樹の根元に出来た大人二人が入るくらいの少し広めの虚だった。
オルは虚の側までやって来ると、ピタリと立ち止まる。
あいにく男の姿は根の皮が壁になって見えない。
それでもオルは蔦伝いに中の状況を細部まで把握していた。
男の方は虚の中にすっぽりと納まっているせいで視界を根の皮で遮られ、視界にオルの姿は入らない。
立ち上がることすら出来ない男には、オルが人なのかそうでないのか、確認する術がなかった。
一人で食うか。
それとも持ち帰って仲間と食うか。
その程度にしか男の末路を考えていなかったオルだったが、男の言葉を耳にしてふと別の考えが浮かんだ。
「あなた、どうしてこんな樹海の奥まで来てしまったの?」
オルは虚の壁越しに男に問う。
何となく気になったのだ。
どうして人間が仲間も連れずにこんな場所まで来たのか。
樹海の最奥部。
アルラウネの庭。
彼女達の楽園に最も近い場所。
なぜそんな場所に一人で近付いたのか。
何か意味がある行為なのか。
私達を狩る以外に、と。
「……? く、薬を、薬を貰いに来た。樹海の奥に住むという魔物、アルラウネに」
「……くすり? くすりって……薬? 獣どものケガを治すとかっていう、あの薬?」
オルには男の言葉の意味が理解出来なかった。
なぜなら彼女達アルラウネは薬など作っておらず、薬草すらこの楽園の頂点に位置する魔物である彼女達には不要な物だからだ。
「た、頼む、何でもする。助けてくれ。動けなくなって何日も経つ。持ってきた食糧もとっくに尽きた。それに、恥ずかしい話なんだが木の根に足を取られてコケちまって、足の骨を折ってしまった。足にはもう感覚がない。……迷惑なのは分かってる。お礼なら出来るだけ用意する。助けを呼んでくれないか。君が一人でここにいるってことは、近くに村か何かあるんだろう? 人を呼んで来てくれ。……頼むよ。頭がずっと痛いんだ。身体が寒くて仕方がない。座ってるだけで吐き気が止まらないんだ……頼むよ……誰か……」
この男は本当に何をしに来たんだ?
オルはますます分からなくなった。
ありもしない薬を魔物に貰いに来る。
魔物が棲む樹海に一人でやって来る。
旅人程度の装備しかないくせに、勝手にしくじってケガをして脚を使えなくする。
その上、樹海の最奥部に村が在るなどと言い出す。
熱で頭が働いてないのだろうか。腐った足から毒が回って頭がやられてしまったのか。その両方か。
そうでもなければ余程の馬鹿なのだろうと、オルはそう理解した。
「残念だけれど、あなたを助けることは出来ないわ。そして、あなたが欲している薬とやらが手に入ることもない」
男の心音が速くなるのが、手に取るように分かった。何かを勘づいたのか、緊張しているのが伝わって来る。
「き、君、それはどういうことだい……?」
落ち着いているような口ぶりだが、その実、どくどくと男の心臓は急速に脈を打つ。
「もう、解っているのでしょう?」
怯えさせるつもりなど毛頭ないが、ぞわりぞわりと根を這わせ、オルは男の前に姿を現した。
「あっ……あ……、アルラ…ウネ……?」
「そうよ。あなたが探していたのは私。私達。はじめまして、愚かなひと」
すぐにでも犯して殺して食ってしまおうと思っていたが、この頭の可笑しい人間にオルは少しだけ興味が湧いた。
それは、沸いた、だったのかもしれない。
頭が沸いたのはオルの方だったのかもしれない。
おおよそ魔物らしい行動ではなかったのだから。
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続き