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【短編】人外娘の心外な夢5

【アルラウネ】彼女の願い

「それで? 私はどうすれば、貴方の言う霊薬とやらになれるのかしら?」

 そう言うと、オルは身に纏っていた大振りなローブを脱ぎ捨てた。
 樹海から遠く離れた小さな村。
 男は貧しい一家を支える農夫だった。
 両親を早くに亡くし、歳の離れた妹と弟を男一人で養う、心根の優しい男。
 貧相と言って差し支えない木造の襤褸ぼろ小屋に男は住んでいて、妹たちは今は別の所に預けられているとのことだ。
 粗く削って造られた古いテーブルと腰掛け、それに人一人ぶんの余白しかない小さな寝床が三つ。
 壁に掛けられた外套や農具が、男の生活を支える全てだ。
 オルは見る物も無い殺風景な室内をぐるりと見回す。
 樹海で暮らす自分達のほうが、よほど整った環境なのではないかと思った。

「えぇと……、旅人に聞いた話だと、先ずは樹液を大匙おおさじ5杯分……ちょっと待ってくれ、匙と器を準備するから」

「樹液ね、分かったわ」

 ぶちっ、と音がして、ぎょっと目を見開いたのは男の方だった。

「な、何をっ!? て、手がっ!!」

「何をって、樹液が要るんでしょう? それとも口か鼻からでも出してほしかったの? 嫌よそんなはしたない。それよりもほら、匙は?」

 左手首から先が、樹皮一枚繋がった状態でぷらりぷらりと垂れ下がり揺れている。
 オルはぷるぷると震える男の手から匙を優しく取り上げると、手首からぼたぼたと垂れる体液を5回掬い、テーブルの上にあった縁の欠けた湯呑みに移す。
 半透明な白っぽい樹液が床に滴り落ち、てらてらと光を反射している。
 オルはケガなど一度も負ったことがなかったため、自身の内側を流れる樹液がこんな色をしているということを今初めて知った。
 手首を千切った苦痛など殆どない。少し、物珍しさでわくわくしているくらいだ。

「これくらい何でもないわ。首を引っこ抜かれてたって傷口を重ねるだけでくっつくような化け物なのよ? 私は。ほら、手ももう繋がった。それで、次は? 何が要るのよ」

 ぐー、ぱー、手を握ったり開いたり。
 男を安心させるためにわざとらしく見せ付ける。

「……え? ……えぇと、あぁ、そうだ。胚珠はいしゅと、最後に魔石の欠片。必要なのはそれだけだ」

「胚珠に魔石の欠片……ね」

 オルは、なぜアルラウネが密猟者に狙われ続けるのか、その答えを知らなかった。
 知りたくなかったからだ。
 人間はオルが生まれるずっと昔からアルラウネを標的としていたし、アルラウネにとって人間は世継ぎを残す為の手段であり、貴重な食糧でもあった。
 狙い狙われる関係。ただそれだけだったのだ。
 だから、自分の身体にどれだけの価値があるのか知らなかった。
 人間が魔物を狩るのは食糧や皮、素材が目的であることが殆んどで、享楽のためであることは珍しい。
 同胞の遺骸がどの様に利用されているかなど、知りたくもなかった。
 忌避すべき真相だった。
 それを初めて知ったのが、この男と出会ったあの日のこと。
 どうやって殺してやろうか。どこから食ってやろうか。やはり勿体ないから子種も貰っておいてやるか。
 そうすれば私の代の役目も終わる。
 そんな風に頭の中でつらつら考えていたあの日、オルは雷に打たれた様な強い衝撃を受けた。
 魔石を撃たれたかのような。
 心を鷲掴みにされたような。
 そんな熱い衝撃を。

「ねぇ、その前に、約束した私のお願いを聞いてほしいのだけれど」

 あの日を思い出し、熱く高鳴る核を押さえるように胸に手を当て、オルは、じっと男の目を見詰めた。

「へ? あ、あぁ、約束だな。そうだな。それが取引の対価だったな。妹のことで頭が一杯で、気が急いていた。悪かったよ。分かった、俺に出来ることなら何でもする。命はやれないが……それも、まあ、妹が助かった後でなら……良いだろう。さぁ、教えてくれ。何が望みなんだ? 俺は、何をすれば良い?」

 オルから出た言葉に途端に焦り出す男。
 落ち着かない様子で、額には脂汗を浮かべたどたどしく話を進める。
 この男は、未だに私に殺されるんじゃなかろうか、などと心配しているのか。
 はぁ、と溜め息を吐き、それでもぎゅっと締め付けられる心をなだめるように、オルはゆっくりと息を吐く。
 覚悟はとうに出来ている。全て理解した上で、私はこうしているのだから。
 彼女は木製の両手を胸元で強く握り、震え鳴く核と張り裂けそうな想いを、一つの願いに託した。

「私の魔石を差し出す代わりに、その魔石の欠片を、生涯大事にしていてほしい。小さな欠片でも良いから。売らず、捨てず、ずっと貴方のそばに置いていてほしい。ただ、一緒に居させてほしい」

 それだけ。
 オルが言い終えると、男の表情からみるみる力が抜けていく。

「な、なんだ。たったそれだけか……? 俺はてっきり、腕の一本二本持ってかれるんだと思ったよ……」

 テーブルの前で固唾を飲んで突っ立ていた男は、どしりと腰掛けに座り頭を垂れた。
 ぎしり、ぎしり、と安堵したように腰掛けがゆっくり鳴いた。
 
(腕や命が欲しいならあの時にそうしているわよ)
 
 そう心の中で毒を吐いた。
 男の中では、私はそういう存在・・・・・・でしかないのだと突き付けられたようで、酷く空しい気持ちになる。

「それだけよ。そう、たったそれだけ。お願い出来るかしら」

「あぁ、良いよ。お安いご用だ。後生大事にするよ。なんならお守りにでもして、生涯肌身離さないことを約束するよ。水浴びする時だって身に付けたままにするよ」

「へ!? そ、そう? ふぅん? 水浴びも一緒に……ね。水浴びの時も一緒……。そう……そうなんだ。ずっと、私達ずっと一緒なのね」
 
 オルは一瞬驚いたような声を上げた後、何だかそわそわしている。
 男にはオルの挙動の理由が分からなかった。

「約束。約束よ?」

「あぁ、約束だ。必ず守るよ」

 頭を上げた男が、ホッとした様子で笑う。
 心から安心したような男の優しい笑顔を見た瞬間、鼓動を打つ心臓など有りもしないのに、オルは自らの核がキンキンと激しく高鳴って、どくどくと流れてもいない血が頭を紅潮させていくのを確かに感じていた。
 オルはゆっくりと息を整える。

「……胚珠と、魔石ね」
 
 おもむろに呟き、自らの胎内から胚珠を取り出そうと幹を開こうとする。
 とその時、こちらを見つめる男の好奇の眼差し に気付いた。
 何か……変な気分だ。
 すごく気まずい。
 男の視線が煩わしい。もやもやする。
 オルは男に背を向けた。

「お、おい、どうかしたのか?」

 背後から聞こえる男の声が、またも不安そうになる。
 魔物を信じろと言うのが無理なのかもしれないが、オルはいい加減切なくなる。
 そして同時に思う。
 魔物だと思って怯えてばかり。もう少し優しく接してくれても良いんじゃないか。
 頭に浮かぶそれらの思いはふつふつと増え出して、ねちねちとした小さな怒りが沢山湧き上がり、オルの口を衝いて出た。

「……な、なんだか、もやもやするの! は、恥ずかしいのよ! 心配しなくて良いから、ちょっと向こう向いててよ!」

 ガタッとオルの背後で音がする。
 オルは沸き上がった感情に任せ怒鳴ってしまった自分にハッとする。しまった、怖がらせてしまうと口をつぐんでももう遅い。
 そろりと振り返ると、男は言われた通りオルに背を向け、背筋をぴんと伸ばして突っ立っていた。

「……ふっ。くふふっ。ふっ……あははっ、あははははははっ。アハハハハハハ! ……はぁ?」

 突然込み上げてきた笑いに、オルは自分でも不思議になる。
 何だ今のは。
 何で自分は突然笑い出してしまったんだ?
 さっきから私はどうしたんだろう。
 急に怒ったり、男に気まずくなったり、いきなり笑い出したりして。
 可笑しなことばかりだ。
 自分が自分でないみたい。
 何が起こっているのかまるで分からない。
 いや、嘘。分かってる。本当は解っている。

 これが、これが『恋』なのだ。

 自分を制御出来ない。
 自分を止められない。
 感情が湧き上がってくる。
 気持ちが勝手に動き出す。

 その、初めて知った感情が、オルを動かしたものの正体だった。
 その感情の赴くまま、彼女はこうして人間と連れ添った。
 生まれて初めて樹海を離れた。
 自らの全てをなげうった。
 
 この人に、全て捧げようと思ったの。

「……ねぇ」
 
 小さく、彼の背中に声をかけた。
 
「……ん、何だ?」
 
 彼は短くそう答えた。
 もう一度だけ、約束させて。
 
「さっきの約束。破らないでね。破ったら私、許さないからね。許してあげないんだから」

 私に背を向けて振り返らない彼に、最期のお願い。
 
 ずっと、私の事、放さないで。

 そしてそのまま、オルはその場に崩れ落ちた。


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続き


◆サムネ画像ぺい氏


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