続けない勇気
私が毎日投稿を続ける理由。それはない。
ないものはないのだが、たったそれだけでは味気ないので考えてみた。(以下オール結果論でお送りします。)
続けられている理由はいくつかあると思う。1番の理由は、スタートが正月だったことだろう。これは案外重要なところだ。走り始めたのが1月1日、何かを始める時に鬼門となる"三日坊主キャンペーン期間"がフルタイムで休日にあてがわれいたのだから。
くどいようだがコレは重要だ。私は仕事の関係上、休日でも客からの着信があったら、どんなにクソな内容でも出るか折り返してヘコヘコしている。そんな電話出たくないが、休みの日に来る電話は大抵トラブルなので、月曜まで不安なまま休日を過ごすよりは出ちゃったほうが楽なのです。(クソみてえな毎日だなあ)すなわち、完全脱力状態でリラックスして自分の内面を掘り下げ、記事を書くためだけに使えるゴージャスな時間は年末年始しかなかったのだ。ラッキー!! これは狙ってやったことでは全くなく、本当にたまたまだ。スタートがリラックスして切れたおかげで、今読み返すとなんとも不細工な文章だが、愛すべき処女作3記事が生まれたのだ。
話が変わるが、私は中学生の頃から創作と言うものに憧れている。
小学生の頃までは、創作や架空の世界、架空の物語に価値が見出せなかった。まぁそういうものを理解できるほど感受性が発達していなかったのだろう。そしてちょうど中学生位になってから、漫画や活字による物語を好むようになり、人が頭で作り出した世界という、ある意味究極の人工物を生み出せるようなクリエイターに憧れるようになった。
特に憧れたのが漫画家だ。まぁ、物語を伝える方法は数あれど、漫画ほど即効性があるものはないから子供心に影響を受けて当然だ。保険の広告にだって、化粧品の広告にだって漫画はついている。もちろん進研ゼミにもね。どんなに易しく大きな文字で書かれた説明文でも漫画の説得力の速度には追いつけない。どんなに国語が壊滅的な子どもにも、「おかあさーん!進研ゼミやってみたい!!」と言わせしめるのが漫画の魔力だ。
ええーっとつまり、長々と語りましたが、物語を受け取り手に対して1番早く効果的に伝えられるのは漫画でしょうというお話です。私も、もし絵が上手かったらこんな物語を書きたいなぁとか、あの人気作品は面白いけど、ここがいまいちだから自分だったらこうするなぁとか妄想しながら頭の中でいろんな物語を連載していましたよ。これはちょっと妄想がちなオタク少年少女だった諸君には覚えのあることでしょう。
そして夢見ていたわけです、漫画家を。ただ若干ダサいのは、私の妄想した将来の夢は、会社かなんかで働きながら漫画を描いている姿でした。まさか子供の夢という初期段階から予防線を張りまくりとは、ビビリな性格がよく表れている。俗世の事など全部ほうり投げて、創作という試練に体当たり、そして成功してやろう!なんて覚悟は毛頭なかったのでしょうね。ショボすぎる。
ちなみに妄想で連載している漫画も、具体的なストーリーラインは何もない、ただなんとなくみてみたいシーンが繋がってるだけなのだ。
これは日本のバンド"syrup16g"の楽曲『Murder you know』の歌い出しですが、もうほんとそうなんだよな〜〜〜!!!!としか思えません。観せたい部分だけの連続は物語ではないんです。キラキラした部分しか載せてないインフルエンサーのストーリーは、あくまでストーリーであり物語なんかでは決してないんですね。
またしても話が盛大にズレましたが、つまり言いたいのは私の継続力のなさだ。なんか途中で熱が入って色々付け足されたが、勿体無いので消さずに残しておく。
未熟な私は、漫画家を目指すぞ!と思い、高校生になったら本格的に勉強する!だの大学生になったら本格的なコマ割りなどを覚える!そして投稿する!!とかなんとかいろいろ考えていました。この先延ばし感メガマックスな目標設定から察せられるとおり、ろくに練習なんかしませんでした。絵の基礎から脱出したことが1度もありません。
大抵、教本を買ってなんとなく読んで(それはもうペラペラと流し読みだ)ある程度理解した気になる。そして、さぁ実践だと紙と鉛筆を用意し、序盤の基礎の練習に入る。絵の練習をしたことがある人なら分かると思うが、人を書くときはまず、球を分割するところから入る。理科の教科書でオタマジャクシの卵が半分ずつに分かれていくように。その練習をまず1日目やる。そして2日目に突入したことは一度もなかった。そして数ヶ月後にまた奮起する。気持ちを新しく新しいレクチャー本を買って、数行👆の状況に戻る。本当にそれの繰り返し、三日坊主を脱出したことがない。
何が言いたいかと言うと、継続力のない私が4日目以降に足を踏み入れ、今まで投稿し続けることができているのは、世間的には大した事では無いのかもしれないけれど、私にとって本当に奇跡なのだ。今、人生の中でもトップクラスに尊い時間を生きている。
やっと本題に入る。
なんとなくめんどくさくなったから毎日連続更新をやめたい。
人と言うものは悲しい性で、一般的に発言の内容よりも、誰が言っているかの方が優先される。これは文字でのコミュニケーションにも言える。ぱっと見、長らく更新されていないブログやSNSのアカウントの言葉よりも、常に何かしらの発信がされているアクティブなアカウントの方が説得力を感じる。何より魅力的だ。すなわち何が言いたいかと言うと、もう記事が50個もあるんだから、初めて私のアカウントを訪れて来てくれた人にとってはそこそこ充実してるように見えるんじゃないかなってことです。数はパワー、枯れ木も山のにぎわいなんだぜ!
ここにきて今更、真面目に本音を話すと。毎日更新を維持するために、真剣に書いてきた記事を、途中でちょん切って投稿することがたまにある。それがかなり悔しい。1日1記事投稿するためには、ある程度妥協が必要なのだ。世の中には限られた短時間で高いクオリティーのアウトプットができたり、短時間睡眠で仕事と副業を両立して遊びまでこなせるような超人たちがいる。しかし、私はそちら側ではない。動き出しもめっちゃ遅い、キーボードの前に座って、テンション上げてからじゃないと書けない。そもそも、睡眠を削ってまでやりたくない。だから、自分の意見を吐き出している途中で眠くなったら、心の船木誠勝に登場してもらって話題をブン投げて終わることがよくある。例えるならば、船木選手の必殺技"ハイブリッドブラスター"のようなものだ。
「もしこの記事の投稿を明日に引き伸ばすことができたら、もうちょっと煮詰めて書けるんじゃないか?」「ハイブリッドブラスターを打たなくて済むんじゃないか?」と思うことがよくある。だが、実際はそんな事は無いのだろう。納期が決められていることで初めてコンテンツは終わりを迎える、すなわち完成に至ることができるし、そもそも毎日更新にしがみついていなければ、記事の執筆に取り掛かり、悩んでいる今の自分はいなかっただろう。それゆえに迷う。
ということで何とか今日の更新を終えました。まだ日は跨いでいない!!(補足:2/21PM11:00時点です)。やはり人間はセコい生き物で、サボりたいと言う気持ちを記事にしちゃえば、1日分稼げるんじゃないか?しかも明日休んでも、自分に言い訳が立つのではないか?と考えた故の苦肉の策が今日の投稿です。やりましたよ!!今日は完結までちゃんと書くことができました。ハイブリッドブラスターの出番はなさそうですね。
まぁ、無理しない程度に毎日更新を続けていきたいと思います。noteにはこんなにがっつり書く"テキスト"以外にも、"つぶやき"だったり"写真投稿"だったりいろんな手段がありますもんね、いろんな方式を利用して充実した毎日を過ごしていきたいです。
おしまい