『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(著・三宅香帆さん)を読んだら、オルカンが支持される理由が腑に落ちた
『大きなシステムと小さなファンタジー』(著・影山知明さん)の第四章にある「自分の<いのち>の形にどうしたら気付けるか」という見出しの一節からの引用です。
この記事の主役は、三宅香帆さんの著書 #なぜ働いていると本が読めなくなるのか です。
読んでみました。
日本社会での人々の働き方と、読書・本との関係の歴史を振り返りながら、三宅さんのユニークな仮説が次々と登場します。
じわじわと読み進めていたのですが、途中から僕の読書スピードが一気に加速しました。それが第八章、第九章でした。
第八章は「仕事がアイデンティになる社会」、第九章は「読書は人生の「ノイズ」なのか?」
第八章のこの箇所で思わず大きく頷きました。めっちゃ大きく。
「仕事と読書」にとどまらない、大きな気づきを得られたからです。
この箇所で「投資」の話が出てきました。
そのせいでしょうか、はたと思ったことがありました。
株価、価格って「情報」なんだな、と。
株価は、投資家なら誰でも知りたくて、気になって仕方ない対象です。そこには混じり気みたいなものがない、それには「ノイズ」が無いように思えます。
一方、会社の事業、その特徴や他社との違い、ユニークなところ。その根っこにある会社の文化。そこには「ノイズ」ともいうべき文脈がいろいろと複雑に絡み合っていることが多いものです。いろいろと複雑に絡み合っているのは当然ですよね、多くの人たちの営みがあって歴史を背負って会社は生きているわけですから。
(そもそも、会社のストーリーに関心が向きがちなものですからそれを「ノイズ」と認識することには抵抗すらあります)
でも、ただひたすらに「情報」=株価を欲している、そこにしか関心が無ければ、株価がわかればそれでいい、って人も多勢います。はっきり言ってしまうと、圧倒的多数派です。
そんな人たちには、会社の事業、そこにどんな営みがあるかなんて、確かに「ノイズ」でしかないのでしょう。それは「情報」「知りたいこと」ではない。
なるほど。
ああそうか!、だから、インデックスファンドが、オルカンが、S&P500がこんなにも支持されるんだ、となんだかすごく腑に落ちました。
この枠組みが「オルカンが売れている理由」を腹落ちさせる、説得力ある補助線になりました。
投資している会社について「ノイズ」たっぷりの知識を得て、そこに何の意味があるの。そんな問いを持つ人たちにとって「オルカン」はとても心地良い存在なのでしょう。
この本の読書を通じて、非常に大きな発見を得られた感覚です。
僕自身は「情報」だけでは物足りない、全然物足りないんですよね。
ただ自分の身を振り返ると、資産運用を始めたころは「情報」を求めていたように思います。入口、始まりはそうであったものの時間の経過とともに「知識」を身につけたい、触れたい、と望むようになっていきました。
だからもちろんこれから先も、ノイズ(というより「ストーリー」と言いたい!)がしっかりと添えられた「知識」を、より多く摂取していきたいと感じています。そこには「知識」が次の何かに導いてくれるかもしれない、それが「種」になるかもしれない、という期待があるからです。
最初にご紹介した「犬も歩けば棒に当たる」「歩かなければ棒には当たらない」の話に戻すと、「ノイズ」があるからこそ棒、思いがけない棒に当たる、出会えるんだと思うんですよね。引用した章のタイトルは”種の話”。
ノイズフリーの「情報」ばかりだと、目的地にはスムーズに辿り着けるかもしれない。けれど、「記憶」に強く刻まれるような出会いを得ることは滅多にないだろう、って思います。
今回の読書で得た発見や気づき、それらは「投資って何か」という問いとも密接にリンクしている、そんな気がしています。
「仕事と読書」の関係。よくよく考えてみれば、それは限られた時間という資本をどう投じるか、という「投資」の話でもあるんですよね。
ここから先は
この記事が参加している募集
チップを頂いた際は、TableforKidsへの寄付に使わせていただきます。 https://tfk.yumeshokunin.org/