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社会に出るとは「プロ」として生み出すこと。

当方(使ってみたかったんだよね。)社会人一年目ぴよぴよやってる23歳。

先日、
結局のところ社会に出るってなんなん?
ていう話題が出た。

当方(使い方合ってる?)の考えをお伝えしていけばなと思う。
ぴよぴよなので優しく見守って欲しい。
そんなキテレツなことは言いません。

まず結論としては、
社会に出るとは
「サービス、商品、体験などをプロとして生み出し提供する側になること。」

だと感じている。

ここで要素を分解して、
「提供する」と「プロとして」の二つについてに分けて書いていく。

学生からの変化

まず、ベースにある考えとしては、
「サービスを受ける側から、サービスを提供する側になること」
というのは大きい。

これまで基本、
学校に行くにしても、
コンビニでご飯を買うにしても、
バッティングセンターでバット振るにしても、
電車に乗るにしても、
全てお金と対価にベネフィットを受け取る消費者だった。

これが一転して与える側になること。
これは大きな変化だ。

提供するとは、生み出すことだと思う。
既存のものを売るにしてもお客様に与える購買体験は唯一無二。

それは毎回ゼロイチで生み出すということであり。
生み出し、与えるということだと思う。

あら偶然。俺の今年の目標だった。

それに伴って、発生するのは責任を取らなければならないということ。
学校は在籍し学ぶためにお金を払ってるので、相当なことをしなければ在籍可能だった。

けど、企業ではお金をもらってる側なのだからそれに値するパフォーマンスがなければ、自分で責任を取る覚悟が必要だろう。

もちろん失敗も成長のために必要なものなので、全力でやって失敗したのならそれはそれでいいと思うので、
その上で自分で責任を持ってケツは拭いていきたい。

そういった社内外ともに推進力がある人材でありたいと強く思ってる。

プロであるということ

上記にもつながるし、それよりも大事だと思うのは、プロ意識。

社会に出て正社員としてお金をもらって働くということは、
プロであるあなたに、
もしくはプロになるであろうあなたに、
企業が投資しているということだと思う。

(個人的な考えでは、お金をもらった時点でレベル問わずプロだと思っている。)

これについて考えさせられたのは、自分がインターンとして今の会社で働いていた頃。
所属するマーケティング部のミーティングで、
外部のある方に向けたリスペクトも込めて「プロのマーケター」といった言葉が出た。

ニュアンスとしては自分はプロのマーケターではないみたいな聞こえ方もした。
その場では何も言わなかった俺の恩師が、
自分達もプロのマーケターだろ。
と後々言っているのを聞いた。

プロとは

さて、プロと聞くと何を想像するだろうか?
俺も確かにプロ野球選手とかを想像するからこそ、特別なもののように聞こえてしまう。

実際、その分野で特筆したレベルという意味でのプロはこの世の中に限られていると思うし、そうゆう風に使われることが多い言葉だ。

けど、俺はこの恩師の言葉を聞いてから全ての社会人がプロなんじゃないの?て感じている。
てか、そう思いませんか?

お客様からしたら、
受け取るサービス、製品、業界の知識は往々として、提供する側よりは少ない。

つまりお金を払うということは、自分ではできない「プロの」サービスを受けるために行う行為と言えると思う。

実際問題、現代社会でコンビニでご飯買う時にプロのサービスを受けるなんてことを考えるひとはいないと思うけど。
これは値段も関係したり、気持ちの問題じゃなくてそうあるべきという話なのかもしれないけど。

でもやっぱりお金を払うということは、
自分ではできない
自分ではやりたくない
自分が求めることを提供してもらう
ために行うことだと思う。

お客様からしたらプロなんだよ。
もちろん払う額によって求めるレベルやお客様の認識は違うかもしれないけど、
「求めたレベルのサービスを提供するプロ」
であればプロだろ。おん。

俺は副業?でバスケ部のコーチをやってて、まあ一応微々たる額だけどお金をもらっている。

俺は胸を張ってプロだと言いたい。いや言える。

死ぬ気でやってるからこそ、プライドあるからだけど。

周りからどう思われても良いじゃないの。
それだけのプライドとプロ意識があれば、
他には出せない価値(個性)出していけるでしょ。
そっちの方が楽しいでしょ。
お金なんてついてくるでしょ。

社会に出るとは、プロとして提供すること。
これを今後も胸に、走り続けていきまっしょい。

いや無理やりかて。
じゃあまたね。

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