勝利の中毒性、敗北の身を削られるような痛みに抗う。
バスケ部の監督をやっていると、どうしても避けては通れないのが、試合の勝敗。
かつて俺は、勝敗に拘りすぎたためにチームの戦力最大化をすることができず、組織作りでミスをしてしまったと感じた時があった。
当時は、選手のポテンシャル的に「やるなら今だ!」とばかりに、俺も全身全霊をかけて練習、試合、いや全ての生活を送っていた。
そして負けた。すっからかんになってしまった。
監督の俺が。
改めて思う。
勝敗のように白黒ハッキリつくものはしんどい。
勝利には中毒性が、
敗北には身を削られるような痛みが伴う。
勝った時の快感は何度経験しても変え難い。
敗北した時はこれまでの努力を否定されたかのようなどうしようもない痛みが。
だけど俺は生徒たちの過程を誰よりも愛さなければならない。
勝敗的な目標だけだったあの時とは違い、
今では「どんなチームにしたいのか」という組織目標を立てさせている。
生徒の努力を絶対に俺は安易に白黒つけてはならない。
もっともっと先にある彼らの笑顔のために。
だけど、勝ってまたあの景色が見たい。
そう思えるのは、彼らのポテンシャルがまだまだやれると俺に訴えかけてくるから。
あいつらのために俺は何ができるか。
全身全霊今ならかけてもいいんじゃないだろうか。
かけたいんだよ本当は。
もう一回、周りをあっと言わせてやりませんか?