【製本記】 かえるの哲学 06 | 紙染め、ことはじめ
表紙に取りかかる。『かえるの哲学』は「背継ぎ」にしよう。背と平(ひら=表紙の平らな部分)の一部を異素材で継いだもので、例えば、表紙が紙で背とその周辺が革や布でくるまれている本、といえばピンとくるだろうか。
平の素材が本の印象を左右するのだが、ファンシーペーパーか、マーブルペーパーか、それともクライスターパピアか。どういうわけか、いつまでたっても決められない。どれもしっくりこなくって、無謀にも自分で紙を染めることにした。染めの知識も技術もないくせに。
紙染めにはさまざまな手法がある。あまり背伸びしても碌なことにはならないだろうし、できれば身近な道具でやりたいし。はて、どうしたものか。
そう考えているとき、野ばら社の『図案辞典』を手にした。初版は1949年。季節の風物詩や動植物から、飾り文字や飾り罫、誰がいつ使うのかよくわからないヒエログリフ的なものまで載っている、ありえないほど気前のいい図案集だ。パラパラとめくるうち、思いついた。これを参考に消しゴムを彫り、スタンプの要領で染めるのはどうだろう、と。
そうして染めあげたのが、これらの紙だ。丸と三角と四角でできていて、図案集を参考にするまでもないことは、いわずもがな。結局、わたしには複雑な図案を彫る力量がなかったのだ。でもまあ、スタンプを実践するに至ったのだから、『図案辞典』は間違いなく役に立ったといえる。
ドローイングインクを混色し、ぽとんとつけて、ぺたんと押す。「ぽとん」と「ぺたん」の無限ループを、朝な夕な、無心で繰り返した。滲んだら滲むままに、歪んだら歪むままに。できばえはさておき、いい時間だった。
わたしがこうして紙染めに手をだしたのは気まぐれのようなものだけど、製本家が自ら紙を染めるのは、さほどめずらしいことじゃない。自己表現の一環として、というのもあるだろうが、みんな、シンプルに美しい本をつくりたいのだと思う。
では「美しい本」とはどういうものか。わたしはまだそれをうまく言語化できないでいる。それでもどうにか捻りだすなら「純度」ということばが近いかもしれない。純度の高い本には、硬度が備わる。無論それは物理的な硬さではなく、本の存在感の強固さ、みたいなものだ。
製本工程というのはすべてが絡み合っていて、目引きが正確でなければうまくかがれないし、かがりがうまくいっていなければ滑らかな丸みはでない。表紙にどれだけ見事なマーブルペーパーを貼ったところで芯材の処理が疎かでは生きてこないし、逆もまた然り。どれか一工程が卓越したところでそれは本としての美しさには結びつかず、全工程が同じ方角に向かってぴたりと連携したときにはじめて、その本は際立ったものとなる。製本家が仕事を手もとに集約しようとするのは、この連携を求めてのことではないだろうか。
他方、商業出版の現場では分業化が進んでひさしい。戦後まもない頃から、折り、かがり、くるみなど、工程ごとに複数の作業所が協業していたと聞く。美篶堂の上島松男親方が冊子『Book Arts and Crafts』で語るには、当時は丸みだし専門の職人までいたのだとか。今日はあっちで丸みだし、明日はこっちで丸みだし。そうやって丸背づくりの腕一本で製本所を渡り歩く「流し」の職人だ。何だそれ、かっこいいじゃないか。
さすらいの丸背職人は究極の例だとしても、分業は個々の技の精度を磨く。精度とともに速度も向上するだろうから、効率もよくなるのだろう。人々が本を求めるほどに分業化が加速し、結果、本は大衆のものとなった。こうして集約と分業、どちらも讃えておいて何がいいたいのかというと、どっちだろうとそこには職人の矜持がある、ということだ。
編集者は一人じゃ何もできない職業なので、わたし自身、分業のありがたさとおもしろさは日々感じるところだ。だからこそ、製本家として本をつくるときも、マーブル作家のつくったマーブルペーパーを使ったり、箔押し職人に箔押しを依頼したり、誰かの仕事と自分の仕事を組み合わせることは、わたしにとって自然なことだ。
だけど、たまにはこうして領域を広げ、自分の手を動かしてみよう。分業社会の一端で働いているからこそ、何か一つくらい自分の手でつくってみたい。そうすることでむしろ、一人では何もつくれないことが身に沁みる。木を伐る人、運ぶ人、加工する人、紙を抄造する人……果てしない分業の連鎖がなければ、わたしは紙一枚すら手にすることができない。
さて、染めあがった紙にデザインコートを吹きつけて、日の当たらない場所に保管する。あと数工程で『かえるの哲学』は本になる。
● 『図案辞典』(野ばら社)