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歴史事典アーカイブ:閃きをあなたに

歴史学の独立研究者が運営しています。専門家の研究書等を用いて、歴史のより確かな知識と魅力をしっかり紹介します。ウェブ上のコスパよい歴史事典アーカイブの構築を目指しています。月額5…
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記事一覧

(定期購読)マヌエル1世

 マヌエル1世はポルトガルの王(1469ー1521)。在位は1495ー1521年。その治世において、ポルトガルは大航海時代で勢力を大いに拡大した。ヴァスコ・ダ・ガマが東インド航路を開拓して、インドでの香辛料貿易を開始した。その後もゴアやマラッカを奪い、拠点を構築した。アメリカでは、ブラジル植民地建設を開始した。ポルトガル国内では制度の整備が進み、文化的にもマヌエル様式にみられるように繁栄した。  よって、マヌエル1世の生涯と功績を知ることで、ポルトガルの黄金時代がどのようなも

(定期購読)コルベール:フランス絶対王政の経済と情報を握る

 コルベールはフランスの政治家(1619ー1683)。フランス国王ルイ14世が絶対王政を確立するのを支えた。様々な財政・経済政策でフランス国家財政を立て直し、収入を増やした。海洋貿易推進のため、フランス海軍を増強した。だが、重商主義政策が一因となって、1672年にオランダとの戦争に突入した。それが財政を圧迫し、それまでの諸政策に大きな打撃を与えることになった。コルベールはフランス文化の発展や情報管理システムの構築でも寄与した。 コルベール(Jean-Baptiste Colb

(定期購読)エリザベス1世

 エリザベス 1 世は16世紀後半のイギリス(イングランド)の女王(1533ー1603) 。宗教改革の時代に生き、スペインの無敵艦隊アルマダに打ち勝つなどして、国内外での宗教と政治の問題に悪戦苦闘しながらも、イギリスのプロテスタント化を確立した。この記事では、エリザベスの性格や評価も説明する。 エリザベス1世(Elizabeth I)の生涯  エリザベスはイギリス(イングランド)国王ヘンリー8世とアン・ブーリンの娘だった。幼い頃から人文主義的な教育を受け、優秀だった。  

(定期購読)教皇アレクサンデル6世:新しい時代に臨む教皇

 アレクサンデル6世はローマ教皇(1431-1503)。本名はロドリゴ・デ・ボルハ。聖職者の道を進み、叔父の庇護で出世した。1492年に教皇になった。大航海時代やイタリア戦争などと深いかかわりを持った。アレクサンデルは敵が多かったため、彼の評価は単純に真っ黒に塗りつぶされる傾向にある。だが、これからみていくように、彼の人柄と功績はそれほど単純なものではなかった。 アレクサンデル6世の生涯 ロドリゴ・デ・ボルハはスペインのバレンシア地方で貴族の家庭に生まれた。幼くして父を亡く

(定期購読)ヘンリー8世

 ヘンリー8世はイギリス(イングランド)の国王(1491ー1547)。子供ができないことを理由に王妃と離婚しようとした。だが教皇の許可がえられなかった。離婚問題により、イギリスの宗教改革を引き起こした。この記事では、ヘンリー8世の宗教改革の性質や重要性についてもみていく。 ヘンリー8世(Henry VIII)の生涯  ヘンリー8世はヘンリー7世の二男として生まれた。兄のアーサーが夭折した。1509年、父も没したので、ヘンリー8世として即位した。  父はチューダー朝の創始者

(定期購読)ルイ16世

 ルイ16世はフランス国王(1754-1793)。フランス王権が衰退していた頃に王位を継承した。数々の改革を試みたが、失敗した。フランス革命が勃発し、当初は立憲王政の改革に賛同した。だが国内・国際問題で国民議会と対立するようになり、反革命の立場に移る。ヴァレンヌ逃亡事件をへて、共和主義者が台頭し、王権を奪われて、王妃のマリー・アントワネットとともにギロチンで処刑された。 ルイ16世(Louis XVI)の生涯  ルイ16世はルイ15世の孫である。幼少期から学問に興味を持ち

(定期購読)ヘンリー7世:チューダー朝の創始者はどのような人物だったのか

 ヘンリー7世はイギリスの国王(1457−1509)。在位は1485ー1509。イングランドの内戦の薔薇戦争を終わらせ、チューダー朝を創始し、新たな時代を拓いた。だが陰謀が晩年まで続いたため、王権の確立が生涯の課題となった。コロンブスからインド航海の事業を提案されたが・・・・。 ヘンリー7世(Henry VII)の生涯  ヘンリーはウェールズのペンブルック城で貴族の家庭に生まれた。父はリッチモンド伯エドマンド・チューダーである。母はマーガレット・ボーフォートであり、ランカ

(定期購読)モクテスマ2世

 モクテスマ2世はアステカ帝国の最後の皇帝。皇帝の家庭にうまれ、幼い頃から英才教育を受けた。皇帝に即位し、アステカ帝国を絶頂期に至らせた。そこにスペインの征服者コルテスが到来した。  モクテスマ2世(Moctezuma II)の生涯  モクテスマ2世は高貴な家庭に生まれた。父アシャヤカトルはアステカ帝国の皇帝であった。曽祖父はモクテスマ1世であり、アステカ帝国の発展に大きく寄与した人物だった。この記事はモクテスマ2世についてみていく  モクテスマ2世はいずれ支配者となる

(定期購読)ロベスピエール:フランス革命の中で

 マクシミリアン・ロベスピエールはフランスの政治家(1758―1794)。当初は弁護士として活躍した。1789年からのフランス革命の中で、急進的なジャコバン派に属した。ジロンド派を追放して、独裁政治を行った。ダントンらを処刑して、有名な恐怖政治を行った。恐怖政治とはどのようなものだったか、なぜこれに至ったのかなども説明する。マラやダントンとの関係についてもみていく。 マクシミリアン・ロベスピエール(Maximilien Robespierre)の生涯  マクシミリアン・ロ

(定期購読)メアリー・スチュワート

 メアリー・スチュワートはスコットランド女王(1542−87)。生まれてすぐに女王に即位した。フランス王と結婚し、フランス王妃になった。だが夫がすぐ没したので、スコットランドに帰国した。プロテスタント諸侯と対立し、内戦の末に、イングランドへ亡命した。だが、これからみていくように、あの事件に関与したので、処刑されることになる。なお、エリザベスとの関係も詳しくみていく。 メアリー(Mary Stuart)の生涯  メアリー・スチュワートはスコットランド王ジェームズ5世とフラン

(定期購読)エラスムス

 デジデリウス・エラスムスはオランダ(ネーデルラント)の哲学者(1469ー1536)。北方ルネサンスの最大の人文学者として知られる。トマス・モアのような当時の著名な人物と交流し、生前から名声を高めた。 エラスムス(Desiderius Erasmus)の生涯  エラスムスはオランダのロッテルダムで司祭の私生児として生まれた。幼少期はデヴェンターで古典語などを学んだ。当初は聖職者の道を進んだ。  1488年、エラスムスはステインのアウグスティヌス会の修道院に入った。1492

(定期購読)エルナン・コルテス:アステカ帝国

 エルナン・コルテスは16世紀スペインの貴族(1485ー1547)。アステカ帝国の征服者。インカ帝国の征服者のピサロとともに、大航海時代の代表的な征服者とみなされている。コルテスは少数のスペイン人を率いてアステカ征服を成し遂げた。以下では、コルテスの今日の評価やピサロとの違いについても説明する。 コルテス(Hernán Cortés)の生涯  コルテスはエストレマドゥーラで下級貴族の家に生まれた。当時、ヨーロッパでも名門として名高いサラマンカ大学で、法学を学んだ。  コ

(定期購読)津田梅子:明治の開明的な女性のリーダー

 津田梅子は明治から大正の女子教育者(1864―1929)。明治初期、6歳にして岩倉使節とともに海を渡り、11年間、アメリカで留学した。帰国後、女子教育に携わった。再び留学し、帰国後、自律的な女性を育て上げるために女子英学塾を設立した。これが津田塾大学に発展する。さらに、これからみていくように、その活躍は国内にとどまるものではなかった・・・。 津田梅子(つだうめこ)の生涯  津田梅子は江戸で佐倉藩士の家庭に生まれた。父は西洋農学者の津田仙である。  梅子が生まれる少し前、

(定期購読)教皇ボニファティウス8世

 教皇ボニファティウス 8 世は中世のローマ教皇(1235ー1303)。在位は1294 ー1303年。国家と教会の関係をめぐって、フランス国王フィリップ4世と激しく対立し、拿捕された挙げ句に憤死した。  ボニファティウス8世はローマの名門貴族出身である。本名はベネデット・ガエタニ。ボローニャ大学でローマ法と教会法を学んだ。その後、ローマ教皇庁で枢機卿などの高職を得た。  1290年には、フランスへと教皇特使として派遣された。その際に、対立していたフランスとアラゴンの間に立