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(定期購読)メアリー・スチュワート

 メアリー・スチュワートはスコットランド女王(1542−87)。生まれてすぐに女王に即位した。フランス王と結婚し、フランス王妃になった。だが夫がすぐ没したので、スコットランドに帰国した。プロテスタント諸侯と対立し、内戦の末に、イングランドへ亡命した。だが、これからみていくように、あの事件に関与したので、処刑されることになる。なお、エリザベスとの関係も詳しくみていく。

メアリー(Mary Stuart)の生涯


 メアリー・スチュワートはスコットランド王ジェームズ5世とフランスのギーズ家のメアリーとの間で生まれた。生後まもなく、父が戦争で死んだため、スコットランド女王として即位した。
 この時期、スコットランドは隣国のイングランドと敵対関係にあった。そのため、フランスを見方に組み入れようとした。そこで、メアリーはフランスとスコットランドの協力関係のためにフランス宮廷に送られた。フランス王アンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシスのもとで育てられた。
 メアリーは古典語やイタリア語、フランス語などを学び、ルネサンス的な教育を受けた。美貌で有名だった。


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ジェイムズ治美『緋衣の女王 : スコットランドのメアリ』彩流社, 2022

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