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「新説 家康と三方ヶ原合戦 生涯唯一の大敗を読み解く」 △読書感想:歴史(0021)△

戦国時代の有名な合戦、武田信玄と徳川家康の直接対決である“三方ヶ原合戦”にフォーカスした検証本です。

「新説 家康と三方ヶ原合戦 生涯唯一の大敗を読み解く」
著 者: 平山 優
出版社: NHK出版(NHK出版新書)
出版年: 2022年

<趣意>
歴史に関する書籍のブックレビューです。 対象は日本の歴史が中心になりますが世界史も範囲内です。 新刊・旧刊も含めて広く取上げております。

『遠刕味方ヶ原合戦図』( 浜松市博物館所蔵) 「デジタルアーカイブシステムADEAC」収録 (https://jpsearch.go.jp/item/adeac-R100000094_I000022461_00)

<構成>

全8章の構成です。大きく言うと4つに分かれていると思われます。
まず第1章から第3章では、三方ヶ原合戦にまで至る前提とその事情が説明されています。次に第4章から第6章までで三方ヶ原合戦が起きる直前までの武田信玄の遠江侵略の経緯が解説されています。さらに第7章では三方ヶ原合戦そのものの分析がされています。最後に第8章において合戦後の信玄と家康の動向について考証が重ねられています。なお別途、まとめとして“むすびにかえて”として三方ヶ原合戦の歴史的意義について考察がされています。

<ポイント>

(1)三方ヶ原合戦という戦国時代のひとつの合戦にターゲットを絞った論考である
戦国時代の合戦を単独で取上げられるとすると、関ヶ原合戦、桶狭間の合戦そして長篠合戦くらいであったかと思われます。三方ヶ原合戦はそれらと比べると比較的マイナーになりますが、家康存亡の危機にあったといっても過言ではなく、本書では詳細に分析しています。
(2)文献史料だけでなく実地検証なども加えた総合的な考証である
各種の史料を豊富にベースとして考察を重ねつつ、現地の視察で得た知見や地域の伝承も取り込みながら自らの見解を構築しています。またこれまでの各種通説や見解等も併せて紹介し比較して丁寧に論考が積み重ねられています。

<著者紹介>

平山 優
歴史学者。専門は日本中世史。
そのほかの著作:
「武田三代」 (PHP研究所)
「徳川家康と武田信玄」 (KADOKAWA)
「徳川家康と武田勝頼」 (幻冬舎)
など


<私的な雑感>

三方ヶ原合戦について文献史料をベースにしつつもそのほかの側面も含めて総合的に考察している分かりやすい一冊ではないかと思われます。
著者は戦国・甲斐武田家を扱うテレビ番組などにも数多く出演されるなどしていらっしゃいますのでご存じの方も多いのではないでしょうか。構成としては一方的に自説を強く主張されるのではなく、各種史料を踏まえつつこれまでの通説・定説などの紹介もしながら、そのうえで自説や私見を丁寧に延べられていますので読者にとっても比較検討しやすく、とても親切な書きぶりなのではないでしょうか。

一読して、家康はどうして三方ヶ原合戦に討って出たのだろうか?と考え直します。正直言って、家康も三方ヶ原で武田信玄に勝てるとは最初から思っていなかったのではないかなーという気もします(もちろん負けるつもりもなかったでしょうが)。とにかく戦国武将として自領内を信玄が通過するのを指をくわえて眺めてやり過ごすわけにはいかなかったので、とりあえず一戦交えて一発殴りつけてやるくらいの目的だったのではないかというつもりではなかったか。

戦いは新暦ですと1月下旬の16時~18時にかけて行われたようですから、もう陽が落ち始めた頃に開戦したのでしょう。もしかしたら家康の狙いは野営を始めた信玄を夜討で奇襲することだったのかもしれないなーと想像してしまいます。家康は鶴翼の陣で信玄に対峙したともされていますが、もしかしたら、現代風に言うならば散開戦術による奇襲の陣形だったのでは?という印象も受けます。
戦力差が武田2万対家康1万(諸説あり)ですから、戦国最強ともうたわれる武田軍に野戦で正面から勝てるとは思わないのではないかと。桶狭間のようなことはめったに起きないし起こせないでしょう。そのため家康にとってはhit&awayで一発かましてすぐに逃げて籠城という戦術を思い描いていたのかもしれないなーと個人的には感じています。

そんなわけで家康にとっては案外、負ける(というか反転攻勢される)というのは想定内だったのではないかという気がしないでもありません。奇襲のつもりが信玄に気付かれてしまい、奇襲の準備が整う前に戦闘が始まってしまったのかもしれません。そのためけっこう味方を失ってしまい予想以上のダメージだったかもしれませんが。まあ、根拠無き勝手な空想です。

本書は三方ヶ原合戦を対象にした考察に尽きています。本書のような考察のメソッドは他の合戦に当てはめても面白いのではないかと感じました。とはいえ、家康関連だからこれだけ史料が残っているから可能なのかもしれませんが(これだけ史料があっても分からないことも多いですし)。

読んで良かったです!

<本書詳細>

「新説 家康と三方原合戦 生涯唯一の大敗を読み解く」 (NHK出版)


蜷川式胤模、原本:武田逍遥軒筆,Copied by Ninagawa Noritane,蜷川式胤氏寄贈,Gift of Mr. Ninagawa Noritane,東京国立博物館,Tokyo National Museum『武田信玄像(模本)』(東京国立博物館所蔵) 「ColBase」収録 (https://jpsearch.go.jp/item/cobas-46589)

<武田信玄は上洛を目指していたのか?>

三方ヶ原合戦が行われた信玄の遠江・三河の西上侵攻ですが、一昔前までは一般的に「信玄による上洛戦の一環である」といわれてきたことが多かったように思われます。つまり、近畿を支配する織田信長を打倒して信玄が天下を牛耳るための軍事行動であったと(大雑把にいえばですが)。

しかし本当に信玄は上洛して天下に覇を唱える意図があったのでしょうか?
ただの歴史好きの個人的な印象にしか過ぎませんが、信玄にはそんなつもりはなかったんじゃないのかなーという気がしています。もちろん、信玄はこの西上戦にあたり、浅井・朝倉・本願寺などと反信長包囲網の一角を担い、東から信長に圧力をかける役割を果たしていました。

ただ、信玄のなかに果たして天下構想のようなものはあったのでしょうか? ポスト信長として京都で天下の采配を振るう意志があったのか。史料などからはそのようなことを具体的にうかがわせるようなものが見当たらないように思えます。かりにそのつもりがあったとしても甲斐と京都はあまりにも遠い…。

かりにそのまま当時の兵力(およそ2万ともいわれています)を京都まで進軍させて駐留させるとなると兵站の大きな問題が生じてくるように思われます。少なくともルート上の遠江・三河・尾張・美濃を完全に制圧・服属させないと安心はできないでしょう。短期間のうちに可能だったでしょうか。

また信玄の圧倒的に強力な軍事力で侵攻を一時的に成功させても支配を維持することは並大抵のことではなかったと思われます。もし信玄が京都に常駐するようなこととなれば上杉謙信が信濃・甲斐を脅かしかねません。信長がしたように甲斐と京都を適宜往復するには長いし時間がかかりすぎて負担が大きすぎるように思われます。

それまで対立していた徳川はともかく、友好的関係にあった信長を敵に回す反信長派に転じて本格的に西上をしたというよりも、大雑把に言いますと、自分の周辺の勢力圏を拡大したかったからというのが第一であったような気がします。

本格的に遠江・三河を支配しようとすれば徳川の同盟者である信長との対立は避けられません。であれば信長との友好を断ち切って反信長派に入り、信長に北・西からの脅威を与えれば徳川に援軍を派遣する余裕はなくなり、西上がうまく進みやすいという腹づもりがあったのではないか。

なお、信玄の西上戦がうまくいけば信長の覇権は瓦解していた可能性も大きかったと思われます。信長は同盟者・家康を見捨てたとほかの同盟者等に判断されてしまったでしょう。その意味で信玄の西上戦と三方ヶ原合戦は戦国史の大きな転換点となっていたかもしれません。このあと信玄が急死しなければ…ですが。

<補足>

三方ヶ原の戦い (Wikipedia)

<参考リンク>

Web記事「なぜ籠城せず、わざわざ城から出て負けたのか…徳川家康の唯一の敗戦『三方ヶ原の戦い』の謎を解く」 (プレジデント・オンライン)
Web記事「徳川家康が生き延びたのは奇跡に等しい…『三方ヶ原の戦い』で武田信玄が描いた完璧すぎる家康殲滅プラン」 (プレジデント・オンライン)


<関連ブックレビュー>


<バックナンバー>
バックナンバーはnote内マガジン「読書感想文(歴史)」にまとめております。

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0002 「ナチスの財宝」
0003 「執権」
0004 「幕末単身赴任 下級武士の食日記」
0005 「織田信忠」
0006 「流浪の戦国貴族 近衛前久」
0007 「江戸の妖怪事件簿」
0008 「被差別の食卓」
0009 「宮本武蔵 謎多き生涯を解く」
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0011 「江戸近郊道しるべ 現代語訳」
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0015 「警察庁長官狙撃事件 真犯人"老スナイパー"の告白」 
0016 「三好一族 戦国最初の『天下人』」
0017 「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」
0018 「天下統一 信長と秀吉が成し遂げた『革命』」
0019 「院政 天皇と上皇の日本史」
0020 「軍と兵士のローマ帝国」


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(2023/09/02 上町嵩広)

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