Ctrl+Zがない人生。
最近、パソコンをよく使うようになった。
資料を作ったり、ドキュメントを書いたり。
逆にいままで使ってなかったんかいって感じだけど、基本は手書きかスマホだったからパソコンカタカタする日々は久しぶりだ。
資料を作ってる時、間違えて文字を消してしまってCtrl+Zで戻した。
ドキュメントを書いてて、間違えて行を変えてしまったからCtrl+Zで戻した。
ショートカットキーを多用して、カタカタと効率よく作業を進めてく。
時間が経つにつれ、システムはどんどん効率化されていく。自分もその洗練されていくシステムに慣れ、作業の無駄を省いていく。
パソコンは、データを記録してくれる。全ての行動が保存され、分析され、誰かに提供される。
でもいいよね、だって間違えても一瞬で戻せる。
コピー&ペーストでいくらでも複製可能。
シェアだって簡単に出来る。
デジタルが当たり前の世界では、Ctrl+Zが当たり前だ。
でも、僕達は本当にそれでいいのだろうか。
歳をとるにつれ、時が経つにつれ、何かを失っていく気がする。
集中力はどんどん下がってく。
だって目の前のことに集中しなくたって、後で見返せるんだもん。
長く熱中できることも減って来た。
だってケータイの中にはいろんな刺激が溢れてるから。
インスタで繋がってるフレンドって、ほんとに友達なんだっけ?
効率化されて楽になった人生は、なぜか空っぽで心はけっこういつも曇り模様。
あれ、おかしいな。
デジタルの世界に生きている僕達は、なぜか人生の捉え方もデジタル化されていってる。
今この瞬間を全力で生きれないのは、きっとこの世界が保存と複製が可能すぎるからだ。
人生にCtrl+Zは存在しない。
もちろん何度だってやり直せるけど、それは出来事を無かったことにした上書きではない。
積み重ねだ。
一度起きたことは元には戻せないし、過ぎ去った時間はどんなボタンを押しても返ってこない。
覆水盆に返らずなんだよね。
ショートカットなんてない。
急いでも、急いでなくても常に人生はまわり道だ。
私たちは今ここに奇跡的に生きている。
息をしている、この地球に生まれた自然の生命体として。それを忘れちゃだめだ。
パソコンを使い、スマホを使い、デジタルに脳が慣れていってしまうからこそ、僕達は何度でも、元には戻せないたった一回きりの自分の人生に向き合っていかなきゃいけない。
『Ctrl+Zのない人生は、きっと何よりも美しい。』