無気力は安全装置
この間まで鬱状態に入っていたのだけれど
無気力無関心がキツい。
どんどん悲しくなってくる
楽しかったはずなのに、面白かったはずなのに
嬉しかったはずなのに、おいしかったはずなのに…
自分にとって心地よかった物事や食事も
そうでなくなってくる。
様々なことが『無味』って感じ。
だけど、
いつか読んだ本の読書ノートを読み返して
『無気力は感情ではなく、安全装置なのだ。』
ということを思い出させてくれた。
そういえば、以前、お客様との会話で
『疲れるは感情ではなく、現象だと思ってました』
という一言に救われた。
そんな感じで、今回もその一文に救われた。
ついつい忘れてしまう。
感情とは受けるもので、
衝撃的に、回避できない、受領してしまった
そんなようなもので
無気力無関心や疲れは
感情ではなくスリープ状態なだけで
身体という入れ物が機能停止になっている
ただそれだけのこと。
わざわざ悲しくなる必要はないのだ。
『感情ではない』
ただそれだけで、救われ、
自責にならない、なぜだろう。
わたしだけだろうか。
身体と魂を引き離すとは
こうゆうことなのだろうか、と
たまに思う。