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【園芸家の12カ月】秋は終わりでなく、始まりの季節

急に冷え込みが厳しくなり、秋から冬に向かっていることを実感する。私の場合、大分国際車いすマラソン(今年は11月19日開催)が終わると、プライベートで取り組んでいるパラ陸上の取材に一つ区切りがつき、頭の片隅に「シーズンオフ」という言葉が浮かぶ。

しかし、「シーズンオフ」といっても、選手たちにとっては出場する大会がないだけで、「オフ」=「お休み・休暇}ではないだろう。気持ちをリフレッシュすることはあるだろうが、今年よりも来年、より良い成績・結果を出すための準備が始まる。来年春から始まるシーズンに向けて、基礎的な身体づくりや持久力アップ、動作の改善などに取り組んでいるはずだ。来年、より立派な花を咲かせるために、土壌を作り、種を撒く時期といえるのかもしれない。

「園芸家の12カ月」(新装版、中公文庫:カレル・チャペック著、小松太郎訳)は、チェコの作家で園芸を愛好するカレル・チャペックが、1月から12月まで、各月ごとに章を立て、園芸家が取り組む仕事や土、草木の変化などについて綴ったエッセイだ。

「11月の園芸家」の章の頁を開くと、「秋」から「冬」にかけての季節について書かれていた。

自然をながめていると、まさしく1年は秋で終わる。しかし、1年の始めは秋だと言ったほうが、むしろほんとうに近い。(中略)
冬になるから葉は枯れる。しかし、それと同時に、春がはじまるから葉は枯れるのだ。爆音とともにそのなかから春がおどり出る。かんしゃく玉のように小さな新しい芽がはやくもつくられているからだ。(中略)
自然が休養をする、とわたしたちは言う。そのじつ、自然は死に物狂いで突貫しているのだ。ただ、自然は、店を閉めて鎧戸をおろしただけなのだ。しかし、そのなかでは、新たに仕入れた商品の荷をほどいて、抽斗(ひきだし)にはちきれそうにいっぱいになっている。いまのうちに支度をしておかないと、春になっても支度はできない。未来はわたしたちの前にあるのではなく、もうここにあるのだ。未来は芽の姿で、わたしたちと一緒にいる。いま、わたしたちと一緒にいないものは、将来もいない。芽がわたしたちに見えないのは、土の下にあるからだ。未来がわたしたちに見えないのは、一緒にいるからだ。

(同書 P184)

「今のうちに支度をしておかないと、春になっても支度はできない」
「未来は私たちの前にあるのでなく、もうここにある」
自然の営みについて語られている言葉だが、身が引き締まる。
自分自身が土の下に入り、種から発芽するための準備に力を入れなくてはならないような気持ちになってきた。
園芸好きな方だけでなく、生き方や仕事の仕方などの振り返りなどにもつながるお勧めの1冊。


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