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村上春樹 / 色彩を持たない多崎つくると、彼と巡礼の年
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たまには読書感想文もいいかな、と思ったから書きます。読みたければ言ってくれたら貸します。
お気軽にどうぞ。
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大人になっていく段階で
僕達はいろいろなことを経験する。
傷ついたり、嬉しくなったり、
誰かを妬んだり、怒ったり。
日々経験していく全ての物事から、
僕達はあらゆることを学習する。
そして、それらの経験を基に、
少しずつ自分の人格というものを作り上げていく。
何か嫌なことがあれば、
次からはもう傷つかなくてもいいように、
自分を庇うために動くように。
そして須らく、
ある程度の時間が過ぎれば、
僕達が何度も『学習』したものは、
自身の『無意識下』へと連れていかれる。
忘れたように自分では思っていても、
自分に深く刺さった棘が、
自身の実態のない中核へと容赦なく、
しかし音もなく突き刺さり、
今も自分の心の奥底で血を流しているかもしれない。
その『何か』は、
自分の中で現実を解釈する前の段階で、
光の屈折を調節するレンズのように、
外界から自身の中へと入ってくるあらゆる物事を
歪めてしまうかもしれない。
※
僕達は必ずあらゆる物事において
段階を踏まなくてはならない。
その踏むべき用意された段階を飛ばした人は、
必ずその踏み飛ばした段階に足元を救われる。
必ず、向き合わなくちゃいけない。
必ず、段階を踏まなくてはならない。
自分の中に、何があるのか。
自分とは一体、何なのか。
痛みを伴いながら、
孤独に、静かに戦わなくちゃならない段階がある。
自分の中で『何か』が歪んでいるということを
まずは認め、向き合わなくてはならない。
ずっと向き合ってきたようで、
目を逸らし続けてきたものに、
僕は向き合わなくちゃならない。
僕もまた、何かの途中にいる。
僕は乗り越えなくてはならない。
そうだ、父さんに会いに行こう。
※作品の内容は自分で調べるか読むかしてみてください。
この文章はあくまで僕がこの作品を読んで
感じたことを書いています。
(若干作品の影響を受けてはいますが)
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『オススメポイント』
この作品は、子供ともいえず、
大人になる勇気もなく、
しかし生きていく中で避けることが出来ない
あらゆる痛みを経験した人に、
大人になる一助を与えてくれる作品だ。
あるいは、
大人として生きていく中で傷つき疲れた人達が、
少し羽を休めにくる停留所のような役目を
果たしてくれる作品とも言えるかもしれない。
ずっと向き合えていなかったことに、
向き合う勇気をくれる作品と言えるだろう。
僕はこの作品にこのタイミングで出会えたことに、
凄く感謝したい。
正直、村上春樹さんの作品は
今の僕には理解を超えることが書かれていると
感じることが少なくない。
だから、作品による好き嫌いというか、
好き度合いは変わってくる。
でも、20年,30年と共に生きていくような
作品ばかりだと思う。
小説に限らず、
文章を書き始めてから意識して
『文豪』と言われている人達の作品を読んできたけれど、
やっぱり、本物の作家が書く作品は違う。
(村上春樹さんは現役で活躍している方なので、『文豪』と言うのかは分からないけれど、、)
とにもかくにも、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』読んでみてね。