プライドという言葉から見えてくるもの
多分言われて良い気分に感じる方は少ないかもしれません。
一般的に使われているこのプライドという意味は実は本来の意味と違う使われ方をしているように思います。
プライドと検索すると、「職場の上司のプライドが高くて辟易している」「パートナーのプライドが高くて疲れる」等、人間関係で使われる事がほとんどなのかなと思います。
しかし私は宝塚時代はよく「常にタカラジェンヌとしてプライドを持って過ごしなさい」と教わってきました。
世界中で開催されているLGBTQのパレードもニューヨーク・プライド、サンフランシスコ・プライドというように「プライド」と呼ばれています。
こう比べてみると意味が混在しているのがよくわかりますね。結局プライドという言葉はどういう意味なのでしょうか。
本来の意味は「自尊心」「自負心」「誇り」を意味します。
しかしこれが一般的には悪いイメージ、例えば高慢や自慢、虚栄心といった意味合いが日本では色濃く出ているように感じます。だから「プライドは捨てるべきだ」という言葉もよく見かけるようになったのだと思います。
使われる言葉の意味を正しく理解をしている人はどれくらいいるのでしょうか。
本来の意味での誇りや自負心、自尊心は生きていく上で必要な事だと思います。
なかなか自分に誇りを持つと考えてしまうと何もない自分に誇りになるようなものは何もないと卑屈に感じる方も多いかもしれません。しかし結局そう思ってしまうのは「条件付きで自分の価値を判断する傾向が強い」からだと思います。自分の見方がそうであると必ず他人や物事に対しても同じように判断している可能性が高いです。
条件付きで物事や自分や相手を無意識に判断している人は沢山いると思います。
以前もお話ししましたが、条件付きで考えてしまうことは最終的に自分で自分の首を絞め、幸せな人生を手に入れることは難しいと思います。
この根底の「条件付きで価値を判断する」という考え方が強くなっているから、このプライドという意味合いもネガティブな要素が強くなっているのではないかとも思います。
本当の意味で自尊心を高く持っている、「プライド」のある人は条件あるなしに関わらず物事を正しく見て判断するだけでなく、自分も相手も傷つけようとしたり貶めるようなことをしません。また、もし相手からネガティブな意味でのプライドが高いと言われたとしても全く傷つくことはなく、なぜ相手にそう思われてしまったのかと冷静に自分の行動と言葉を振り返り分析しようとすらするかもしれません。
このように流行る言葉や物、よく目にしたり耳にする言葉を詳しく見てみると今の日本人の考え方や傾向が面白いほど手に取るようにわかるなと感じます。
流行り物にすぐ飛びつく人は無意識によくも悪くも平均的な日本人の考え方や傾向を自らインプットをしてしまっているかもしれません。
松竹梅とあれば圧倒的に竹を選びがちな人、みんながそうだからと合わせる人は特に注意が必要かもしれません。世間に溢れている広告も人間の心理的欲求をくすぐるような謳い文句や表現が多く使われています。
「自分で正しい判断をする」よりも簡単に情報に流されやすくなっているのです。このような背景もあって私たちは自分の考えや気持ちを優先せずに流されるままにしてしまって自分を見失いやすくなっているのかと思います。
自分の気持ち、心の声に従うことが最も自分が生きやすく幸せな人生を手に入れる事が出来ます。そのために私たちは本来の意味である「プライド」を持ち、自分の気持ちや考えを大事にして生きる事が大切なのだと思います。
風羽 玲亜